#2302 『Jo-Yu Chen / Schubert & Mozart: ‘Round Midnight』
Text by Akira Saito 齊藤聡
Sony Music Entertainment
Jo-Yu Chen 陳若玗 (piano)
Chris Tordini (bass)
Tommy Crane (drums)
1. Franz Schubert: Piano Trio No.2, op.100 Andante con moto
2. Wolfgang Amadeus Mozart: Twinkle Twinkle Little Star/Sonata No.16 in C major
3. Wolfgang Amadeus Mozart: Queen of the Night’s Aria (Magic Flute)
4. Franz Schubert: heidenröslein D.257
台湾出身のピアニスト、ルォー・ユー・チェン(陳若玗)が5枚目のリーダー作を出した。デビューから一貫して起用しているクリストファー・トルディーニ(ベース)、トミー・クレイン(ドラムス)と組んでのピアノトリオである。彼女は独自のジャズ表現を追求してきたが、驚いたことに、ここにきてシューベルトとモーツァルトの曲を取り上げた。だが、よくある「クラシックのポピュラー化」などではないし、ましてや「クラシックへのジャズリズムの付加」でもない。彼女の表現姿勢はぶれていない。
アルバムはシューベルトの<ピアノ三重奏曲第2番変ホ長調 作品100>の第2楽章で幕を開ける。ほんらいこの楽章はチェロ、ヴァイオリンとのトリオであり、ピアノが主導しての静かな歩みから三者の優美な対話に移り変わる構成だ。ゆったりと着実に美しく進む指づかいは、もとよりチェンの作品において聴くことができる特徴だが、それでは終わらない。タイムキープは柔らかいトルディーニのベースとの共同作業となり、クレインのシンバルワークによる火花が次第に聴く者を刺しはじめる。いったん呼吸を整えて、時間の牽引者のバトンがクレインに渡され、チェンにかれの激しい気性が移るように思えるところがアレンジの妙である。
トリオの音楽的成熟度の高さは、モーツァルトの<きらきら星変奏曲>と<ピアノソナタハ長調第16番>を聴けばわかる。大の付く有名曲を選ぶところがチェンの自信のあらわれだろうか。よくわかっていると言わんばかりに手練れのインタラクションがありながら糸がピンと張りつめている。そして最後にまた「きらきら」するところなんてにくい。
対照的なメタモルフォーゼが<夜の女王のアリア>だ。モーツァルトの歌劇『魔笛』の中の曲だが、心の中に秘めて高音で爆発する復讐心はどこへやら。クレインの巧みなブラッシュワークのもと、チェンは静かに復讐ではなく繰り返しの曲想を自分の音世界として展開する。地獄のような心理状態だからといって激しい音で表現しなければならないわけではない。ここには、独自のサウンドを作りあげてきたというチェンの矜持があるにちがいない。実際、彼女に訊いてみたところ、「オペラ」の追求ではなく、忘れがたいメロディに魅せられたからだと答えた。そして、「モーツァルトへのラヴレターのようなものです。もしかれが作曲家・インプロヴァイザー・ピアニストとして同時代を生きていたとしたらなにをしただろうって、ときどき夢想もしたのです」と。おわりの残響の長さはその証左なのかもしれない。
彼女は、最後にふたたびシューベルトの有名曲<野ばらト長調D 257>をもってきた。一聴それと判らないかもしれない。オブリガードのように奏でた旋律は転調とともに野ばらの姿を現し、聴く者に驚きをもたらす。そしてこの独自解釈のアルバムは思いを込めた和音とともに幕を下ろすのである。これは愉悦といってよい。
チェンはずっとニューヨークに住んでいたが、コロナ禍の影響もあり、現在は台湾とニューヨークを行き来する生活をしている。意図せざるものだったが、それを機に、なにもニューヨークでなくても一緒になにかをやりたいミュージシャンが増えてきたという。ということは、また新たなサウンドが見出されうるということである。
(文中敬称略)
シューベルト、モーツァルト、クリストファー・トルディーニ、ルォー・ユー・チェン、トミー・クレイン