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Concerts/Live ShowsNo. 293

#1230 山田邦喜・斉藤圭祐デュオ、もしくは二匹の知恵ある野獣について 

text & photos: Kohtaro Noda 野田光太郎

2022年8月8日(月)
東京・江古田 live house Buddy

And the music continues to evolve vol.11
「Independence or Isolation」

山田邦喜 (ds)
斉藤圭祐 (as)
&
高橋直康(eb)
鈴木美紀子 (eg)
清水亮司 (ds)
西川素樹 (key)

やせた、つるつる頭の初老の男が、体をねじるようにして、スティックをドラムに叩きつけている。一見無造作にも見えるしぐさで、音は投げやりのように広い空間に放たれて消えた、と思いきや、思いのほか空気へ鋭く突き刺さった音響は、かすかに場内にこだましてしこりを留めている。その傍らでサックスを首にぶら下げて斜めに突っ立って、帽子を乗せた頭を揺るがしながら様子を見ている若い男がいる。思い立ったかのように時々マウスピースをくわえて、すうすうと息を吹き込むが、音はまだ出さない。

ここは江古田にあるライブハウス「live in Buddy」。ドラマーの山田邦喜(くによし)とアルトサックス奏者の斉藤圭祐によるデュオの演奏が始まっている。百人は入れそうな広い店内に客は三人。他にはこのライブ「And the music continues to evolve  vol.11」を主催した私、ライブのもう一つのセットの出演者である四人、そして店員が四人ほどいる。2022年8月8日。

私が斉藤圭祐という演奏者に出会ったのはそれを遡ること半年ほど前、まったくの偶然にすぎない。ある店の即興ジャムセッションに気まぐれに立ち寄った際、二人のサックス奏者が激しくしのぎを削っていたのだが、そのうちの一人が彼。度外れにけたたましく、うねりを伴った、しかし流麗でつややかな音色に興味を持って、セミプロが遊びに来ているのかなと思い名前を聴いたところ、思いのほか歳が若く、まだ人前で正式なライブをしたことがないという。「それはもったいないね」ということで、私のライブ企画「And the music continues to evolve vol.7」で初出演してもらったのが3月。その時のことはこの Jazz Tokyo のサイトでも「アンダーグラウンドの猛者たちを聴く!」という題でライブ・レポートを書かせてもらった。彼には続いて5月に開催した「And the music continues to evolve vol.9」にも出てもらったが、後日その感想を聞かせてもらった際、「次はとことんまで徹底的に一緒にやってくれる人が欲しい」というようなことを聴き、その挑戦者募集とも取れる言葉を私のSNSに、多少の脚色交じりに誇張して書いたところ、さっそく反応してくれたのが今回の山田邦喜だった。

山田は明らかに相当なベテランでありながら「プロフィールはない」というようなプロフィールを掲げている、人を食った風采であるが、その演奏はすさまじく殺気を帯びており、共演者の手筋を鼻先で叩き落とすような、「先の先」を取る演奏を某所で見て、さっそくSNSで連絡を取ってから、まだ日も浅く面識もないに等しい。むろん、彼は力と速度の一辺倒などではなく、間合いを活かした詩情あふれるドラムソロの動画を無数にアップロードしていることで、他の演奏者の注目を集めてもいる。

その山田は今、しきりにドラムセットのあちこちへスティックを投げおろしては、機関車を整備する技師か何かのように感触を確かめていたが、左足がハイハットを踏むと、炉に小さく火が入ったように感じられ、彼の演奏はひっきょう、このハイハット・シンバルが口を開けて閉じるまでの短い刹那、空気の震えが放たれてパタッと閉じられるまでの微細な水紋じみた揺れの諸相を極大まで広げてみせようというようなものかもしれないな、と思案していると、斉藤が黒光りする甲虫の鎧のように塗り固めた滑らかな旋律で入ってきた。鎌首を怒張させたコブラのように隙が無いフレージング。応という間もなく、スティックは閃き、投げつけた石を水面で弾き跳び走らせるような手捌きで、めくり返されたシンバルは残照をしばし中空へ遊ばせる。斉藤は、人体と楽器を一体と成して、臓腑のエンジンを振り絞り、捕食者が獲物の肉をついばむような、どん欲に痙攣的な吹奏。と、震えるシンバルをつかみ、蝉の残りの生命力を親指で確かめているようなストップ・モーション。口ずさんだ歌がほろほろと口の中で溶けてしまい、その輪郭を惜しげもなく舌でなぶりつくすうちに切片となって、バルブの隙間からあふれ出すあぶくのような想像上のメロディーの骨格へと焼き付けていくような、バイオレントでメロディアスなアルトサックス。楽器に触れたことさえない者にも嫉妬を抱かせるその、雑味のない、楽器をすっかり鳴らし切った、歯ぎしりの果てなく冴えわたる、その響きの堂々たる、ニヒリズムは、何が彼にここまでの「圧」を強いるのか、この社会に先んじて転がり居座ってきた年長者として、忸怩たる思いを巡らせる私の胡乱さを彼の音楽は、ただほしいままにさせる。

ドラムの豊かな響きをあえて殺して「点」の散らばりを地の底まで振り下ろし頭上まで投げ上げ、自らそれに煽られて踊り・躍らせ・踊らされ・躍られる、そんな滑り止めを利かせすぎたリズムの亡骸が、そぎ切りにされて弾力を吸い取られ鉱物の喜びをうたう。裂帛、激発、疾走、丁々、発止、沈黙、斑紋。舞い上がる音の粉塵を見送りながら、二人はしばし手を留めて燻る音の香を嗅ぐ。ドラムのふちを叩く奏法は百、百と時の声を告げては、不気味にも懐かしい祭りの光景を運んでくる。あるいはマレットの演出する逍遥が氷の張り詰めた海面なら、サックスは北極の烈風を潜り抜けて飛ぶ一羽の鳥だ。視界に入ってくるものはすばらしい速度でよぎり、去っていく。座頭市は四方の畳を跳ね上げて押し寄せる刃を防いだ時、まぶたの裏側で聴いた子守歌に鬼のような、仏のような笑みを浮かべただろうか・・。

そんなことを薄らぼんやりと聴き手が感じているうちに、演奏家たち、もしくは二匹の知恵ある野獣は、互いに見極めた予兆を味わいつくして、残心の構えにそっと耳を澄ませていた。嘘だと思うなら下記にリンク先を掲げたyoutubeの動画を確かめてほしい。いかに録音機材が貧しかろうと、演奏の出来不出来を覆い隠すほどではない。それから、次に控えていたエレクトリック・ベースの高橋直康、エレクトリック・ギターの鈴木美紀子、ドラムの清水亮司、キーボードの西川素樹の四人の演奏者がステージに立ち、今度こそ本当に「恐怖の」「頭脳」を「改革」するような、「life」の「time」を忘れさせるような、迷宮的なサイケデリック・フリー・ロック演奏を繰り広げたのだが、そのことを語るのは他日に譲るとして、それも噓だと思うなら動画を確かめてほしい。

野田文庫チャンネル  And the music continues to evolve vol.11

 

野田光太郎 

野田光太郎 Kohtaro Noda 1976年生まれ。フリーペーパー「勝手にぶんがく新聞」発行人。近年は即興演奏のミュージシャンと朗読家やダンサーの共演、歌手のライブを企画し、youtubeチャンネル「野田文庫」にて動画を公開中。インターネットのメディア・プラットフォーム「note」を利用した批評活動に注力している。文藝別人誌「扉のない鍵」第五号 (2021年)に寄稿。

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