#1292 (3 DAYS) OF MUSIC DEDICATED TO PETER BRÖTZMANN – London Report 1
photo above: Dawid Laskowski (from cafe oto)
text & photo by Daisuke Ninomiya 二宮大輔
I was an idiot.
『Free Music Production FMP: The Living Music』をまとめた Markus Müller から昨年末にメールが来た。内容は去年亡くなった Peter Brötzmann と Jost Gebers の追悼とそのメモリアルイベントの案内だった。添付のポスター画像には縁のミュージシャンがいっぱい。私をフリーミュージックの沼に誘った Brötzmann。そして文字通り鎮められるのかわからないが、彼の鎮魂のために集まるミュージシャンたちを一挙に見る機会はこれから先ないであろう。年明けにライブ会場である CAFE OTO にメールした。CAFE OTO からの返事は、まだ発売前なのにすでに完売であるということ。ん? どういうこと? 私の英語力が無さすぎるためか? よくわからない。Markus にも並行して掛け合ってもらい、Peter のLPジャケットデザインの作品集を勝手にまとめたことや、ライブにも参加する Evan Parker に協力してもらった映像作品など、はるばる極東アジアから来る私にも縁があるということをどうにか説明し、3 DAYS チケットの予約をもぎ取った。しかし去年から個人的どんより運気が続いている。さらに2月のロンドンの天気は不安定と聞き、直近の湿った仕事と重ね合わせ足をとられないよう、予約してからの1ヶ月ちょっと、渡倫への日々を気丈に過ごしながら待った。
フライト時刻は00:05。前日に今回初めて使った HIS のeチケットのリマインドメールも確認し、その日は仕事はせず荷造りもそこそこに近所の下高井戸シネマでロマの音楽映画「ガッジョ・ディーロ」を鑑賞し、書店で『倫敦塔』を買い、差別に耐えるロマの人々の歌を BGM に自宅への帰り道では漱石散歩に思いを馳せる。久しぶりの海外&一人旅に気分も上々。ロンドン滞在も初だが羽田発着の海外便も初なので楽ちんだ。前後に背負ったリュックもそんなに重くないぞ。そして新宿からリッチな気分になれるリムジンバス。30分かそこらで22時前に羽田に着く。エミレーツの空港カウンター前に並ぶ。私の順番が来て前にしょったリュックからパスポートを取り出しカウンター越しのお姉さんに渡す。大きな方のリュックをカウンター横の預け用ベルトに乗せる。これからシートを選ぶんだっけとか思案しながらお姉さんの顔を見ると彼女の顔色が一瞬変わった。そしてこちらを(ゆっくり?)見る。「大変申し上げにくいのですが、この便はもう発っています」「え、まだ10時ですよ」「いえ、今日の0時の便なので……」急にポワポワ〜っとなった。すぐに理解できた。背中に汗が。ああ、コイツ(私)は本当にバカだ。やっぱりバカだったのだ。後ろに並んでいる人も「お前 はバカだ」と言っている(ように視線を感じる)。朦朧としベルトから重い方のリュックを取ろうとするも前のリュックが雪崩れ落ちいっしょに倒れそうになる。力無く受け取ったパスポートと携帯電話を両手に、そしてリュックを両肩に AOYAMA CROWS につつかれボロボロになった案山子のごとくへなへなとエミレーツカウンターから離れた。(本当のロンドンレポートはこのあとです。まだ続く空港でのやりとりや業務時間外の HIS への連絡と航空券再予約は省きます)
航空券ショックで気絶した身ともなれば飛行機恐怖症も薄れる。エミレーツの最新式エコノミークラスは快適だった。ヒースロー着陸時の音楽には何気なく David Bowie を選んだ。ヘッドフォンからたまたま「Starman」と「Ziggy Stardust」の曲順で、タッチパネルでは飛行機前方のカメラ映像を選び、空から待ち焦がれていたロンドンの雲を切り裂き星屑の如く着陸する。このときばかりは、一夜にリムジンバスを2回乗ったことや寝れなかった翌朝の犬の散歩で兎角この旅行を吹聴したわけではないのに隠れるように近所を徘徊したことなど忘れられるような気がした。
空港からピカデリーラインでキングス・クロスへ、そこからバスに乗り換えれば宿に着くはずなのに不運?はまだ続く。宿主が変な人でちゃんとしたバス停名を最後まで教えてくれなかったのだ。また私の英語がいけないのか。しかし B&B というのに朝食もなしになぜそう呼ぶのかわからない。到着後いらいらしながら部屋に荷物を放り投げ、共同風呂とトイレを確かめ今宵と翌朝に備えさっそく買い出しに。間借り宿の近くには大きい公園もあり、カフェやパン屋、移民系スーパーもありロンドン中心部から離れ静かで程よくしっぽり住みやすそうだ。ただ CAFE OTO へはアンダーグラウンドもなくバスも遠回りの乗り継ぎになってしまうので歩いていく。ライブスタートは18:30からとサイトにはあった。1時間前に着けばいいかなと、でもまだ行ったことないところだし少し早めにいくかと足早にダルストン方面へ歩く。日が暮れてきた。
30分くらい歩き大きな通りを南下しダルストン・ジャンクション手前の路地を入ると、マリファナ臭さも あるような薄暗いクランクに長蛇の列。すでに50人以上はいる。当日券か? いやチケットは3日とも完売のはずだ。最後尾に立つ。前の人に話しかける。「これはブロッツマンの蛇ですか」ニコニコしながら「そうだよ。昨日もだよ」と。そうだ、彼らはもう2日目なのだ、私だけ初日。すぐにまた人が来た。私より年上に見える人たちが多い中、彼は若く30代だろう。「昨日来た?」と話しかけた。照れくさそうに「そうだね。もちろん」と。「今日のメンバーもすごいよ」「なんで知っているの?」「編成リストがサイトにある」彼はレコードも持っていた。「どこで買ったの」「アトランティス・レコードはいい。絶対行くべきだよ」
