#1480 『灰野敬二 ジョン・ブッチャー / 光 眩しからずや』
Reviewed by 剛田武 Takeshi Goda
Keiji Haino, John Butcher – Light Never Bright Enough
灰野敬二 ジョン・ブッチャー『光 眩しからずや』
LP/CD Otoroku – ROKU018 / ROKU018CD
Keiji Haino : Vocal, Guitars, etc.
John Butcher : Saxophones and Feedback
1 I* 6:30
2 II* 6:49
3 III 17:43
4 IV* 6:18
5 V 16:57
*CD/DL only
Recorded live at Cafe OTO on the 9th July 2016 by Luca Consonni.
Mixed by John Butcher.
Mastered by Giuseppe Ielasi.
Photography and design by ORGAN
Cafe Oto https://www.cafeoto.co.uk/
OTOROKU https://www.cafeoto.co.uk/shop/
魂の交わりを約束する眩しからぬ光の導き。
イギリス前衛ジャズ界のベテラン・サックス奏者ジョン・ブッチャーと灰野敬二が初めて共演したのは2016年1月9日(土)香港The Empty Gallery。丁度半年後の同年7月9日(土)ロンドンCafe Otoで2度目の共演を果たした。そのライヴ録音が、各500枚限定のLPとCD、そしてデジタル・ダウンロードでリリースされた。収録曲はCDとダウンロードがLPよりも3トラック多い。
昨年12月に15年振りに訪れたロンドンで、運良くジョン・ブッチャーのライヴをCafe Otoで観ることが出来た。イギリスの前衛文化の震源地と言われるCafe Otoは、意外にこじんまりしたレトロ感覚のオシャレな店で、ロンドンが10年振りの降雪に見舞われた寒い夜にも関わらず、熱心な音楽ファンやミュージシャン風の若者で盛況だった。この日はジョン・ブッチャー(ss, ts)、マット・デイヴィス(tp)、ドミニク・ラッシュ(b)等5人のミュージシャンによるリズムレスの即興セッション。ブッチャーは変化の少ないロングトーン中心で、フレージングやメロディではなく、音色や波形の起伏でアンサンブルを背後からコントロールするドローン演奏を聴かせた。西洋の即興シーンでは、このようなアンビエント/ドローン系の演奏を好むアーティストやファンが少なからず存在する。例えばサーストン・ムーア(元ソニック・ユース)のギターはノイジーではあるが、空間を切り裂くのではなく塗り潰すプレイと言える。
一方、灰野敬二の演奏は、ギターでもエレクトロニクスでも、もちろんパーカッションでも一音一音の違いを意識し、息継ぎやブレイクのない連続したロングトーンやフィードバックであっても音と音の間に意志を集中させると語っている。それは音量や音数の問題ではなく、音楽創造に於ける、日本的な「侘び寂び」に通じる「間」の意識である。その一方で雅楽や能楽に象徴される変化の少ない日本古来のドローン音楽も存在するから、日本と西洋の音楽演奏意識の違いを八百万の神の神道祭祀主義と、一神教のキリスト教の原罪主義の相違に求める議論は無為であろう。
閑話休題。筆者が観たブッチャーの演奏は勿論その日のセットに合わせたスタイルに他ならない。しかし筆者が所有する『John Butcher / Bell Trove Spools』(2012)、『Otomo Yoshihide, Sachiko M, Evan Parker, John Edwards, Tony Marsh, John Butcher / Quintet/Sextet』(2013)、『RED Trio + John Butcher / Summer Skyshift』(2016)といったアルバムで聴けるブッチャーのプレイは、ライヴの印象に通じるドローン演奏が中心である。
灰野とのコラボレーションに於いて、もしブッチャーがドローン演奏に固執したとしたら、変化を希求する灰野と溶け合うことなく分離したまま平行線を辿るか、どちらかが寄り添って主従関係が生まれる危険性もある。自覚的な演奏家にとっての「自主性」とは、交わりを作らないことではない。交わるからこそ自覚的な「独立」「孤立」が意味を持つのであり、最初から接点がないところには何も生まれないことは自明の理である。その意味では『光 眩しからずや(Light Never Bright Enough)』というタイトルは、この演奏空間に於ける灰野とブッチャーの接点の本質を見事に言い表している。どんなに明るい光であっても、二者が接点を保ちつつ別の方向へ離れたり近づいたりする限りは、障壁にはならないし、逆に目的にもなり得ない。「眩しからぬ光」を保つことが、両者が共に変化し発展し続ける動機であり要因であり目的であり希望である。
灰野は”歌、ギターetc.”とクレジットされているが、ポリゴノーラやパーカッション、チャルメラなど多様な楽器を演奏。ヴォーカルはあるが筆者が聴く限りでは明確な歌詞は聴き取れない。だからといって無言歌とは言い切れないのが、灰野の「歌(Song)」の特徴である。ここで聴けるブッチャーの変化に富んだプレイは、「ドローン演奏家」という筆者の思い込みヘの嬉しい裏切りであり戒めであった。聴き手としても常に「眩しからぬ光」を灯して音楽と対峙したいと決意を新たにした。
(2018年1月28日 剛田武記)