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Concerts/Live ShowsNo. 329

#1379 鈴木瑶子トリオ アルバム『umi』リリース記念ライヴ

text: Mitsuo Nakanishi
photo: Asato Yamada

鈴木瑶子トリオ アルバム『umi』リリース記念ライヴ
2025年8月17日(日)Blue Note Place

メンバー
鈴木瑶子(pf)
小美濃悠太(b)
北沢大樹(ds)

セットリスト
First set
1. umi
2. Unsolved Cubes
3. KOMA
4. Time Goes By

Second set
1. Progress
2. Tipsy Whimsy
3. Apricot Jam
4. Longing
Enc. What a Wonderful World

これまで鈴木瑶子トリオを聴くのは、小さなライヴハウスでのことがほとんどで、満員のオーディエンスに押し出されるようにして、3人が時に鋭くぶつかり合うアイコンタクトの渦中で、全力疾走する彼らの熱い魂に触れてきた私である。それは、成長をやめない彼らの音楽性を浴びることであり、とても幸せなことであった。この経験がなければ、ライナーノーツもアルバムレビューも書けなかったと思う。彼らの演奏はインスピレーションに満ちており、書き手をも育てる音楽家たちなのだ。

しかし、Blue Note Place は少し違う。世界一ともいわれるBlue Note Tokyo の極めて高いサービス品質はそのままに、お盆休みの最終日の日曜日とあって、オーディエンスの服装こそカジュアルだが、あるピンと張りつめた緊張感が確かに保たれている。客席よりやや高いステージも用意されていて、オーディエンスの期待もいやおうなしに高まる。このトリオの結成初期から聴き続けてきたファンを、彼らはここに連れてきたのである。

そして彼らは、そんなプレッシャーを包み込むような高揚感に転化し、すばらしい演奏を聴かせてくれた。通常のライヴハウスよりは短い30分の2セット。ほぼ全曲が『umi』からの演奏である。Blue Note Place は音がよいとは聞いていたが予想以上で、すでにこのことがこのトリオを祝福していたと言ってよい。彼らはこの「プレイス」を自由に泳ぎ回り、おそらく新しい境地に達したのである。

ファーストセットは、アルバムのタイトルチューン “umi” からはじまった。“umi” と名付けられているが、それは海辺ではなく、水平線が見えるわけでもない。はるか頭上の海面に光をいただきながら、深海に向かって沈潜してゆくという、瞑想的な曲である。小美濃悠太のアルコベースと北沢大樹の抑制されたドラムがからみ、漆黒の深海に音楽的空間を開いてゆく。そこに鈴木が一筋の命の糸を導くように静かにピアノを歌わせる。アルバム中最も重い曲だが、この曲が冒頭に置かれることで、このアルバム全体が内包する未来への渇望、希望への道があざやかに開かれてゆく。2曲目は “Unsolved Cubes”。鈴木は、ルービックキューブを最後まで解いたことがないという。しかし、焦燥感が表現されるのではなく、強いドライヴのかかったグルーヴ感のある掛け合いで聴衆を魅了した。3曲目は “KOMA”。「独楽」の高速円運動から着想されたこの曲は、タイトルどおり高速で演奏されたが、この理知的な音符の羅列が、軽やかさの中に豊かな抒情性をもっている。CDでは小美濃のベースソロだったが、今回は特別に北沢のドラムがフィーチャーされた。4曲目は “Time Goes By”。鈴木瑶子のバラードはまことに美しい。静かにピアノが歌いはじめ、なめらかにベースとシンバルがからむ。やがて親密なインタープレイとなるが、お互いを信頼し、自らの楽器を自由に歌わせる一体感は見事だった。

セカンドセットの1曲目は、ブルージーでスローなイントロからはじまり、一転加速してグルーヴに乗る “Progress” である。タイトルどおり「前進・進歩」を歌うジャズの機知に満ちた曲だが、彼らのライヴ演奏を聴いて、感動で目頭を押さえているオーディエンスを見かけた。前向きなメッセージを受け取りながらも、美しさに泣いてしまう楽曲と演奏の見事な奥深さを、このトリオは獲得したらしい。2曲目は、一転して “Tipsy Whimsy”。タイトルどおり酔っぱらいの音楽のように聴こえるが、実はブルースとラグタイムを融合させたジャズの歴史に畏敬の念を表した曲である。使われている和音やコード進行、そしてリズムに、ジャズの先人たちへのリスペクトが表現されていて楽しい。3曲目は、この曲だけ、鈴木のファーストアルバムからの “Apricot Jam”。メロディアスでグルーヴィーな鈴木の真骨頂。小美濃の軽快なベースソロがフィーチャーされ、やがて鈴木のピアノも北沢のドラムも歌いはじめる。このトリオの成熟のプロセスを目の当たりにするようだった。4曲目となる本日の最終曲は、せつなく美しいバラード “Longing”。あえて音の数を少なくし、音符と音符の間の響きをも聴かせる名曲である。アルバムの中で最も抒情性の高いこの曲でライヴを閉じることを、オーディエンスも望んでいたに違いなかった。そしてそのことを一番理解していたのが鈴木瑶子だったのである。

