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CD/DVD DisksInterviewsカンザス・シティの人と音楽 竹村洋子No. 231

53. ハーモン・メハリ『ブルー:Bleu』

Contents

 


Interview #157 ハーモン・メハリ・インタビュー

Interviewed via email May 14th.
Interview and translation by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos : courtesy of Hermon Mehari

前コラム# 52, マット・ケインとカンザス・シティ・ジェネレーション・カルテットのメンバーの一人、ハーモン・メハリが新アルバム『ブルー:Bleu 』をリリースした。3月17日に発売されたアルバムはハーモン・メハリの前作『Our Journey』同様、メハリのセルフ・プロデュースによるもの。
2015年、2016年に東京に約1ヶ月ほど滞在し、日本のミュージシャンとの交流も深めているカンザス・シティ期待の星、ハーモン・メハリにその後の活動の様子や新アルバム『ブルー:Bleu 』について聞いてみた。


JT: 新CD『Bleu』リリースおめでとうございます。
あなたは、昨年、一昨年と東京に滞在し、日本のミュージシャン達とも随分交流が深まったように見受けられましたが、昨年の3月の東京滞在以後、どういった活動をしていましたか?

Hermon Mehari: どうも有難うございます!
2016年東京に滞在した後、多くの時間をパリで過ごしました。私は、とても強力な音楽のネットワークをフランスで創り上げることができ、パリを中心にヨーロッパで演奏活動をする機会に恵まれました。もちろん、カンザス・シティを中心とし、アメリカでも活動していますよ。
つい最近、ベーシストのボブ・ボウマンと一緒にモンタナ州近辺のツアーが終わったばかりです。

JT: ヨーロッパでの活動はどうでしたか?何か刺激的なことがありましたか?どんな所でどんなミュージシャン達と演奏しましたか?

HM:ヨーロッパでの活動は素晴らしいものでした!多様な国々の、とても小さな町に至るまで様々なところで演奏できました。本当に多種多様なタイプのアーティスト達と彼らのオリジナルの音楽を一緒に演奏できました。特にパリではフランス人のミュージシャン達とスタンダードナンバーを多く演っていました。同時に、ローガン・リチャードソンやジョー・サンダース等とも演奏しました。大きなスケールの場所でのコンサートでは、私のバンドのメンバーでもあるピーター・シュランブやライアン・リー達と一緒にプレイしました。

JT:新CD 『Bleu』について伺います。前作の『Our Journey』同様、あなたのセルフ・プロデュースですね。いつ頃、このCDの作成プランを思いつきましたか?どんなコンセプトのアルバムですか?

HM:『Bleu』を作ろうと思ったのは、2016年の春で、5月の終わり頃には録音が終わっていました。カンザス・シティで『JazzLP』というグループをプロデュースしていますが、これは私がやりたいことを自分で決められるグループです。最終的に私自身の名前がリーダーとなった形でCDを発表できたのは私にとって、とても意味のある大事なことでした。

CDのコンセプトは、私の嗜好や全体に散りばめられた様々な旋律的( melodic)な瞬間を捉える能力を通して私のパーソナリティを示すことです。
だから今回、このバンドを選んだのです。彼らは皆非常にメロディックであることをコンセプトにしていると確信しています。アルバムを聴いて、トランペットがあまりリードしていないと聴こえるでしょう。これも、私のコンセプトなのです。私は全ての楽器を同じようにフューチャーしました。これははとてもバランスのとれたやり方だったと思っていますし、私の個性を十分に引き出していると思っています。

JT: 『Bleu』というCDのタイトルにはどんな意味がありますか?音楽的なコンセプトとどういう関連があるのでしょうか?

HM: CD タイトルの『Bleu』にはいくつかの意味があります。
私はこのCDのカバー・アートはポルトガルのアーティスト、ヘレナ・アルメイダにインスパイアーされました。彼女の展覧会をパリのジュ・ド・ポーム国立美術館で観て感動しました。彼女は白黒の写真にイヴ・クライン・ブルー(Yves Klein Blue)というカラーを使っていたんです。
また、ブルーという色はジャズにとって、とても重要なカラーだと思っています。それは、ジャズミュージシャン達が、彼らの演奏の中に表現しようとしたとても大事でしかも実態のないものです。もちろん、文字通り『ブルース(Blues) 』とそれに影響されたものと捉えてもらっても構いません。でも、私の意図するところは、もっともっと深い意味を持つものなのです。
私はこのアルバムのタイトルにフランス語のスペリングの”Bleu”を使いました。それは私自身のこの7年間のキャリアと人生に於いて、フランスで演奏することが大変大きな部分を占めているからです。

JT: このアルバムのメンバーはどうやって決めましたか?

