#978 新日本フィルハーモニー交響楽団 定期演奏会ルビー(アフタヌーン・コンサート・ シリーズ)第9回
9月29日金曜日 14:00 すみだトリフォニーホール
1.シー・スケッチ(グレイス・ウィリアムズ)
1)強風 High Wind
2)航海の歌 Sailing Song
3)海峡の魔女たち Channel Sirens
4)砕ける波 Breakers
5)夏の穏やかな波 Calm Sea in Summer
2.チェロ協奏曲ホ短調 op. 85(エルガー)
Enc. 鳥の歌(カタロニア民謡~カザルス編/山崎伸子の独奏)
3.交響曲第1番変ロ短調(ウォルトン)
Enc. 謎の変奏曲(エルガー)より第9変奏
新日本フィルハーモニー交響楽団/尾高忠明(指揮)
山崎伸子(チェロ)
崔(チェ)文沫(コンサートマスター)
イギリス音楽愛好家にはたまらない作品が並ぶ。といっても、オープニングの「シー・スケッチ」などは大方の人には初めて聴く作品ではないかと思う。私にとってもむろん例外ではなかった。英国とは縁が深い尾高忠明の意欲のほどが窺えるプログラムであることは間違いない。尾高のタクトに期待したファンも少なくなかったはずだ。
好評裏に始まった新日本フィルのアフタヌーン・コンサート(ルビー)。平日の午後に催される、新日本フィルが着手したコンサートだが、多くのファンにアピールしたと見え、この日もイヴニング・コンサート並みのの観客が会場を彩った。
タクトを振る尾高忠明はまもなく(11月8日)古希を迎える。彼がイギリスの作曲家の作品に手腕を発揮する指揮者である背景には、1987年にウェールズ響(BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団)の首席指揮者に迎えられ、イングランド、スコットランド、北アイルランドと肩を並べるウェールズの音楽シーンで活躍した若き日の軌跡があるからだ。その結果93年にウェールズ音楽演劇大学からは名誉会員の称号を、97年にはエリザベス女王より大英勲章を、翌99年にはエルガー協会から日本人指揮者では初のエルガー・メダルを授与された尾高の英国音楽への格別な愛着が、この日のプログラムを飾った各曲に活きいきと発揮されたことは改めていうまでもなく、最近は滅多に見られないオーケストラのアンコールとしてエルガーの『謎の変奏曲』から旋律が日本でも親しまれている第9変奏を取り上げて指揮したあたりに、イギリス音楽に格別な思いを持つ尾高の心情が活写されていて、この旋律が流れてきた瞬間、思わず膝を打った。
ウェールズの美しい海岸を点描した『 Sea Sketches 海のスケッチ』は、いかにも英国の作曲家が書いた穏やかで美しいウェールズの海の描写作品。ともすると、モダニズムの波が燃え盛っていたヨーロッパの潮流からは遠いように見える英国の作曲家たちの心情が、まさにスケッチ風な、この気取ったところのない5つの小品にもある種の香しさをもたらしている。グレイス・ウィリアムズは南ウェールズ生まれの女流作曲家で、この作品は尾高が在籍したBBCウェールズ管弦楽団(BBCウェールズ・ナショナル管弦楽団)によって1947年に初演され、好評を博したという。気張ったところが微塵もない穏やかな尾高の指揮ぶりが、まさに絵のような風景美を描きだす。ウェールズの気候風土を知り抜いた尾高ならではの指揮(指揮棒はこの日1度も使わなかった)がすこぶる印象的だった。
ところが、ウォルトンの作品となると、尾高のアプローチは一転ガラリと変わる。1935年11月、ウォルトンが33歳のときに書いたこの作品は、ナチスが台頭するなど暗雲たれこめるヨーロッパの世情が混沌とし始めたころに完成し、ハミルトン・ハーティ指揮のBBC交響楽団で初演され、直後に吹き込まれた出世作でもある。これなどはイギリス音楽への造詣の深さを端的にあらわした尾高忠明ならではの雄弁な指揮力ゆえの迫力が、例えば最終楽章においてあたかも青年の迷える心を奮い立たせるかのごとき強靭な鞭のようにしなる旋律線を導き出していて感銘を生む。まさしく落ち込みそうな心を奮い立たせるかのごとき第4楽章といってよいが、その前の変ロ短調からホ短調のスケルツォ、さらには一転穏やかな表情を垣間見せる嬰ハ短調の第3楽章へと展開する緊張感に富むドラマを、尾高は力強くも決していたずらにオケを急かさない入念な指揮ぶりで、この作品を公演のとりに置いたわけを明かしてみせるような力演を披露して見せたといってよい。
山崎伸子をソロイストに迎えてのエルガーの「チェロ協奏曲」は、交響曲を思わせるエルガーの入念なオーケストレーションが、ドラマ性の濃いコンチェルトの中身に抒情的な柔らかさを与え、そればかりでなくドイツ音楽特有の語法を思わせる波瀾に富んだ曲想の展開術で聴く者を惹きつけてやまない魅力的な作品である。チェロ愛好家の多くが近代チェロ協奏曲の5曲のひとつに指を屈する1曲といってよいだろう。冒頭からチェロの重音独奏ではじまるが、この数小節が実に難しい。どうしても肩に力が入り過ぎるきらいがあるのだ。そこを辛うじて切り抜けたあと、山崎は適当に気張りながらも余計な肩の力を抜いてこの曲の魅力的なストーリー性を充実した語り口を損なうことなく弾き切った。拍手に応えて演奏したアンコール曲「鳥の歌」(カタロニア民謡。パブロ・カサルスの演奏で有名になった)の、
メロディーをいとおしむかのような山崎の演奏には拍手を贈りたい。ただし、イギリス音楽で組んだプログラムの全体像からいえば、たとえばディーリアスの小品あたりから選んでもよかったのではないかと思わないでもない。
イギリス音楽だけでプログラムを組むこと自体は現在ではさして珍しいこととは言えないと思うが、それでもそう頻繁に見られるわけではない。尾高忠明とか藤岡幸夫のように英国音楽と縁のある指揮者のもとでないと実現がむづかしい事情や背景もあるのだろう。とはいえ、この日のような充実した公演に巡り会うと、イギリス音楽を中心とした興味深いプログラムをたまには組んでもらいたいと思わないではいられない。(2017年10月5日記)