いよいよ始まる。CAFE OTO はいわゆるステージはなくフラットな空間でミュージシャンに近い前の方だけ椅子が設けられているが、特別な予約客以外は高齢者のためといったところか。広さはピットインとスーパーデラックスの間くらい。経営者で進行役の Hamish は元妻の日本人とこのカフェを始めたとは後述する Veryan 談。彼の語りかけるようなやさしい話し方の中にも今回のイベントの特別さが感じられ会場全体の雰囲気もいい。
トップは(2日目のだけど!)いきなり Evan と Han Bennink だ。Evan は最初サックスを吹かずヴォイスのみ。Bennink はハイハットが調子悪いのも何のその。ただ2017年に TOKYO JAZZ で見たときより小さく見えた。短めのを3曲やり、John Edwards がサッと入ってきた。そして私の横を Alex が通り過ぎピアノの前に座る。カルテットでの演奏も2曲で休憩に入る。
次のセットは私にとっての初日ハイライト、Joe McPhee だ。一番ブルージーだった。なんらかの Brötzmann の影を感じた。今考えると明日の演奏にも繋がる落ち着いたリフもあり私の体に染み入った。学生のとき初めて Peter を見て衝撃を受けた記憶。そのあと彼のデザインにも注目して以来音楽だけでなく彼のスタイルの一貫性を顧みながらしみじみと聴けた。William Parker も Hamid Drake もしっかり支えている。
次は先出した John Edwards に女性ミュージシャン2名を加えたトリオ。Camille Emaille と Zoh Amba はこの 3 DAYS(2日間)でおそらく一番若い2人であろう。さらに決して OTO だけでは感じ取れないその容姿と動きとのギャップが聴衆を惹きつける。
しかし、この頃から私の腰は Peter のアルトよろしく悲鳴を上げ出した。空の上では2、3時間は寝たと思うがそれ以外ほとんど2日分寝ていなかったのだ。その女性2人と入れ替わり Steve Noble とのデュオ、サイトの予定リストには Hans Peter Hiby も入れたトリオとのことだったがいなかったはず。いやいたのか? いたのかも。眠気も入り記憶も定かじゃない。さらにもともと Noble のプレイにそんなに興味が湧かないのもあってかこんな興奮状態でもまぶたが落ちてくる。次の Heather Leigh の準備が長い。赤い爪がチカチカ眩しい。こちらもこの日初登場の女性ベーシスト Farida Amadou は弦をオシャレに叩き金属的なビートを出す。しかし大好きな Drake のタムがだんだん違う意味で気持ち良くなってきた。足腰は持ち堪えるが頭の疲れはピークに……なんとこのあとのトリを見ずに帰る決意をする。この追悼コンサートを見るためにはるばる東京からやってきたのに全部見なくていいのか!(もうすでに1日見逃している)明日もあるんだ、と自分に言い聞かせ、とうとうそのセットが終わると同時に CAFE OTO をあとにした。
2日目(本当は 3 DAYS 最終日)。午前中は Markus Müller の FMP についての講演があった。バスで遠回りしカフェに寄ったり揚げパンを買ったりしながら CAFE OTO に。Markus とは紙媒体で BRÖTZM デザインを改めて考察したく企画を立てているときに FMP とのやり取りを通しメールで知り合った。2年前 Peter からは病院にいるとメールが来て、そのあと FMP からも Markus を紹介され、高瀬アキさんからも Gebers も体を悪くしていると聞いた。インディペンデントな働きとして今となっては当たり前になっているかもしれないが、ミュージシャン自身が運営するレーベル Free Music Production を60年代後半に Brötzmann と Gebers は立ち上げた。Markus はスライドで Total Music Meeting や Workshop Freie Musik 等の活動の貴重な資料や写真を流しながら、その運営がいかに困難であったか、行政に働きかけ助成金をもらいながらも私財をなげうちミュージシャンとの対話を忘れずスタジオを作るなど、さらに制作面においては録音や撮影・デザインにまで渡る Gebers 夫婦の功績を紹介しながらも、自身が追走するようになる状況を思い出してか感極まる。最後に Maggie Nicols や Lindsay Cooper などの女性バンドのワークショップでの貴重な音源を CAFE 内に流し、まだまだ発展するはずであった2000年代のことへも思いを馳せた。
講演が終わったあと Markus に FMP の今後の展望などを質問した。2017年に催された FMP の回顧展のようなことはもうないとのこと。Brötzmann と Gebers が亡くなり区切りとなった。プロダクションとしての可能性は残されているが Gebers なしに以前の FMP の再現はないと。
‘Free’ Music Production