HM: 全ての楽器に於いて私が最も好きなミュージシャンを選びました。
ローガン・リチャードソンは常に私が一番好きなミュージシャンです。私はローガンのことを『私達の世代におけるチャーリー・パーカー』だと信じています。彼のインプロヴィゼーションは常にフレッシュで前に突き進んでいます。しかも、それはカンザス・シティ・ジャズのブルースとソウルに根付いたものです。
アーロン・パークスは私の最も好きなピアノ・プレイヤーです。彼のやり方は、非常に直感的です。彼のソロにはとても興味深いクリエイティブなアイデアと方向性があります。でもとてもメロディックに演奏しています。
ピーター・シュランブは私の長年の友人でもあります。彼はミュージシャン仲間の中では一番古い付き合いです。彼は世界的にも最も優れたヴィブラフォニストと言えます。
リック・ロサトは2回ほどしか一緒に演奏したことがありませんでしたが、このプロジェクトにパーフェクトなベースプレイヤーだと思っています。彼は、申し分の無い演奏をするベーシストであり、非常に優れたオリジナル・ミュージックの表現者でもあります。ドラムのライアン・リーとも非常に相性の良いプレイをします。
ライアンは最も親しい音楽的なパートナーです。私たちは『DIVERS』というグループで、世界中を一緒に演奏して回りました。

JT: 特にピーターとライアンとは非常に親しいようですね。以前、あなたはライアンが一番あなたの演奏にフィットしたドラムプレイヤーだと言っていた記憶がありますが、どうでしょう?

HM:その通りです。ライアンとピーターは私の親友であり、音楽的にも100%彼らを信用しています。ライアンは常に 私のナンバーワン、ドラムプレイヤーです。
彼に最初に会ったのは、私が18歳の時でした。私達はミズーリ・オールステイト・ジャズ・バンドのオーディションに参加していました。サマー・ミュージック・キャンプの後に仲良くなり始めました。私達は二人共UMKCのコンサヴァトリー・オブ・ミュージック&ダンスで学びました。
まだ若いとはいえ、ライアンは驚くべきほど多くのドラムのテクニックと素晴しい耳を持つ『熱い』ミュージシャンです。そのバックグラウンドには彼が教会でゴスペルを演奏していた事、そしてパセオ・ハイスクール・フォー・パーフォーミング・アーツ(ローガン・リチャードソン、ハロルド・オニールなど多くの優秀なミュージシャンを輩出したハイスクール)で学んだ事があります。
ピーターはライアンに会ったちょっと前に会いました。彼はミズーリ州セント・ルイス出身です。私はミズーリ州ジェファーソン・シティ出身で、二人ともカンザス・シティに来たのです。私はカンザス・シティで、彼はニューヨークで学ぶために離れてしまいましたが、ずっと連絡し合い、時々一緒に演奏していました。ピーターは常に素晴しく、驚くべきプレイヤーです。彼はハイスクール時代からずっと仲間内でも評判がとても良かったし、彼の音楽的倫理観と目的に向かって進んで行こうとする姿勢は、多くのミュージシャン達のモチベーションを上げています。もちろん私もその一人です。
ライアンやピーター達とはカンザス・シティでもよく一緒にやっていますし、ローガンとは特にパリに滞在中は一緒に演奏する機会がさらに増えました。

JT: アルバム『Bleu』にはあなた自身のオリジナル曲が5曲ありますね。どの曲が一番気に入っていますか?

