#1174 Concert for Taka~橋本孝之君に贈る演奏会
Text by 剛田武 Takeshi Goda
Photos by 潮来辰典 Tatsunori Itako
2021年8月1日(日)東京 渋谷・公園通りクラシックス
出演:
sara (.es)
灰野敬二
美川俊治
大國正人 (kito-mizukumi rouber)
内田静男
川島誠
橘田新太郎+谷川寛 (The Sound Wearhouse)
3~4年前に橋本孝之から「.esで灰野さんと共演したい」と相談されて、灰野敬二にCDを渡して打診したことがある。興味は持ってくれたが、会場が大阪(Gallery Nomart)なので、経費やスケジュール面で具体的な話には至らなかった。しばらく経った2019年11月7日にピーター・コロヴォス来日公演【Concert Review】に観客として来場した灰野が、一番手として登場した橋本のアルトサックス・ソロを聴いて気に入り「いつか共演したい」と言ってくれた。残念ながらその話を橋本に伝えないうちにコロナ禍でライヴが出来ない状況になり、そのまま1年半後に橋本は帰らぬ人になってしまった。
橋本の急逝を知った灰野から、追悼コンサートを企画してはどうかと提案されたところから今回の『Concert for Taka~橋本孝之君に贈る演奏会』がスタートした。.esのsaraと相談し「悼む・偲ぶ」のではなく橋本が聴きたかったであろうミュージシャンを集めた演奏会にすることになった。出演者の選定や組合せもsaraのアドバイスのおかげで“とんでもない”ものになった。セッションを含み計10組の各10分のパフォーマンスは、短いながらも音楽の本質が凝縮されたプレイの連続だった。ロック、パンクからインプロヴィゼーション、ノイズ、ドローンまで、音楽性の幅広さは橋本の好奇心と人間愛の大きさを証明しているようだった。
●橘田新太郎+谷川寛
橋本は本誌のインタビューで、中学時代にビートルズをきっかけに音楽に目覚め、高校時代に初めてのバンドを組んで学園祭に出演していた、と語っていた。そのバンドが1985年結成のHeat Wave(1989年RAVIZMに改名)で、オリジナル・メンバーの橘田新太郎、橋本孝之、谷川寛が27年の月日を経て再結成したのがThe Sound Wearhouse。2年前に再結成コンサートを開催し、さあこれから、というところだったが叶わぬ夢になってしまった。橋本が愛用していた黒のレスポールとトレードマークのハットをステージに飾り、ギター&ベースという最小限の編成で、高校の学園祭で好評を博した思い出の曲(プリンス「レッツ・ゴー・クレイジー」のスピーチ部分)に続き、橋本が作曲し橘田が英語詞を付けたストレートなロック・ナンバーを2曲演奏。.esで彼を知った人には意外かもしれないが、橋本の心の中にはいつもロックへの情熱があったのである。
●内田静男
2013年に橋本と知り合って以来何度も共演を重ね、2017年からUH(ユー)と名付けたデュオのパートナーとして活動してきた内田静男。セミアコースティック・ベースとエフェクターを駆使して多彩な音色を紡ぎ出すマジカルなプレイは、いつ聴いても魂が浄化される気持ちになる。パートナーを亡くした虚しさなど微塵も感じさせない普段通りの堂々とした演奏に、内田の強い覚悟を感じた。
●大國正人
大國正人は異能パンクバンドあぶらだこの二代目ギタリストにして、同バンドから派生したロックバンドkito mizukumi-rouberの中心メンバー。内田静男がドラムを担当するこのバンドに2015年に橋本が加入、それ以来濃厚なライヴを続けてきた。大國がソロ・ライヴをするのは今回が初めてだという。さらにリズムボックス&ファズ内蔵のヴィンテージ・ギターもこの日が初披露という貴重なステージ。kitoでもお馴染みのぶっ壊れた演歌パンク独演会は、過剰なまでのブルース&ロック魂の炎上である。.esやソロでは究極のストイシズムを追求した橋本が、大國たちの破天荒なスタイルに惹かれたのは、常に独自の表現を求め、常識を破壊し続ける冒険心に共感したからだろう。
