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Concerts/Live ShowsReflection of Music 横井一江No. 320

Reflection of Music Vol. 100 JAZZ ART せんがわ 2024


JAZZ ART せんがわ 2024
JAZZ ART Sengawa, November 7 ~ 9, 2024
photo & text by Kazue Yokoi  横井一江


今年仙川に出かけるのは2回目だ。会場であるせんがわ劇場の改修工事の関係で昨年度開催予定の第16回が1月にズレてしまったため、10ヶ月の間をおいて11月に第17回が行われたからである。

JAZZ ART せんがわの面白さは独自のプログラミングにある。総合プロデューサー巻上公一、そして坂本弘道、藤原清登、3人のプロデューサーによる協働体制が功を奏して、間口が広く、新たな出会いのある開かれたフェスティヴァルになっている。JAZZ ART せんがわが取り上げる音楽の傾向に近いフェスティヴァルは世界各地にあるが、このような体制で行われているフェスティヴァルは知る限りJAZZ ART せんがわだけた。昨今、ヨーロッパのフェスティヴァルのプログラミングを見るとどこも独自性を出そうとして、それまでにない顔合わせでプログラムを組みたがっているように見える。それが良い結果をもたらす場合もあるだろう。しかし、ミュージシャンをシャッフルしているようにしか見えないことも間々ある。JAZZ ART せんがわの場合は、各プロデューサーそれぞれ見識が広く、安直なそれとは違ってプログラミングには信頼性があるので、毎回出かけるのを楽しみにしている。

最初のステージは『John Zorn’s Cobra 40周年記念 一 戦争ではなく音楽を琢磨する』。ゲームピースとして名高い<コブラ>が作曲されてから40周年とは。時間が経つのは早い。ジョン・ゾーンは1980年代半ば頃から1990年代にかけて東京にもアパートを持ち、活動していたことから、当時のとりわけ若い世代のミュージシャンに計り知れない影響を与えた。そしてまた、<コブラ>もまた数多く演奏され、特に渋谷 La.mama では、1993年から2000年代初頭まで巻上公一による「John Zorn’s Cobra 東京作戦」が継続的に行われていた。<コブラ>は JAZZ ART せんがわでもフェスティヴァル立ち上げ当初から何度も演奏されている。日本は世界で最も数多く<コブラ>が演奏された国ではないだろうか。

<コブラ>では多様なバックグラウンドを持つミュージシャン他が同じステージで演奏することが可能だ。それはルールが明確にあり、プロンプターがいて、カードやジェスチャーを通した演奏者とのやりとりがあるからだ。昨今、多様性社会ということがあちこちで語られているが、一般社会で価値観の違う者同士が共に生きていくことは、お題目を唱えるだけで出来るような簡単なことではない。実際、さまざまな軋轢が生じているし、世界を見回せばあちこちで戦争や内乱が起こっている。「戦争ではなく音楽を琢磨する」とキャプションにあるように、単に40周年だからということだけではなく、このような意図を持ってステージを企画するということに今という時代に対する批評性が受け取れる。ステージに立った演奏家にはアフリカの楽器ジェンベ奏者である野口”UFO”義徳もいれば、三味線の柳家小春や琵琶の与之乃、またセルパンを吹く東金ミツキ もいるように実にバラエティに富んでいた。巻上はいったい何回プロンプターをやったのだろう。カードを出したり、帽子を被ったり、ゼスチャーで指示を送ったり、即興的に演奏を差配する姿は手練の指揮者のようだ。<コブラ>はライヴを観ている方が楽しい。演奏者それぞれのリアクションがわかるからだ。一瞬ドビュッシーの<月の光>が出てきたと思ったら、そこからかっぽれになっても妙に違和感なく受け入れてしまうのも<コブラ>ゆえだろう。今回も個々のキャラクターと場面ごとに有機的に変化する演奏を楽しんだ。

11月7日『John Zorn’s Cobra 40周年記念 一 戦争ではなく音楽を琢磨する』
武田理沙 (key)  野口”UFO”義徳 (diembe)  山口啓子 (sax)  笠井トオル (b)  与之乃(琵琶)山本達久 (ds)  坂口光央 (key)  柳家小春(三味線)東金ミツキ (serpent)  ファルコン (gt)  Lingua Franka (tp) 坂本弘道 (kaossilator)
プロンプター:巻上公一

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2日目は坂本弘道による『鬼が出るか蛇が出るか、「音の十字路」花は紅編』でスタート、出演は武田理沙 (key)、 SUPERULTRA(箱) (random)、そして 坂本だったが、都合があり間に合わず。出演者の選定といい、音楽的にも前回(今年1月)の「音の十字路」が面白かっただけに見られなかったのが残念だった。来年もこの「音の十字路」があるかどうかは分からないが、次回があることを期待しよう。

夜のステージは10年ぶりに来日したアンドレア・チェンタッツォ Andrea Centazzo (ds)(→関連記事)、 纐纈之雅代 (sax)、藤原清登 (b) 。イタリア生まれのチェンタッツォ だが、ドラムス/パーカッションをピエール・ファーヴルに師事しており、そこから独自の奏法を編み出した。1970年代の終わりからニューヨークのダウンタウン・シーンで後に知られていく当時の若手ミュージシャンと交流、1980年代には自身のIctus Recordsを設立している。マルチメディア・アーティスト、作曲家としての活動のみに専念していた時期もあるが、1990年代の終わりからは演奏活動も再開している。時にコンピュータも用いて繊細で緻密にサウンドを繰り出すチェンタッツォ、藤原のベースは一張一弛、巧みに音世界に変化をもたらし。纐纈も自身で開拓した奏法を駆使しながら切り込み、音響空間が形成される。完全即興だったが、時間いっぱい途切れなく演奏するのではなく、その流れが止まったところで途中演奏を切ったことから複数のパートに分かれた作品のように聴こえた。『宇宙の仙川』というキャプションはチェンタッツォの近年のマルチメディア・プロジェクトを踏まえて付けられたのだろう。果たして、実際に3者の音楽性が相間見え、織り成されて会場に谺したサウンドはまさに「宇宙の仙川」、 稀に見る秀逸なコラボレーションだった。

