#1155 ベートーヴェン生誕250周年記念 岡田将のべートーヴェン!
2020年11月27日(金)@トッパンホール
Reported by Kayo Fushiya 伏谷佳代
<出演>
岡田将 Masaru Okada (p)
<曲目>
ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェン;
ピアノソナタ第14番嬰ハ短調 op.27-2「月光」
ピアノソナタ第8番ハ短調 op.13「悲愴」
ピアノソナタ第23番へ短調op.57「熱情」
ピアノソナタ第31番変イ長調op.110
岡田将を初めて聴いたのは30年ほど前、学生コンクールのラジオ放送から聴こえてきたショパンのスケルツォ第2番に遡る。その後ひょんなことから10代の彼が弾くブラームスの「パガニーニ変奏曲全二巻」の演奏に居合わせ、度肝を抜かれた。2000年前後に筆者が滞在していたベルリンでは、地下鉄の演奏会広告などでその名をよく目にしたものだ。
若いころから際立って成熟したヴィルチュオジティを持っていた岡田将は、望めばいくらでも商業的に華やかな活躍もできたであろうに、じっくりとその世界観を醸成する道を選んだようだ。今回の三大ソナタ+後期の傑作31番、の王道プログラム。人間としての作曲家の葛藤を誠実にあぶり出し、同時にそれは奏者・岡田将の充実した音楽性の証左ともなっていた。
まず、音色の照りと響きの全方位性、そしてヴェルヴェットのような滑らかなタッチが特筆される。88鍵からシームレスにこぼれ出る音は、まるで岡田の身体の一部であるかのように空中へと放たれる(こうした感慨を覚えたのはラン・ラン以来)。一粒一粒がリヴァーブ豊かで、滞空時間が長い。その響きはヴァーティカルな方向でも同様で、穿つような打鍵のときにはピアノという楽器が核心から打ち震え抉られるような迫力を生む。
もちろん音楽の真髄は技術を超えたところにあるのは百も承知だが、やはり奏者と楽曲の規模とのあいだには、程よいバランスというものがあると感じる。演奏会も佳境、大曲「熱情」の後半に至って岡田のヴィルチュオジティを心ゆくまで堪能しているという充足感が増してくる。いわば山場だが、明晰な頭脳に裏打ちされた物語構成力、音のキレ、会場という「場」が孕む空気を巻き込んだ疾走感など、鉄壁の貫禄と表現力。その鮮やかな場面の巻き返しは、ベートーヴェン本人の「絶望を経た生の受容」の変遷を内包してゆく。
終曲の31番では、第二楽章のアレグロも含め、遅めのテンポで進める。単音一音の充実が尊い。ここでも、ひとつの世界観をこれから構築してゆくというよりは、広大な岡田の世界が「すでにそこにあり」、そこから自然に音を引き出しているかのような自在さがある。詩情と体力をなみなみと湛えたこうした俯瞰力は得難い。将来、枯淡の境地に至った岡田将の「嘆きの歌」(第三楽章)を是非とも聴いてみたいと思う。(*文中敬称略)
☟アーティスト情報;
http://www.concert.co.jp/artist/masaru_okada/
☟『岡田将ピアノ・アーカイヴ』はコチラ;
https://www.youtube.com/playlist?list=PLY4ylDxrkHO_gJJyzc70gS8i8yysEFogm