●川島誠
年齢的にはちょうど一回り違う橋本(1969年生まれ)と川島(1981年生まれ)は、デビューした時期が近かったこともあり、“注目の若手即興サックス奏者”と呼ばれ比較されてきた。それゆえ常にお互いを意識し合い切磋琢磨してきた良き友でありライバルである。生きている様々な体験を音にして表現している川島が、友の突然の喪失をどう表現するのか興味深かった。床に蹲った姿勢で発するサックスの悲鳴が静まり返った会場の空気を引き裂く様子は祈りの儀式のようであったが、思い返せば筆者は初めて観た時から川島の演奏に“祈り”を感じてきた。つまるところいつも通りの川島によるいつも通りの友に聴かせる演奏だったのではなかろうか。
●美川俊治
前日ライヴがあった大阪から直行で渋谷クラシックスに入った美川は、比較的シンプルな機材で一点集中型のエレクトロ・ノイズを放射した。所々で間を活かしたプレイは、橋本の魂に付け入る隙を与えようとするかのようであった。その懐の深さはビジネスマンとミュージシャンのタフな活動を通じて身に付けたに違いない。橋本は美川に仕事と音楽の両立について教えを乞うたと言うが、両方を過度に追求しすぎて自らの身体の異変に気付けなかった。健康管理の重要性も学んでいれば、この日一緒にステージに立てたのだろうが・・・。
●灰野敬二
2015年3月7日ギャラリー・ノマルで録音された橋本のアルトサックス・ソロ音源との共演。ステージが暗くて分かりにくかったが、灰野の左側には空の椅子とマイクスタンドが置いてあった。最小限の照明の暗闇の中に漂う橋本の気配を感じながら、灰野がマイク一本のヴォーカリゼーションで音と音を滲ませていく。ここに橋本の肉体は存在していないが、形のない魂の残響に語り掛ける灰野の肉声の慈しみが、あっちとこっちを結ぶデュエットを実現させた。
●sara
鮮やかな赤のドレスに着替えたsaraがピアノの前に座り頭を垂れて精神統一するうちに、灰野の生み出した緊張感が解けて、saraの体内に吸い込まれていくのを感じる。吸い込んだ気配を吐き出すように滑らかな指さばきで鍵盤の上を駆け回る。次第に熱を帯びて身体を反らし髪を振り乱してピアノに挑みかかる気迫は、橋本への激励であるとともに、.esの重みを纏って生きるsaraの決意表明だった。演奏者はひとりでも音の強靭さは変わらない。
●美川俊治+大國正人
壊れた機械のようにランダムにギターを掻き鳴らす大國に応えて、引き裂くようなエレクトロニクスを紡ぎ出す美川。ガレージパンクとノイズがランデブーする残酷でロマンティックなコラボレーションだった。
●灰野敬二+川島誠
蹲踞の姿勢から始まった(ある意味で)師弟共演は、お互いの音を弄り合う語り合いから、“死んでしまったおまえ”と歌う灰野のヴォーカルに、セリフのない川島のサックスが鎮魂の言葉を刻み込む二重唱となり、静寂の祈りの中へ溶けて行った。
●sara+橘田新太郎+内田静男
橋本とユニットを組んでいた三人のコラボレーション。橘田は即興演奏は初体験だったが、二人の猛者の向こうを張って、ロック・ギタリストらしい鋭利なプレイで切り込んだ。イベントの前に「バンドをやっていた頃は、橋本が“こっち”(アヴァンギャルド、即興)に行くとは思ってもいなかった」と語っていたが、まさか自分が“こっち”をやることになるとは、さらに想定外の奇跡に違いない。空の彼方に橋本のしたり顔が見えるような気がした。
数多くのミュージシャンと共演し思いを交わしてきた橋本に贈ることができたのは、その一部の7組による2時間強の演奏だけだった。天国の橋本が喜んでくれたことを願うが、きっともっともっと聴きたいに違いない。コロナ禍が続く中、以前のように自由にコンサートを開催することが難しい状況ではあるが、これからも橋本君が喜び驚くような“とんでもない”演奏が、いろんな場所で繰り広げられていくことは間違いない。それを確信させる演奏会だった。(2021年9月3日記)