11月8日『宇宙の仙川』
Andrea Centazzo (perc, etc)  纐纈之雅代 (sax)  藤原清登 (double bass, etc)

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3日目は『いま、祭:フェスティバルを考える』と題したトークで始まった。トークの参加者は、せんがわ劇場元芸術監督ペーター・ゲスナー、岸野雄一、巻上である。この場のテーマに沿って登壇者をみると、ゲスナーはJAZZ ART せんがわを始めようと発案した張本人であり、日本生活も長く、祭りにも詳しい。どのお祭りかは失念してしまったが、祭りで実際に使われている龍頭を持ってきていて、最後にそれを披露していた。岸野は盆踊りのプロデュースにも関わっているとは寡聞にして知らず。巻上はJAZZ ART せんがわの総合プロデューサーであり、熱海未来音楽祭もプロデュースしている。3人がゆるゆると、そして本音で語るのを聞くと音楽フェスティバル、ひいては盆踊りや祭りの現状と問題点が浮かび上がってくる。様々なことを考えさせられるトークだった。

11月9日  トーク『いま、祭:フェスティバルを考える』
ペーター・ゲスナー(演出家、せんがわ劇場初代芸術監督)岸野雄一(スタディスト)巻上公一(JAZZ ART せんがわ総合プロデューサー、音楽家、詩人)

続いて、しりあがり寿 によるライヴ墨絵ドローイング。共演者は坂本弘道である。『40年前ボクは仙川に住んでた』しりあがり寿は、坂本のチェロに触発されるように筆を走らせる。抽象的なライヴ・ペインティングと違い、そこにストーリーがあって、ひとつの漫画が出来ていくのを目撃しているような感がある。それにしても一本一本の線の生きていること。40年前、いや今も変わらない仙川在住?会社員の日常が次々と現れる。朝目覚めて「チコクだ!!」と焦る感覚、しごと、しごとと会社に向かう人、人、人、仕事を終えての「のみ会」、そして「彼女」も。床面には京王線の線路も描かれた。坂本が鉛筆で少しばかり何かを書いたり、ステージに置かれたしりあがり寿自作のバケツを黄色くペイントしてプリンと書かれた打楽器(バケツプリン)を叩くシーンも。ここで描かれた作品は寄付するとのことから、パート毎にタイトルがつけられて、オンラインで購入者を募り、販売代金は JAZZ ART せんがわを継続させるための資金として使うこととなった。

11月9日  『40年前ボクは仙川に住んでた』
しりあがり寿 (live painting)  坂本弘道 (vc, etc)

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3日目最後のステージのキャプションは『「思春期」と「叫び」のはざまにノイズ有り』。これについては巻上がMCで種明かししてくれなければ、なぜ「思春期」と「叫び」のはざまか分からなかった。ベースのエリック・ノーマン Éric Normand とバスクラリネット奏者のフィリップ・ロージエ Philippe Lauzier のデュオが持つ音世界、内在する抒情性とノイズ、エッジに立っているような感覚をムンクの絵のタイトルを借りて表象したのだが、上手くつけたものだと感心した。巻上がこの二人をコロナ前にカナダで観たことから招聘に至る。長年継続的に活動しているデュオに中村としまる (no-input mixing board)、さらに巻上公一が加わってのステージ。バックには前のステージでしりあがり寿が描いたドローイングがそのまま残されている。ノーマンもロージエも特殊奏法を駆使しながらサウンドを空間に放つ、既にデュオとして確立されている二人に中村としまるのノー・インプット・ミキシング・ボードが変化をもたらす。概して機器を操る奏者は動きがないのだが、中村の演奏には身体性を感じる。さらに巻上がヴォイスや尺八で加わることで、これまでのノーマン〜ロージエの世界とは違った展開になったのではないだろうか。巻上とロージエがしりあがり寿のドローイング「彼女」を挟んで絶妙な位置に立っていたのも面白かった。

11月9日  『「思春期」と「叫び」のはざまにノイズ有り』
Éric Normand (b, etc)  Philippe Lauzier (b-cl)  中村としまる (no-input mixing board) 巻上公一 (voice, shakuhachi, etc)

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最終日は外せない所用があったため観ることは出来なかったが、すずめのティアーズ [佐藤みゆき (vo, kaval)  あがさ (vo, gt, frame dr)]が登場し、「子どものための音あそび」、そして「世界地図を飛び越える快感ポリフォニー」と題したステージで服部将典 (bass)  久下惠生 (dr)  巻上公一 (thermin)  纐纈之雅代 (sax) と共演したことを付け加えておきたい。

今回は「CLUB JAZZ 屏風[利休]」が暫くぶりに復帰、また公園ライヴも復活した。最終日には「CLUB JAZZ 屏風」が公園ライヴに登場するということで、初日からせんがわ劇場のホワイエに鎮座していた。やはりこれがないと、何か足りない気がする。「CLUB JAZZ 屏風」はJAZZ ART せんがわの顔と言っていい。来年は、公園ライヴで野に放たれ、野生に還ったミュージシャン、別途にキュレートされた屏風でのパフォーマンス、またフェスティヴァルと街と人々との関係性も考えながら、最後に決まって行われる屏風の障子破りまで見届けたいと思う。

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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