アンプで強調された小美濃悠太のベースの低音の美しさは、アルコにしてもピチカートにしても妙なる深度をもち、ときに演奏をリードし、時にサポートに徹する姿勢は、彼がこのトリオの要であることを改めて知らしめた。小美濃の包容力は豊かですばらしいが、このライヴでのバランスのよいフィーチャーは、彼の存在感にふさわしいものだった。それに絡むのが北沢大樹のドラムで、美しいシンバルレガートはお手の物だし、情熱的でありながら抑制的な演奏で、アンサンブルを壊さないばかりか、調和の中心にいた。音は乾いていてデッドだが、小美濃のベースとのバランスが抜群であった。鈴木は、その二人を絶対的に信頼して、意のままにピアノを歌わせていく。とても自由だった。口ずさむメロディが、思いつく和音が、そのまま指先に伝わり鍵盤を叩く。それを疑うことなくできるがゆえの自由さを、心から堪能している。私にはその姿が美しく輝くように見えた。オーディエンスは、ミュージシャンたちの幸福のおすそわけを心から堪能したのである。私はライナーノーツに「鈴木瑶子はアンサンブル重視のコンポーザー&ピアニストだ」と書いたが、余計なこととは知りながら、その慎ましさを私なりに心配もした。しかしこの夜の鈴木瑶子はもう完全に次のステージにいた。楽曲に対し、また演奏に対して、遠慮なく闘いを挑む姿がそこにはあった。決して攻撃的ではないが、よりよい音楽のためには命がけの、その容赦ない姿勢で演奏を作り上げる音楽家の存在感を見たように思う。ここまで来たらもう後戻りはできない、のっぴきならない覚悟を感じるステージであった。もちろん鈴木はいつもと同じように微笑んでいるだけなのだが…。

この日の公演は、Blue Note Place の Family Friendly Day! にあたっており、年齢制限がない。就学前のこどもや乳児もオーディエンスだ。鈴木はこう振り返る。
「私がはじめてジャズを聴いたのは、小学生のころ…Blue Note Tokyo で行われた“小曽根真featuring No Name Horses” のライヴでした。Blue Note Tokyo でも、今日のようにこどもたちがライヴを聴ける特別な機会を作ってくださったんですね。そこで演奏されたのは、こどもたちがよく知っている有名な曲ではなくて、小曽根真さんやメンバーのみなさんが作曲したオリジナル曲のみ。こどもをこども扱いしないで、ほんもののジャズを聴かせてくださったんです。演奏が終わった後も、小曽根さんがフロアに降りて『この曲はどうだった?』『どんな風景が見えた?』とこどもたちに問いかけてくれました。このライヴを聴いて、私もジャズをやりたいと思うようになったんです。今日の私たちの演奏も、ここにいるこどもたちが、少しでも覚えていてくださったらうれしいです」。

鈴木の師にあたる小曽根真の精神が、鈴木の中に確かに息づいていた。オリジナル楽曲で自分の音楽を表現すること、音楽を聴くことに大人とこどもの区別はないこと、そして音楽家の想いが人の人生を変えることがあること。ステージ上の鈴木瑶子が、そのまぎれもない実例であることを確認して、深い感動を覚えた。そういえば、私自身もあのとき、自分の子どもを連れてBlue Note Tokyo にいて、同じ空気を吸っていたのだった。

Blue Note Place という場所のすばらしさもあるだろう。しかし今回のライヴでわかったことがある。このトリオは、音響のプロフェッショナルと相談しながら音場を設計し演奏する次元に来ているということだ。オーディエンスの身体をまるごと音で包み込みながら、自らの音楽に没入し感動させうる彼らの実力をひしひしと感じた今回の公演だった。だからまた、ここBlue Note Place だけでなく、ホール公演などの機会があるとよい。終演後、三人に「ここまで来たのだから、Blue Note Tokyo まで行きましょう!」と提案すると、「でも、私、ここが好きなんですよね…」と、照れとも本音ともわからない言葉を口にした鈴木瑶子である。だが、ファンとしてはぜひ近いうちに、あの場所に連れていってほしい。もちろん、小さなライヴハウスでのインティメイトな演奏も続けてほしいのではあるが…。

割れるような拍手に迎えられて、アンコールは鈴木のソロで “What a Wonderful World”を演奏した。こどもたちへのメッセージがこめられた “Twinkle Twinkle Little Star(きらきら星)” のテーマから入る、とても美しく抒情的な演奏だった。鈴木瑶子の、小美濃雄太の、北沢大樹の、そして二階席まで埋まったオーディエンスの想いがあふれ、会場がひとつになった。

アントニオ・カルロス・ジョビンの書いた「想いあふれて」という曲がある。この夜、Blue Note Place のステージから、想いがあふれていた。そして確かに「抒情」が生まれたのである。そういえば、いつか鈴木瑶子トリオのボサノヴァも聴いてみたい。

鈴木瑶子オフィシャルホームページ

https://ja.yokoyokoyoko.com/home

中西 光雄

中西光雄 Mitsuo Nakanishi 古典講師(河合塾元専任講師) 、音楽(唱歌・讃美歌)・国学研究。 著書『蛍の光と稲垣千頴』、共著『唱歌の社会史』。 小曽根真『Reborn』(2003)ライナーノーツ、兵庫県芸術文化センター・オーチャードホール公演(2019)・プログラムノート「小曽根真のあくなき挑戦」など。

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