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Concerts/Live ShowsNo. 236

#988『トリフォニーホール・グレイト・ピアニスト・シリーズ2017-18/エリソ・ヴィルサラーゼ&新日本フィルハーモニー交響楽団』

2017年11月23日(木)@すみだトリフォニーホール

text by Kayo Fushiya 伏谷佳代
photos by Koichi Miura 三浦興一

<出演/Performance>
エリソ・ヴィルサラーゼ (Elisso Virsaladze; piano)
アレクサンダー・ルーディン (Alexander Rudin; conductor)
新日本フィルハーモニー交響楽団 (New Japan Philharmonic)

<プログラム/Programme>
ヴァルフガング・アマデウス・モーツァルト/Wolfgang Amedeus Mozart:
ピアノ協奏曲第15番変ロ長調K.450/Piano Concerto No.15 in B Flat Major K.450
ルードヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン/Ludwig Van Beethoven:
ピアノ協奏曲第2番変ロ長調 op.19/Piano Concerto No.15 B Flat Major op.19
フレデリック・ショパン/Frédéric Chopin
ピアノ協奏曲第1番ホ短調op.11/Piano Concerto No.1 in E Minor op.11


一晩でコンチェルトを3曲演奏するという並外れたスタミナを要するプログラム。この古希を超えた女性ピアニストは終始鮮やかに、個々の作品の時代性までを描いてみせた。小編成のオーケストラによるモーツァルトとベートーヴェン、休憩を挟んで編成に厚みをもたせてのショパン。名伯楽としてのキャリアが示すとおり、その演奏は決して奇抜な個性を押し出すものではない。楽曲の構成を噛み砕き、熟成させ、演奏の起伏を決して感情任せにしない。ポイントとなる音やフレーズを起点に変化を持たせ、裏づけ充分に作品を内側から組み直してはドラマを捻出する。演奏は自ずと説得力に満ちたものとなる。見通しのよい構成力から逆算されたかのような音色はポリフォニックでありながら、作曲家の特性に応じてボルトを締め上げるようにその輝きの精度を増してゆく。モーツァルトとベートーヴェンでは、双方ともアレグロに挟まれた緩徐楽章が、その怖 (こわ) しいまでの自由さで傑出している。無私を突きつめた先にある、伸びやかな成熟の境地。まっさらに拓ける地平は、緻密な楽曲構成のなかでそこだけが幾何学模様のようにぽっかりと浮かび上がる。一方、プログラムが進むにつれて明白になってゆくのが、指揮者アレクサンダー・ルーディンのきめ細やかなサポート力。従来のコンサートよりも若手が多く目立ったこの日の新日本フィルであるが、オーケストラとピアノが相互補完するかのように、響きのテクスチュアが組まれてゆく。後半のショパンでも、ヴィルサラーゼは独自のテンポによるゆったり構えた音楽運び。聴き慣れたこの名曲のイメージに、それは浸食されることがない。目立つメロディやパッセージの陰に通常は隠れてしまう部分がフォーカスされ、楽曲の思わぬ形相を覗かせる。無意識の深淵を垣間みるようだ。新鮮な驚きとともに、音楽の幹のなかにすっぽりと収まっているような不思議な暖かさ—-ここでもルーディンの誠実な音楽造りが功を奏す。ときに各パート間の境界が混沌とした瞬間なきにしもあらずだが、それを補って余りあるアナログな温もりと重厚さがある。流行り廃りとは無縁の、音楽そのものの尊さ、鷹揚さ、包容力。その懐へかき抱かれる歓びを、当夜の名コンビによってしみじみと噛みしめたのであった。(*文中敬称略。伏谷佳代)


伏谷佳代

伏谷佳代 (Kayo Fushiya) 1975年仙台市出身。早稲田大学卒業。欧州に長期居住し(ポルトガル・ドイツ・イタリア)各地の音楽シーンに通暁。欧州ジャズとクラシックを中心にジャンルを超えて新譜・コンサート/ライヴ評(月刊誌/Web媒体)、演奏会プログラムやライナーノーツの執筆・翻訳など多数。

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