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Concerts/Live ShowsNo. 320

#1333 喜多直毅クァルテット Naoki Kita Quartette

2024年11月6日(水)@東京渋谷・公園通りクラシックス

Reported by Kayo Fushiya 伏谷佳代
Photos by Etsuko Yamamoto 山本悦子

出演:喜多直毅クァルテット
喜多直毅(作曲・ヴァイオリン)
田辺和弘(コントラバス)
北村聡(バンドネオン)
三枝伸太郎(ピアノ)

プログラム:
1. 月と星のシンフォニー
2. 泥の川
3. 警笛のテーマ
4. さすらい人
5. 街角の女たち
6. 鉄条網のテーマ


8月にサード・アルバムを発売、その後のレコ発西日本ツアーを経て2か月ぶりとなる東京公演、2024年度の喜多クァルテット聴き納めともなる。公演タイトルや新曲こそないものの、定番ともいえる6曲が奏された。厳格な演奏スタイルを維持しているクァルテットであることは周知のとおりだが(休憩なしの1時間一本勝負、振り落とされるスコア、途中拍手/アンコールなし)、この日も演出面での精度の高さが際だつ。

通常プログラム前半に奏されることの多い「鉄条網のテーマ」はエンディングに据えおき、「月と星のシンフォニー」、「泥の川」、「警笛のテーマ」といった、泥濘にはまるようなダークな楽曲からスタート。進行とともに、聴き手の意識も内攻・内省から覚醒、解放への行程をたどる。みっしりと堆積してゆく三枝伸太郎のピアノと北村聡のバンドネオンが音空間の密度を担う一方、喜多直毅のヴァイオリンと田辺和弘のコントラバスは、緻密な楽曲の表層を轍(わだち)のように舞い、ノイジーな爪痕を付加してゆく。冒頭の「月と星のシンフォニー」が始まり10分程度経った地点でたっぷりと採り入れられた喜多と田辺のデュオ・インプロヴィゼーションでは、弦の多彩な振幅の狭間から顔を覗かせる深淵、その黒々とした沈黙が雄弁だ。音を脱中心化させたところで語る―これは場数を踏んだ楽曲でこそ醸し出せる円熟味。また、前述した演奏上のスタイルのひとつである「スコアの振り払い」においても、この日の喜多はより豪快でパフォーマティヴ。落下音すら音楽を推進する一翼となる。続く「泥の川」ではピアノの、「警笛のテーマ」ではバンドネオンの単音が主導するモチーフの連鎖は、聴き手の脳裏に諦念と焦燥がないまぜとなった自律した時間軸を産みだす。

時に刃(やいば)のような協奏を各々のソロが受け止める刹那に覗く、流れ落ちるパッション、それを単音に収斂させるタフネス―目の当たりにする度に、クァルテットを構成する個人と総体、その互角の強度を再認識する。

遠雷のごとき倍音の遠近に弦楽器の醍醐味が凝縮された「さすらい人」、悲哀と紙一重のぎりぎりの矜持が華やかに滑りゆく「街角の女たち」を経て迎えた、「鉄条網のテーマ」。どこか懐かしい、円環の感覚だ。狂騒のあとに唐突に現れる凪、つづく掠れたヴァイオリンのメロディはぴったりと呼気に添い(尺八の音色を髣髴とさせる)、コントラバスの持続音は真綿のように時空を包む。クライマックスはさながら祝祭的な囃子(はやし)の趣。

泥土のなかから花が開花するような一連のパフォーマンスは、まさに「因果倶時(いんがぐじ)」。果は、音を合わせる以前の4人のなかにすでにある。(*文中敬称略)




関連リンク:
https://www.naoki-kita.com/
https://twitter.com/Tangoholic?ref_src=twsrc%5Egoogle%7Ctwcamp%5Eserp%7Ctwgr%5Eauthor
https://synthax.jp/RPR/mieda/esperanza.html
https://www.facebook.com/kazuhiro.tanabe.33?ref=br_rs

伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。欧州に長期居住し(ポルトガル・ドイツ・イタリア)各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評(月刊誌/Web媒体)、演奏会プログラムやライナーノーツの執筆・翻訳など多数。

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