#1085 橋本孝之 Solo Improvisation
2019年7月27日(土)東京・国分寺giee
Text by 剛田武 Takeshi Goda
Photos by turbo
橋本孝之 Takayuki Hashimoto(as, hca, g)
睨みつける視線の先の自己との対話。
コンテンポラリー・ミュージック・ユニット「.es」としての活動の他、ジャンルを縦横無尽に横断する音楽家としてとして独自の存在感を放つ橋本孝之の初めてのソロ・ワンマン・ライヴ。フラメンコギター、ハーモニカ、アルトサックスそれぞれのソロ演奏によるのべ2時間を超えるインプロヴィゼイション。十数人の観客で椅子席がほぼ埋まった小さなジャズバーは期待と緊張で静まり返っていた。強過ぎる冷房にも関わらず凍えることなく音に集中出来たのは、橋本の楽器と魂が発する音の「気」が、真夏の太陽の灼熱に焼かれた肌と魂を癒しつつ、内なる火を灯してくれたからであろう。
●ギター・ソロ
中学生時代にアコースティック・ギターを入手して最初に覚えたのがビートルズの「涙の乗車券」だったこと、デレク・ベイリーの著書『インプロヴィゼーション』を読んでフラメンコギターを習い始めたこと、フラメンコをやりたかったわけではないこと等のエピソードを語り、おもむろに愛用のガットギターを弾き始める。気紛れに爪弾かれる音の粒子が、お互いに干渉し合うことなく空中に散らばり、見えない雨粒となって降り注ぐ。橋本の視線は何かを探すように宙を彷徨い、両の手はギターのボディを愛撫して最高の響きを導こうとする。聴き手ひとりひとりと無言の会話をするような演奏は30数分に及んだ。ずっと昔、自分の表現を確立しようと焦燥感に駆られて悶々と何時間も引き続けたギターが、今は言葉の代わりの触媒として寄り添っている。そんなプライベートな風景を幻視した。
●ハーモニカ・ソロ
精神統一するように目を瞑り一瞬の黙祷。ハーモニカに口を寄せて哀感を帯びたノスタルジックな旋律を絞り出す。耳に聴こえる音調は物悲しいが、両手に収まる小さなメタルの楽器を愛惜しむように包み込み、全身全霊で息(命)を吹き込む橋本の肉体はゾクゾクする興奮に戦慄している。自己陶酔とは真逆のサウンドとムーヴメントのアンビヴァレンスは、感情に溺れることなく冷徹なセルフコントロールが貫かれている証しである。大きくのけぞる身体の波動が、楽器の許容量を遥かに超えそうな“ひとりの男の交響楽”を注ぎ込み、彼が手にしたハーモニカは、世界で一番小さなオーケストラに変貌した。
●アルトサックス・ソロ
過剰なほど濃厚な演奏が続くが、この空間を共有する喜びに、演者と聴者の集中力は研ぎ澄まされるばかりである。冒頭でこの日の為に書き下ろしたジャクソン・ポロックに関する文章を読み上げる。橋本の真骨頂のアルトサックスのシャープな音色が、フィナーレへの期待と不安で濃度を増したライヴハウスの空気を切り裂いて、知覚と感覚をマッサージする。しかしながら、ジャックナイフのように鋭いハイトーンは、聴き手の耳を傷つけことはなく、慈愛を籠めて優しく包み込む福音であった。すべてを出し切ろうとする橋本孝之の真剣な心が生んだ独演会の魔法である。
演奏を聴きながら筆者の頭に浮かんだのは人と楽器の関係性である。例えばコップを手に取った時、自分とコップの間に関係が生まれる。水を飲むだけなら一方的な主従関係に過ぎない。しかし楽器を手にして、指先とナイロン弦/口唇とマウスピース/舌とリードが触れ合って生まれる関係性は一方通行ではない。演奏者の意志と楽器の機能性の相関関係が、単なる音の高低・大小に留まらない有機的な音色を生み出す。必ずしも演奏者の求める音色が得られるとは限らないし、ときには演奏者自身が驚くような予期せぬ新しい音色が生まれることもある。この日の三つの演奏は「(楽器の)最も美しい特性を、最大限に引き出すような演奏」を心掛けるという橋本が、それぞれの楽器に応じた関係性を深化させていることを実感させた。
橋本はジャクソン・ポロックと自分の即興演奏の類似点を「即興演奏はその場のエモーションから生まれるが、そこに感じる自分と考える自分がいる。(中略)ポロック同様、無為と有為のスパークだ」だと語る。だとすれば、カッと見開いた瞳で睨んでいたのはもうひとつの「自己」だったのかもしれない。かつてのインタビューで橋本は、自己の消失が「自分が理想とする、良い演奏を行うための重要なポイント」と語っていたが、自己は消失したのではなく、自分の外に投影され対峙すべきものへと進化したに違いない。
「(ポロックの絵と違って)演奏は展開されるプロセスそのものが作品なので、一度出してしまった音を別の音で塗りつぶすことができない」と橋本は書いている。エリック・ドルフィが語ったように「音楽は終わったら消えてなくなってしまう。二度と取り戻すことはできない」(つい最近、橋本と内田静男と話していてこの言葉が飛出したのは偶然ではないかもしれない)。音楽演奏家・橋本孝之の、二度と取り戻せない「塗りつぶすことが出来ない時間」を体験できた貴重な一夜だった。(2019年8月1日記)