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CD/DVD DisksNo. 305

#2260『アート・ペッパー/網走コンサート 1981』(完全版)
『Art Pepper Unreleased Art, Vol.1:The Complete Abashiri Concert 1981』

text by Masahiro Takahashi 高橋正廣

BSMF-7686  ¥3,600 (2CD)+税

Art Pepper (as)
George Cables (p)
David Williams (b)
Carl Burnett (ds)

DISC 1
1.Landscape
2.Besame Mucho
3.Red Car
4.Goodbye
5.Straight Life

DISC 2
1.Road Waltz
2.For Freddie (Part One)
3.For Freddie (Part Two)
4. Body And Soul
5. Talking
6. Rhythm-A-Ning
7. Blues Encore (Incomplete)

録音:1981年11月22日 北海道・網走


最初からプライベートな話で恐縮だが、半世紀以上前に初めて買ったジャズのレコードがチャーリー・パーカーの『Bird Symbols』だった筆者にとってビ・バップとアルトサックスはジャズ・スピリットを形成する基本元素のような存在だ。

チャーリー・パーカーという一人の天才がジャズ界に与えた影響は計り知れず、彼とその仲間たちが開発したビ・バップというスタイルにはモダンジャズのエッセンスが詰っている。

ビ・バップ以降のアルト奏者を挙げるとき、リー・コニッツ、ハル・マクシック、ポール・デスモンドらごく僅かの例外を除けばパーカーの影響を受けていないアルト奏者は見当たらない。ソニー・スティット、ルー・ドナルドソン、ジャッキー・マクリーン、キャノンボール・アダレイ、ソニー・クリスにエリック・ドルフィーら黒人プレーヤーは勿論、フィル・ウッズ、バド・シャンクといった白人プレーヤーもornithology(鳥類学)上、パーカー・チルドレンに分類されよう。

中でもアート・ペッパーは言うまでもなくパーカーの影響を色濃く受けているが、それは音楽のみならず生活面(つまり麻薬禍)でも大いに影響を受け、パーカー同様に破滅的な人生を歩むことになる。
麻薬がジャズ演奏にプラスに作用することは世上全面的に否定されていることは事実だが、ペッパーの演奏を聴いていると、存外健常人の創造力を超えた閃きを与えたという可能性を肯定しても良いのではないか。
麻薬禍による体力的・精神的消耗と引き換えにペッパーはめくるめく陶酔感を得たのかもしれないし、忘我の一瞬に厭世的気分をも忘却することが目的だったのかもしれない。

事実、麻薬禍による投獄、空白期間を挟みながらも1956年から57年に掛けてペッパーが残したワンホーンの諸作;

・The Return Of Art Pepper (1956/8 Aladdin)
・Marty Paich Quartet featuring Art Pepper (1956/8-9 Tampa)
・The Art Pepper Quartet (1956/11 Tampa)
・Modern Art (1956/12~957/1 Tampa)
・Art Pepper Meets The Rhythm Section (1957/1 Contemporary)
・The Art Of Pepper (1957/4 Omega)

これらはまさしくアルトサックスの即興演奏の完璧な姿を記録した金字塔といえるアルバムだ。しかし筆者はそれらの作品群こそが後にペッパー自身を苦しめる結果に繋がったと考えている。Contemporaryに残した1959年の『Art Pepper +Eleven』、1960年の『Gettin’Together』同『Intensity』に聴かれるペッパーは、かつて村上春樹氏がその著「ポートレート・イン・ジャズ」で指摘したように “俺はこんなんじゃない” といった苛立ち、つまりかつて到達した境地に遠く及ばないことを自身が自覚しているように思われてならない。この苛立ちこそが更なる麻薬への依存を深めることとなったことは否定できず、ペッパーは70年代前半までを獄中や麻薬療養所で過ごすことになる。長い麻薬との闘いを経て復帰した Contemporary の75年作品『Living Legend』以降のペッパーは一部のアルバム(例えばラス・フリーマンとの久々の邂逅となった1978年の Trio/Interplay盤『Among Friends』)を除けば、どれも吹っ切れたというよりも何かに憑かれたようにハードボイルドなモード路線を生き急ぐ。1979年 Trio盤のElvin Jones『Very R.A.R.E.』を聴くと「コルトレーン何するものぞ」といったペッパーの激奏に驚嘆する。このペッパーの変貌の陰にはフィル・ウッズがハード路線に転換してユーロピアン・リズムマシーンで成功を収めたことが背景にあったのかもしれないと思うのは筆者の邪推だろうか。

復帰後のペッパーは1977年以後日本公演を度々行なってかつての哀愁のアルトを知るファンを喜ばせる。それらのライヴは Trio盤『Art Pepper/Memorial Collection Vol.1,2,4』、Polydor盤『Art Pepper/First Live in Japan』として記録されているので機会があったら聴いて欲しい。