HM:作曲的な視点からいうと、<We Love>が一番気に入っています。最後のメロディーが繰り返されるところが好きです。時々、自分でハミングしているのに気づくんですよ。この曲は最初のゆっくりとしたパートをベースに書き始めました。数年前、パリのブテス・シャウモント公園を歩いていた時、ちょっとしたアイデアが浮かび、iPhoneに録音しました。昨年、パリから帰って来てから曲を書き上げました。
パフォーマンスと制作的視点からいうと<Awakening>が好きです。行ったり来たりするアレンジメント、シンセサイザーを加えたり、ソロとドラムの絡みは想像以上に良く出来たと思っています。

JT: <Moment’s Notice>はこのアルバムのハイライトでもありますね。

HM: これは私が大好きな曲です。この曲を演奏することが出来、とても嬉しいです。私がスィング・ミュージックを演奏するようになって以来、スイングする曲を演るというのはとても重要なことだと思っていますし、それがデビュー・アルバムで実現できたのですから。

JT: <I’ve Grown Accustomed To Her Face>はとても美しいバラードで、この演奏にとても『あなたらしさ』を感じますが。もう数曲バラードをアルバムの中に追加しようとは思いませんでしたか?

HM: この曲も絶対的に私が好きな曲です。アルバム作成に当たって、どんな曲を演りたいかいうことを決める以前に、アーロンとデュオをやりたいと思っていました。私はトランペットとピアノのデュオをやる機会は以前にも随分ありましたが、私自身のプロジェクトでやりたかったのです。
CD全体の時間の長さからも1曲のバラードで十分だと思ったし、適正なバランスだと思っています。バラードはとても好きですから、全部をバラードで構成するCD だって作れました。でも、それはいいバランスじゃないんです。『ヴァラエティ〜多様性』こそが私にとって一番大事なのですから。

JT:あなたのいう『ヴァラエティ〜多様性』とはどいうことですか?

HM: ヴァラエティ(多様性)とは音楽には不可欠な要素だと考えています。
『コントラスト』は何かは面白くさせるのに大切な要素だと思います。私はこのアルバムでは、ただ曲を並べるということではなく、アルバム全体をより面白くさせることを考えました。それはライブ・ショウでセットリストを作るようなものです。
コントラストは多くの意味で曲そのもの、メロディー、音、スタイル、テンポ、楽器。アレンジメント、インプロヴィゼーションなどいろんなやり方で表現できます。

JT:CD の冒頭のアーロン・パークスのエレクトリック・サウンドはあなたの言う『旋律的』ということから少しかけ離れているような気がしますが、どうでしょうか?

HM: 『旋律性』という事を考えると、それはフレーシングと音のチョイスが重要であり、どんな楽器かということはあまり関係ありません。
何人かの人達がこのアルバムの中の他のエレクトロニック楽器について、混乱していると思います。例えば、ピーター・シュランブのエレクトリック・ヴィブラフォーンです。その音はまるでギターのようです。アーロンはシンセサイザーで、<Tatra>、< Moment’s Notice><Cold>の3曲を演奏しています。ピーターはエレクトロニック・ヴィブラフォンで<Tatra>、< Moment’s Notice>そして<We Love>を演奏しています。
エレクトロニック・サウンドをアルバムの中に入れるというのは私の個人的な好みであり、現代のテクノロジーを使ったジャズのムーヴメントを継承するものです。

JT: ヴォーカルにケヴィンを選んだのは?このアルバムにヴォーカル曲は本当に必要でしたか?

HM: 随分前からニック・ハキムの<Cold >をカヴァーしたいと思っていました。ケヴィンの声・・・彼の暖かいテナー、彼の持っているソウルフルな息遣いなどはパーフェクトだと思っています。
ちょうどアルバムにスタンダード・ナンバーを加えたような感覚で入れました。<Cold >を入れたのはそんな理由からです。私自身のある部分をケヴィンは表現してくれています。
ヴォーカルによるこの曲をアルバムの真ん中あたりに入れたのは、リスナーにコントラストを感じさせる良い方法だったと思っています。

JT: レコーディングはカンザス・シティでミキシングはニューヨークですね。どんなスタジオでどんな雰囲気でレコーディングしましたか?

