#1415 『ハン・ベニンク、ベンジャミン・ハーマン、ルード・ヤコブス、ピーター・ビーツ/The Quartet NL』
♪ 今月のクロス・レヴュー 1
text by金野onnyk吉晃
55RECORDS FNCJ-5565 \2,700 (税込)
ベンジャミン・ハーマン(as)
ピーター・ビーツ (p)
ルード・ヤコブス (b)
ハン・ベニンク(ds)
1 ドリークスマン・トータル・ロス
2 ブルース・アフター・ピエト
3 ザ・ロマンティック・ジャンプ・オブ・ベアーズ
4 ヒポクリトマトリーファズ
5 ザ・ラフィング・ドウォーフ
6 フーズ・ブリッジ
7 ロロ2
All above by Misha Mengelberg
Bonus Track;
8 アイル・ビー・シーイング・ユー (S.Fain-I.Kahal)
9 キャラヴァン (Tizol-Ellington-Mills)
録音: 2016年4月、オランダにてライヴ録音
ミシャ・メンゲルベルクへの追悼企画盤のように思われるが、ミシャが亡くなったのが今年の三月だから、このアルバムは彼の死の約一年前の録音ということになる。2013年暮れに初めて全員が顔合わせして後、このカルテットは人気を集め、2016年、ミシャ存命中に彼へのリスペクト・ライブを実現した。
日本盤には(何故か)“I’ll be seeing you”, “Caravan”がボーナストラックとして収録されているが、この二曲を除く7曲全てがミシャのオリジナルである。曲名を眺めると、なんといっても“Hypochristmastreefuzz”を聞きたくなるのは私だけだろうか。エリック・ドルフィーの最後のライブアルバム“Last Date”に収録された名曲だ。ドルフィー・カルテットのピアノは勿論ミシャで、ドラムはハン・ベニンクであった。
そのハンは今年で75歳になるが、相変わらず精力的で衰えを感じさせ無いドラミングを聞かせる。シャープ、スウィンギー、老いてますます「ジャズドラマー」として円熟したとさえ言えようか。ベンジャミン・ハーマンもミシャとは少なからぬ縁がある。そしてサッチモ以来の極めて長いキャリアを誇るルード・ヤコブス。オーケストラとジャズトリオの二足の草鞋を履くピーター・ビーツ。いずれ劣らぬ試合巧者。
彼らの最大公約数を求めた所にミシャ・メンゲルベルクが居た。しかし、このカルテットの音楽がが最小公倍数になっているかというと疑問だ。
ある意味、この編成のカルテットが欧州、オランダにおいて、あたかも伝統音楽の如く定着したという事実を示すには十分だ。オランダのジャズのレベルは極めて高い。
ジャズが誕生して一世紀しないうちに、ジャズは西欧音楽の発展と成果をそのまま取り込み、またそれゆえの隘路に入ってしまったともいえる。そこに生まれたのがフリージャズであり、また西欧の「フリー・インプロヴァイズド・ミュージック」であった。しかしこの運動は経済的に行き詰まる。そこで自主制作レーベルを興した人々がいた。その一人がミシャであり、ハンなのだ。
彼らの興したレーベルはICP=Instant Composers Poolという。ここで考えて欲しいのはInstant Players Poolではないことだ。ハンも、ミシャもあるいは一緒にレーベルを始めた連中も「作曲家」を意識していたのだろうか。まあ、実際、作曲家を自認していたのはミシャとヴィレム・ブロイカーあたりだろうし、M.v.R.アルテナもその意識は強い。
そしてハンとミシャは毎週、講義のように音楽学校で実演をしてみせていた。そこではありとあらゆることが試された。今から40年以上前の話だ。ミシャが三十代後半から四十代になるあたり、欧州の音楽は実験精神に満ちていた。何でも許された、というより、若者は「世界は変えられなければならない」と思った。メジャーなレコード会社や音楽産業に対抗して、全く新しい全て手作りの音楽、そして少数のレコードを製作し、欧州中の小さな村の教会、町の公民館、学校の体育館、あらゆる集会で演奏し、各国、各都市の仲間と連帯した。それがミシャやハンのBig Bangだった。
やがて、彼らは日本にも来た。この原稿を書く直前に、ICPオーケストラが82年来日した際のライブ盤シングルが手に入った。たしかこれはライブ録音LPのおまけとして付いていたものだったかもしれない。片面だけのプレス。曲は奇しくも「キャラバン」。私は気に入って何度も聞いた。もしかしたら、この一曲だけでミシャを偲ぶのには十分かもしれないとさえ思いながら。
私が「最小公倍数ではない」と書いたのには理由がある。まず、このカルテットNL.は、ミシャへのオマージュとして聞くべきではないということだ。この演奏にミシャの思い出を求めてはいけない。私はそれを気付く迄に数回聞かざるを得なかった。ミシャを求めるならば、あのモンク的解釈と、一見単純で実はややこしい旋律のピアノ(それが前述のシングル盤にある)、あるいはもっと偶然性と不確定性に依る破天荒な演奏や、P. ブーレーズさえも思わせるような、非スウィンギーな曲構成の妙、そうしたものはこのカルテットのどこにも見いだせない。
それでいい。これはミシャの追悼盤ではないのだ。これは伝統と化したオランダのコンテンポラリーかつコンサーヴァティヴなジャズの姿だと思い、存分に楽しめば良い。ミシャの名を知らぬ人達も一緒に。涙を流す必要など無いのである。
金野 Onnyk 吉晃 (よしあき Onnyk きんの)
1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。
1976年頃から、演奏を開始。第五列の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。
1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。
共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。