さてペッパーの最後の来日コンサートは1981年11月22日網走市民会館で行われる。その記録となった『The Complete Abashiri Concert』と題された本アルバムではまず共演者のピアニスト、ジョージ・ケイブルズに触れなければならない。1944年生れのG.ケイブルズはペッパーとは丁度20歳違い。この両者は1976年 Contemporary 盤『Trip』で初共演して以来、度あるごとに共演を重ねパッパーはケイブルズに全幅の信頼を寄せていたのではないか。ペッパーのラストレコーディング作として知られる1982年5月吹込みの Galaxy盤『Goin’Home』は2人のデュオ作品であることも2人の縁を感じさせる。本アルバムにおけるケイブルズのピアノはペッパーのサポート役としての役割を超える素晴らしい輝きを見せる。ドラマーのカール・バーネットはケイブルズの初期アルバム Trio盤『Why Not』に参加していて長い付き合いがあるようだ。またシダー・ウォルトン(p)とのコンビで知られるデヴィッド・ウィリアムズは堅実なプレイで筆者のお気に入りベーシストの一人。

Disc1の1曲目<Landscape>。これがケイブルズのソロの途中からのフェードインという不完全ヴァージョンなのが残念ではあるがケイブルズ以下のリズム陣の集中力の高さが伝わってくる一方、その後に出て来るペッパーのソロに聴かれる起承転結の話法は流石。アルトサックスの音域の全てを使い切らんとするほどのメロディの起伏に富んだソロを展開する。ウィリアムズのベースソロのパートでは熱気を孕んだピチカートがライヴならではの緊迫感をもたらす。ペッパー、ケイブルズ、バーネットの4チェースへと雪崩込んでラストのテーマへと収斂する。

2曲目はペッパーの十八番<Besame Mucho>。果たしてペッパーは生涯にこの曲を何度吹いたのだろうか。モード調のイントロが1分ほど続いた後に、主旋律が出て来る。ペッパーに限らず、この曲、多くのプレーヤーによって名演を生んだからこそ名曲と言われるのだろう。元々ソロの断片性に優れているペッパーだがここで聴かれるソロは断片性の集積に止まっていない。ケイブルズのソロもこの曲の持つエロス?から触発されたようにめくるめくフレーズを連発して魅了される。続くウィリアムズとバーネットとの掛け合いがライヴならではの演出に富んでいて会場を沸かせているのが伝わって来る。ラストのテーマに戻っても曲の持つ磁力が強いせいだろう、テーマの断片が魅力的に散りばめられていて一発勝負のライヴとは思えないほどの集中度の高さがうかがえる。これぞ超一流のプレーヤー同士の技と言うべきだろう。

3曲目<Red Car>。ウィリアムズの波動的なベースとビートの効いたジャズロック調の明快なテーマを持つファンキーなナンバー。こういうシンプルなリズムパターンは後期ペッパーにとって寧ろ演奏の自由度を増すという効果に於いては意味があったのではないか。後期のパッパーが時折見せるフリーキーなトーンが抑えられていて適度のファンクネスが心地良いソロだ。知性派ケイブルズが精いっぱいアーシーなソロを取るのも珍しく、バーネットの熱いドラムソロも交えて4人のメンバーの熱量がヴィヴィッドに伝わって来る。

4曲目<Goodbye>。ペッパーが曲紹介で言っているようにゴードン・ジェンキンス作のこの曲は実にセンチメンタルで美しい。原曲を活かしたスローバラッドはライヴ会場の熱気を鎮めるに相応しい選曲だ。ペッパーは曲を吹くというよりも歌詞そのものを唄うがごとき吹奏でバラッド吹きの矜持を示す。ケイブルズの抑制の効いたリリカルなピアノは正に彼の持ち味を如何なく発揮していると言えるだろう。情感の篭もった素晴らしいパフォーマンスだ。ペッパーのこの選曲は当日の網走に集まった聴衆に向けての別れの挨拶だったのか。

5曲目<Straight Life>はペッパーの自叙伝のタイトルにもなっている彼のオリジナル。初期のアルバム『Surf Ride』におけるJ.R.モントローズ(ts)との共演が初出と思うがペッパーの代表曲の一つに挙げられる。超ハイスピードの疾走感が気持ち良いナンバーでペッパーはバーネットの煽りに乗って切れ味鋭く熱いソロを展開、アルトサックスという楽器から全ての音を絞り出すような白熱のブロウが炸裂する。ケイブルズの憑かれたようなピアノも尋常ではない神懸ったテンションで圧倒されるばかりだ。ケイブルズに限って言えばこの演奏が白眉。バーネットとペッパーの4チェースにも殺気立った something が宿っている。これがファーストセットの最終曲らしくペッパーによるメンバー紹介に観衆の拍手と歓声が交じってクロージング。