HM: カンザス・シティのダウンタウンの北にあるサウンド81 プロダクションズ(Sound 81 Productions)というところで録音しました。アーロン、リック、そしてローガンとカンザス・シティでレコーディングできたというのは素晴らしいことです。私は、これは『カンサス・シティ・ジャズが蘇った』という、世界のジャズ・シーンにおいてとても重要な事を意味していると思っています。これほどの能力のあるミュージシャン達をカンザス・シティが迎え入れ、レコーディングしたという実績を作りました。
このスタジオのエンジニア、ジャスティン・ウィルソンはこのプロジェクトにおける影の天才的な立役者です。彼は素晴らしいサウンドをどうコンピューターに取り込むか、という事をよく知っています。ジャスティンとは、数年前にスタン・ケスラーやマイク・メセニーと一緒にレコーディングした時に初めて会いました。彼とはとても仕事が一緒にやりやすかったです。彼は、今回のレコーディングをとても楽しんでやってくれ、私はまた近いうちに彼と一緒に仕事をしたいと思っています。
マスターリングはニューヨーク・シティでデイブ・ダーリントンがやってくれました。彼は多くの偉大なジャズ・ミュージシャン達と一緒に仕事をしています。

JT:今回の CDの出来に満足していますか?

HM:はい、『Bleu』の出来にはとても満足です。私自身をとてもよく表現したCDに仕上がったと思います。私もよく吹けたし、バンドもとても良かった。私自身のやり方でよくやり遂げたと思います。10年先でも今回のCDの出来には嬉しく思うでしょう。自分自身では、オリジナルナンバーとスタンダード・ナンバー両方を聴かせるプロジェクトが必要だと思っていました。
今回のプロジェクトには演奏スタイルのバランス、ソロ、局の順番、グループの雰囲気など私自身の沢山の思いを入れました。
加えて、アート・ディレクションを担当してくれたジェイムス・オマーラはこのCDをよりエキサイティングなものにしてくれました。

JT:次のステップ、プランについてはどう考えていますか?

HM: 今、このCD のリリース・パーティーとツアーをセッティング中です。と、同時に次のプロジェクトのためのコンセプチュアルなアイデアについて準備し始めています。次のプロジェクトはちょっと違う方向に行こうと思っています。でも、やはり『Bleu』の流れに沿うもので、同じようなメンバで行きます。
そして、もっと日本とヨーロッパのジャズシーンにコミットし私のキャリアを築き上げて行きたいです。

( 2017年5月14日)

♪ハーモン・メハリ&サポートメンバー、プロフィール
ハーモン・メハリ (Hermon Mehari-trumpet, composer, arranger)
1987年7月25日ダラス生まれ。5才の時にミズーリ州、ジェファーソン・シティへ移り、2006年より UMKC (ミズーリ大学カンザス・シティ校)で学ぶためにカンザス・シティへ移住。大学ではボビー・ワトソンに師事する。ハイスクールの学生の頃よりプロとしての演奏活動を始め、現在カンザス・シティで若手ナンバー1のプレーヤーとして活躍する一方、フランス、スイス、スペインでの活動も積極的に行う。
2008年ナショナル・トランペット・コンペティション優勝、2010年インターナショナル・トランペット・ギルド・ジャズ・コンペティション2位、2014年インターナショナル・セロニアス・モンク・コンペティションではセミ・ファイナリストとなる。
2009年、自らリーダーを務めるバンドで『DIVERS 』、2014年『Our Journey』のCDをリリースするほか、ボビー・ワトソンの最新作『Check Cashing Day』やマイク・メセニー、スタン・ケスラーといったカンザス・シティ在住ミュージシャンとの『A Kansas City Trumpet Summit』等のレコーディングにも参加。また、ジャリール・ショウ、ランディ・ブレッカー、ヒューバート・ロウズ、ベン・ヴァン・ゲルダーやマット・ブリュワー等との共演も行う。