この「自由」という言葉には時代によって当然様々な使われ方や捉え方がある。私なんかは Free MP に限らず、ほぼ再現でしかないレコードを主に聴いて生活している。ミュージシャンたちは、そして Brötzmann は当時何を思い演奏していたのか。ミュージシャンのインタビューや摑みやすくなったネットからの資料からもちろんそれらを読み解くことはできるが、Markus の講演のあと現代社会のこと、自分のことにも照らし合わせ、常識や社会から切り離される覚悟のような、この言葉/単語が同時に持っているある種の錯覚・矛盾・反語めいた何かへの疑問が沸々と湧いてきた。午後のマチネーまで時間がありダルストン・ジャンクション駅周辺を少し歩く。駅はアンダーグラウンドではなくオーヴァーグラウンドである。サイン書体は同じくジョンストンのようだ。昨日今日と同じところの往復ばかり。宿からはジャンクションの北側の通りが何やら騒がしい。スターバックスの店頭でデモンストレーションだった。イスラエルを支援するアメリカの金脈である産業に対する抗議だ。ロンドンは98%はキャッシュレスの電子決済の印象。支払った代金はそのままアメリカへか。そのスタバの横の路地を入って古そうなレンガの建物。CAFE OTO はジャンクションの交差点すぐ裏にある。
CAFE OTO の印象はとってもよい。先に紹介した Hamish だけでなく働いているスタッフの士気も高い。小さいことかもしれないが、ミキサーや照明だけでなく、もぎり担当、バー担当、支払い済みハンコ押し担当ほかみんなやる気に満ち溢れているように感じた。イベントに対するモチベーションが高い。これも後出する Veryan が言っていたが、ほとんどのスタッフがボランティアだそうだ。Brötzmann がそうさせるのか。音楽への愛か。生き生きとやりたいことをやっているからか。
マチネーもまた同じような列だ。隣にいたのは私より少し若いくらいの男性。「昨日も来た?」と話しかけると「もちろんだよ」と。聞くと名前は Evan。ダブリナーだ。彼は「ダモ鈴木が亡くなったね」と言う。知らなかった。こんな話題がでるのも Brötzmann イベントならではか。Evan は以前北海道で英語を教えていたこともありレコードショップのことなど気さくに話してくれる。後ろの初老はノルウェーから。私だけではなく各国から来ているようだ。
さて最初は Camille Emaille とチェロの Fred Lonberg-Holm と Pat Thomas。示し合わせたように3人とも各々の弦を叩くリズムプレイがあり新鮮だった。さらに Heather Leigh と Joe McPhee が加わりクインテットに。ここでも McPhee は控えめだ。そして Paal Nilssen-Love と Ken Vandermark が登場。Nilssen-Love はいつも通り汗だくだ。最後は Schlippenbach と Sven-Åke Johansson の名コンビ。サブレーベル SAJ を生で見れるとは。息のあった2人、ドイツ語の詩も交え笑いも取っていた。
体の疲れもなく音楽三昧、マチネーは半ば夢心地だった。あとは夜のセットを残すのみ。ビールは飲まず近くの喫茶店で一番安いサンドイッチとコーヒーで体力温存。夜の部は McPhee が Brötzmann の語りで迎えてくれるとは知らずに。(London Report 2につづく)
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FRIDAY 9 FEBRUARY 2024, 6.30PM
3 DAYS OF MUSIC DEDICATED TO PETER BRÖTZMANN – CONCERT 2
– Evan Parker / Han Bennink – Duo
– Han Bennink / Alexander von Schlippenbach / Evan Parker / John Edwards – Quartet
– Hamid Drake / William Parker / Joe McPhee – Trio
– John Edwards / Camille Emaille / Zoh Amba – Trio
– John Edwards / Steve Noble – Duo (or with Hans Peter Hiby – Trio)
– Heather Leigh / Zoh Amba / Farida Amadou / Hamid Drake – Quartet
– Mats Gustafsson / Paal Nilssen-Love / William Parker / Pat Thomas / Jason Adasiewicz – Quintet (I couldn’t see the set)
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SATURDAY 10 FEBRUARY 2024, 10AM
3 DAYS OF MUSIC DEDICATED TO PETER BRÖTZMANN
– Markus Müller – ‘FMP: THE LIVING MUSIC’
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SATURDAY 10 FEBRUARY 2024, 2PM
3 DAYS OF MUSIC DEDICATED TO PETER BRÖTZMANN – MATINEE
– Camille Emaille / Fred Lonberg-Holm / Pat Thomas – Trio
– Heather Leigh / Fred Lonberg-Holm / Camille Emaille / Joe McPhee – Quartet
– Paal Nilssen-Love / Ken Vandermark – Duo
– Sven-Åke Johansson / Alexander von Schlippenbach – Duo
二宮大輔
1975年、東京生まれ。喫茶店主。