Disc2の1曲目。<Road Waltz>。3拍子のブルージーなオリジナル・ナンバー。リーダーの意向だろうか、よくコントロールされたバックの演奏に対して一人ペッパーがクールからバッピッシュで激情的なフレージングまで自在な吹きっぷりでワン&オンリーな存在感を示している。

2曲目<For Freddie (Part One)>。テーマの途中、41秒で切れる不完全トラック。

3曲目<For Freddie (Part Two)>。モード調のナンバーで当時のペッパーの嗜好が見えて来る。ペッパーのやや不機嫌そうなソロからケイブルズのソロに移る時のブリッジのアレンジが面白い。この日のケイブルズの好調を示す快演がここでも充分に楽しめる。再びブリッジを挟んでウィリアムズの凄みのあるベースソロが圧巻。

4曲目。<Rhythm-A-Ning>はご存じ、セロニアス・モンクの有名曲。ウィリアムズの躍動的なウォーキングベースに乗ってぺッパーの知的構成力に富んだソロの組み立てが見事。モンクの呪術性の強い曲と上手い付き合い方をしているソロだ。それに較べると同じピアニストのケイブルズのソロはモンク的引力圏に引っ張られている印象で、この辺りが吹奏楽器と鍵盤楽器との違いだろうか、実に興味深い。続くウィリアムズの強靭なピチカートのソロはベース好きでなくとも満足する出来だろう。曲はバーネットのドラムソロで盛り上げてテーマに戻り、ペッパーによるメンバー紹介。これがセカンドセット終了なのだろう。ここで聴衆から「アンコール」の連呼となる。

5曲目。<Body &Soul>は1930年の旧い歌曲でビリー・ホリデイの名唱やテナーサックスの父コールマン・ホーキンスの無伴奏ソロの演奏で広く知られるところとなり多くのミュージシャンが取上げて名演を残している。ペッパーは前述の『The Art Of Pepper』でも吹いている。身も心も愛する人へ捧げるという歌詞だけにインストではエモーションの表現力が試されるナンバーだ。ペッパーは情緒纏綿たる吹奏に哀惜を滲ませて情感たっぷりに唄い上げていて、これは正に「音楽に身も心も捧げます」というペッパーの心情の吐露なのかもしれない。この演奏、全てのサックス奏者に「バラッドはこう吹け」と言いたくなる。これがペッパーの死の1年前の演奏であることを抜きにしても涙無くしては聴けない珠玉の1曲。ケイブルズ、ウィリアムズ共に抒情を漂わせたソロで主役に寄り添っている。

6番目のトラックはペッペーが音楽の素晴らしさを語る短いトーク。

ラストとなる7曲目は<Blues Encore>と名付けられているのでまさしくアンコール用のナンバーだろう。ライヴの興奮を鎮めるかのように、更にはカタルシスの余韻を味わうかのようにペッパーのアルトが会場の空気を浄化してゆくテーマの途中で唐突に終わる。この唐突さがその後のペッパーに訪れた脳溢血による唐突な最期を暗示しているように聴こえて仕方がない。

僅か21,2歳でキャリアのピークとも言える即興演奏の極意を体得してしまったペッパー。ソロの1コーラス、2コーラスに類まれなメロディ・センスの煌めきと起承転結の妙をぎゅっと圧縮する術を身に付けてしまったパッパーにとって、ライヴならではの数コーラスに渡るロングソロをだらだらと空フレーズを垂れ流して、無様な姿をさらすことなど耐えられなかった筈。本作におけるペッパーは緩急自在にしてフレーズの起伏をダイナミックに付けてゆく中で、時にはフリーキーなトーンも辞さないという破天荒さも持ち合わせたソロを展開する。それは最晩年と言えるこの時期、己に残された時間に対する絶望的な焦燥感と温かい聴衆に囲まれて得られた安らぎや諦観が入り混じった多重的な切迫さを持っているのだ。

春に満開の花をつけた桜は開花から満開まで僅か1週間ほど。それは風に吹かれて花吹雪となり葉桜へと姿を変える。そして盛夏を経て秋の深まりとともに桜紅葉となって散ってゆく。そして本格的な冬を迎える直前のうららかな初冬、稀に花を付けることがある。

本作はアート・ペッパーという破滅型の人生を送ったミュージシャンがその最終局面において到達した激情と諦観の狭間にあって、小春日和の北の大地に咲かせた一輪の桜。そう、“帰り花” に違いない。

高橋正廣

高橋正廣 Masahiro Takahashi 仙台市出身。1975年東北大学卒業後、トリオ株式会社(現JVCケンウッド)に入社。高校時代にひょんなことから「守安祥太郎 memorial」を入手したことを機にJazzの虜に。以来半世紀以上、アイドルE.Dolphyを始めにジャンルを問わず聴き続けている。現在は10の句会に参加する他、カルチャー・スクールの俳句講師を務めるなど俳句三昧の傍ら、ブログ「泥笛のJazzモノローグ http://blog.livedoor.jp/dolphy_0629/ 」を連日更新することを日課とする日々。

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