ローガン・リチャードソン (Logan Richardson)
1980年7月29日ミズーリ州、カンザス・シティ生まれ、育ち。サクソフォーン奏者。
リチャードソンはカンザス・シティ・ジャズ・レジェンドのジェイ・マクシャン、クロウド ”フィドラー”ウィリアムズ、アーマド・アラディーン等にジャズの基本を学ぶ。
さらに、ハイスクール時代に、マックス・ローチ、クラーク・テリー、ケニー・バレル、マーカス・ヴェルグレイブ、ジミー・ヒースなどに指導を受けるチャンスにも恵まれる。16歳の時に、ビル・マグロウィン率いるカンザス・シティ・シンフォニー・オーケストラのパーフォーマンスにゲストとして招かれたことが彼の人生を大きく変えた。
19歳でボストンのバークレイ音楽学院で学ぶためにカンザス・シティを離れ、ボストンに移る。ボストンに1年在住後、ニューヨーク・シティのニュー・スクール・ユニヴァーシティから奨学金を全面的にもらえるようになり、ニューヨークへ移る。
2006年、デビューアルバム『Cerebral Flow』、2009年『Ethos』をリリース。2011年に活動をインターナショナルに広げていく為に、ニューヨークからパリへ移住。
2011年、コンコード・レコードのプロジェクト『NEXT Collective』のプロジェクトにアルトサクソフォーンプレイヤーとしてだけでなく、アレンジャー、プロデューサーとしても参加。
2015年、ブルーノートレーベルより『 SHIFT』でメジャーデビュー。パット・メセニーやジェイソン・モラン、フレディ・ウェイツらと共演。
2017年、ジョン・クレイトンの息子のジェラルド・クレイトンのカルテットでインターナショナルツアーに参加。

アーロン・パークス (Aaron Parks)
1983年10月7日、ワシントン州シアトル生まれ。
14歳でシアトルの『Transition School& Early Entrance Program』に参加し、コンピューター・サイエンスと音楽を同時に学ぶ。
15歳の時に、グラミー・ハイスクール・ジャズ・アンサンブルに大きな刺激を受け、ニューヨーク・マンハッタン・スクール・オブ・ミュージックへ移る。在学中、最後の年にテレンス・ブランチャーズのバンドのツアーに参加、3枚のブルーノートレーベルのアルバムに参加。(うち1枚は
グラミー賞をとった『A Take of God Will』。
その他、ジャームス・ファームのグループ、ジョシュア・レッドマンのカルテットなどにも参加。
2003年以降、30枚以上のアルバムにサイドメンバーとして参加。ニューヨーク州、ブルックリン在住。

ピーター・シュランブ(Peter Schlamb)
1988年2月15日、ミズーリ州、セントルイス生まれのヴィブラフォニスト。カンザス・シティ在住。
ニューヨーク、ニュー・スクール・ユニヴァーシティ卒業。
デビューアルバム 『Tunks』を2014年に発表。デヴィッド・ビニー、マイク・モレノ、ベン・ヴァン・ゲルダーらと共演。
シュランブは近年、自身がリーダーを務める『Electoric Tinks』とベン・ヴァン・ゲルダーのカルテット、いくつかのアンサンブルとの共演も行なっている。

ライアン・J・リー (Ryan・J・Lee)
ミズーリ州カンザス・シティ生まれ、育ち、在住のドラムプレイヤー。
UMKC(Universty Missourri of Kansas City, Dance and Music Concervatory)ボビー・ワトソンの門下生。
ボビー・ワトソン、シェール・ジョーンズ、フォセ・ジェイムス、グレッグ・ギスバード、ローハン・リチャードソン、ベン.ヴァン.ゲルダー、ハーモン・メハリなど数多くのミュージシャンたちとの共演経歴を持つ。
ボビー・ワトソンの元で学んでいた2008年、ジーン・ハリス・ジャズ・コンペティションにハーモン・メハリ率いるグループの『DIVERS』で参加し、一位を獲得する。
リーはサイドメンにとどまらず、バンドリーダーとして彼の新しいグループ『 Mezzo Strings』を率いて活動している。

リック・ロサト(Rick Rosato)
1988年、6月3日、モントリオール生まれの生粋のカナダ人ベースプレイヤー。
18歳からプロとして活動を始め、2010年にニューヨークのニュースクール・フォー・ジャズ&コンテンテンポラリー・ミュージックを卒業。
2010年の秋、モントリオールのUpstairs Jazz Clubに3ヶ月間の契約で出演し、その後数多くのミュージシャンたちと共演。
現在はインターナショナルにStranaban/Zelleski/Rosato,や、ベン・ヴァン・ゲルダー。ギラド。ヘクスルマン、ウィル・ヴィンソン、シェイ・マエストロなどと活動を行なっている。

