#877 のなか悟空 &人間国宝 新宿PIT INN/騒乱武士 入谷なってるハウス
2016年2月7日(日)20:00 新宿PIT INN
2016年2月13日(土)15:00 入谷なってるハウス
Reported by 剛田 武 Takeshi Goda
Photos by Takeshi Goda
日本ジャズ・シーンの裏街道を暴走するドラマーが奏でるリアルジャズ
大分出身、70年代に上京し、80年代に『辻説法』と称して公園や街角でドラムを演奏していた異形の音楽家・のなか“悟空”みつまさは、富士山頂、チベット高原、キリマンジャロ山脈、アフリカ大陸、ソマリアなどをドラムを担いで旅する「冒険ドラマー」として知られ、現在も上半身裸の野人的な風貌で「野蛮ギャルド」を喧伝する異端のジャズ・ミュージシャン/文筆家である。
のなか悟空が野外や国外に出るキッカケは、自由を求めて身を投じた日本のジャズ・シーンが、80年代に入って保守的・閉鎖的になり、本当の自由を得るには、外へ出て規格外の活動をするしかなかったからだという。しかし外に出るだけでは本質的には何も変わらないのも事実。硬直したジャズを、内側から壊してしまおうと、のなかは国内で志を同じくする仲間とユニットを組み共同戦線を張っている。そのひとつが30年に亘って率いるコンボ「のなか悟空&人間国宝」であり、もうひとつがより多くの演奏家を巻き込んだ「騒乱武士」である。
この二つのユニットを連続して観る機会を得て、ユニーク極まりない人柄と経歴の中に貫かれる独創的な音楽人生を感じることが出来た。
のなか悟空&人間国宝 VS 灰野敬二
「耳栓必携!狂気のフル・ボリューム合戦!悟空はこの夜のために心臓手術を敢行!」
2016年2月7日(日)20:00 新宿PIT INN
近藤直司(Sax)
ヒゴヒロシ(el-B)
のなか悟空(Ds)
ゲスト:灰野敬二(G)
ドラムを担いで旅をする一匹狼的イメージがある悟空が80年代から30年以上に亘り率いるレギュラー・グループが「のなか悟空&人間国宝」。現在のメンバーは、いずれも渋さ知らズに参加するサックス奏者・近藤直司とベース奏者ヒゴヒロシ。ヒゴは、筆者にとっては高校時代に憧れたTOKYO ROCKERSの代表バンド、ミラーズのドラマーとして馴染み深い。天衣無縫を絵に描いたような悟空の豪快なドラムと近藤とヒゴの激流プレイのフリーフォーム・ジャズを武器にする彼らと、厳格な演奏で知られる灰野敬二の邂逅は、ジャズとロックとジャンルは違えど、ある意味で必然だと言える。灰野は、悟空はもちろん、40年来の知人であるヒゴヒロシとも初共演だという。近藤直司とは20年以上前に豊住芳三郎とのトリオで共演したことがあるらしい。灰野より1歳年上の悟空が昨年秋に心臓手術を受けたのは事実らしい。
イベントタイトルは「ボリューム合戦」となっているが、百戦錬磨のベテラン同士だけあり、音のデカさを競い合う自己主張の張り合いになる筈もなく、1stセットは隙間の多い弱音アンサンブルで実在性を確かめ合いながら、徐々にお互いを高め合うエモーションのクレッシェンドが、生存本能剥き出しの咆哮し合う野人の愛の駆け引きとなりジャズクラブを広大な大自然の最高峰へとワープさせる、ドラマティックな展開に。
トライバルなドラミングが煽動する2ndセットでは、椅子に座った灰野がプリペアドギターで鳴らす非楽音のプリズムの中、近藤のひび割れたバリトンサックスが「ロンリー・ウーマン」のメロディを咽び泣くように奏でる。いわずと知れたオーネット・コールマンのスタンダード・ナンバーだが、アミニズムとシャーマニズムとストイシズムが同居する4者の交歓により、別次元の生き物に生まれ変わった。悟空によれば「泣く女」ではなく「泣き寝入りしない女」だとのこと。悟空がこの日の為に用意したコンクリート粉砕器のドリル音と、生身のギター&サックスが拮抗する摩擦熱に炙られ、汗が滴るハードボイルドな演奏だった。
お互いのリスペクトとシンパシーに溢れた初共演は、演奏者にとってもオーディエンスにとっても、意外性に満ち新鮮で、その一方でどこか懐かしさを感じさせ安心感のある、即興演奏の楽しさを最大限に味わえる歓喜の夜であった。
のなか悟空&騒乱武士 “真昼の決闘ライブ”
2016年2 月13日(土)15:00 入谷なってるハウス
騒乱武士:
のなか悟空(ds)
西村直樹(b)
西田紀子(fl)
クラッシー(指揮.per)
小林ヤスタカ(sax)
鈴木放屁(sax)
石川寧(tp)
天神直樹(tp)
ハル・宮沢(g,MC)
狂瀾怒涛のフリージャズを叩き付ける「人間国宝」に対し、悟空の作曲作品を自由奔放に展開する“縄文ジャズ楽団”が「騒乱武士」である。メンバーは流動的だが、常に10人前後の大編成。この日は9人編成の「三代目J-騒乱武士」(ハル・宮沢談)である。ピットインで悟空のアシスタントをしていたクラッシーが指揮者兼パーカッショニストとしてミュージシャンに指示を与える。
スカ/クレズマー/ワルツ/レゲエ/スウィングといったバラエティ豊かなサウンドで展開するメロディは極めてシンプルで印象的。子供でも親しめる単純さは、世界各地を旅して子供たちを相手に演奏してきたのなかならではの感性だろう。しかしそれは所謂「グローバリズム」ではない。寧ろ「ヒューマニズム」と呼ぶべき、生きとし生けるものが共感できる歓びの歌である。
テーマの後に展開される自由奔放なソロ&デュオ演奏は、子供が嬉しさのあまり羽目を外すように、ドンドン定型演奏から逸脱して行く。その逸脱度合いに差がある(例えば、あくまでモードに忠実な小林ヤスタカのアルトと名前通りに溜まったガスを噴射するような鈴木放屁のテナーの対比に注目)ことが、同じ人間は他に存在しない(私以外私じゃない、という短絡思考は勘弁)千差万別・森羅万象の現世界の投影と言えるだろう。
自ら【命を縮めるライブに精を出している】と語るのなか悟空は、自分が「神」や「創造者」ではなく「ひとりの人間」でしかないことを自覚しており、人間としての「生と死」を積極的に受け入れる覚悟を持っている。すなわち【肉体は老化しても 魂は老化せず!永遠に円熟しないのが ワシ流の円熟じゃ!】と言う訳である。(【】内はのなか悟空公式サイトより)
還暦を超えて益々パワーアップ中の「野蛮ギャルド人」が日本の音楽シーンを面白くしてくれることは間違いない。どこまで規格外な活動をして行くのか、これからも注目したい。(剛田武 2016年2月26日記)
のなか悟空公式サイト
http://homepage2.nifty.com/nonakagoku/goku/