 


Reviews CD/DVD Disks #1422
『メニー・サイズ・オブ・ハーモン・メハリ』か?
~ハーモン・メハリ『Bleu』を聴く~

 text by Nobuto Sekiguchi 関口登人

Kansas-52-01

1. TATRA ( composed by Peter Schlamb) [6:22]
2. ELEVEN THIRTEEN (Une Nuit Noire) ( composed by Hemon Mehari) [7:42]
3. DON’T YA THINK(Interlude)( composed by Hermon Mehari & Dominique Sanders ) [0:51]
4. MOMENT’S NOTICE ( composed by John Coltrane)[5:55]
5. AWAKENING ( composed by Hermon Mehari) [4:42]
6. COLD ( featuring Kevin Johnson)( composed by Nick Hakim)[3:50]
7. SUNSET PARK (composed by Max Cudworth)[5:31]
8. OUR JOURNEY REVISITED ( composed by Hermon Mehari) [4:28]
9. I’VE GROWN ACCUSTOMED TO HER FACE ( composed by Frederick Loewe and Alan Jay Lerner) [4:39]
10. WE LOVE ( composed by Hermon Mehari) [5:13]

Produced by Hermon Mehari and Jazz LP – Record to Rebuild
Recorded at Sound 81 priductions ( Kansas City Missourri)
Mastered by Dave Darligton ( New York City)

ハーモン・メハリのアルバムが届いた。
すでにこのコラムで彼の参加したアルバムは、カンザスの重鎮ボビー・ワトソンの高弟達によるグループ『DIVERSE』の同名作品とニューヨークを活動の拠点にしているカンザス出身のドラマー、マット・ケインの『Acknowledgement』の2作品紹介している。リーダーではないものの卓越したテクニックと優れたアイデアの片鱗をしめしてはいたが、いささか控え目な印象がぬぐえなかった。
しかし、今回は初のリーダーアルバムである。彼の思いの丈がこめられているはずである。インタビューでも語っているがアルバム作りの根底に「ヴァラエティ~多様性」をおいていると言う。そのためにはコントラストが必要だとしている。挙げている要素としてはコントラストをイメージしにくいものもあるが、言わんとしていることは聴き手を飽きさせないための工夫が必要だということだと思う。
事実<TATRA>の幾何学的なテーマやピーター・シュランプのエレクトリック・ヴィブラフォン、<Eleven Thirteen>での効果音はインタールード、アブストラクトなコルトレーンの<Moment’s Notice>ではけっこうアグレッシヴなインプロ交換がある。<Awakenning>ではテンポの変化、<Cold>ではケヴィン・ジョンソンの味わいあるヴォーカルまで配置されている。他にもストップタイムを仕掛けてみたり、テンポの変化の試み、スタンダードにピアノとデュオでまじめに取り組んだりと、まさに変化と多様性に満ちた試みがなされている。もちろん様々な仕掛けがなされているけれども本筋のインプロヴィゼイションは堪能できる。
それにしても、ここでのハーモンのインプロは素晴らしい。メロディーラインの美しさ、以前からの持ち味である繊細で滑らかな音色に張りのある艶やかさも加わり、前作、そして来日した際のジャムセッション時を凌ぐ充実感を与えてくれた。
他のミュージシャンも聴きもので、特に”カンザスの”とはもはや括れないアルトサックスのローガン・リチャードソンが説得力のあるソロ展開で今後が楽しみだ。
インプロヴァイザーとしてだけではない、プロデューサーでもあるハーモン・メハリの船出を祝いたい。


関口登人 Nobuto Sekiguchi
1960年頃からジャズを聴き始める。1968年早大法学部卒 在学中はモダンジャズ研究会に所属。以後、あのころの感動を求めて、ン十年聴き続けているが、聴き続けるしかないのかもしれない。


*関連リンク

Interview 136. ハーモン・メハリ
https://jazztokyo.org/interviews/post-15105/

カンザス・シティの人と音楽
43. ハーモン・メハリがやって来た!
http://www.archive.jazztokyo.org/column/takemura/part043.html

 

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。