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Concerts/Live ShowsNo. 306

#1274 渡辺貞夫カルテット

2023年9月19日 Live Spot RAG  京都

reported by Shuhei Hosokawa  細川周平

【渡辺貞夫カルテット】
渡辺貞夫(as)
小野塚晃(p)
コモブチ キイチロウ(b)
竹村一哲(ds)


晩年の境地

楽器とからだがひとつになる―ジャンルと楽器を問わず、よくこんなほめ方をする。その日のナベサダはその境地にあったと思う。久しぶりに聴いた懐かしい音の第一印象だった。しかし一曲終わるや御大が嘆いたのがリードの調子が悪いことで、高湿度が原因だそうだ。その不満は繰り返された。ツアーで80枚ぐらい持ってきたんだが、あと5、6枚もない、と。ピアニスト小野塚晃のサイトには「湿度との闘い」とあったので、カルテットにはつらく、頭のなかでは別の音が鳴っていたのだろう。サックス奏者がリードをペロッとなめて調整し、入れ替える姿は見慣れたものだが、その日は愛器をいたわり、コリを和らげ、よく鳴ってくれと頼んでいるかのようだった。リードは消耗品というより、息の導入口、金の管と唇の接触面として大切にされていた。

90歳のアルト奏者を「御大」と呼びたい。無理なくいつもの曲を永年のトリオと合わせ、メンバーも分かってますよと目くばせしてついてくる。日々の営みには昂揚の代わりに充実感があった。ノリ以上に幸福感を覚えた。こういう大袈裟な言い方はプレイの密度の前では空々しいのだが、他に言いようがない。渡辺貞夫ライブはおよそ30年ぶりで、古いファンだが忠実ではなかった。御大と敬するより、大御所として恭しく遠ざけていたと言えば言える。コンボもコンサートもアルバムもある時期以降、何も知らない。

しかし吹き始めるや、半世紀前のライブや放送、愛聴アルバム(たとえば『パストラル』『ラウンド・トリップ』)が次々蘇ってきた。「自分の音」を持っているからだ。楽器と一体という第一印象はそこに帰る。ジャズ音楽の原点はそこにたどり着く。譜面を書くよりもその場の演奏第一の鉄則が、ニューオーリンズより続いている。既に亡くなったり、今日静まり返っている共演プレイヤーが思い出された。戦後の学校ブラスバンドと進駐軍基地にて芽を出し、私が知っている、また何も知らない仲間もどっと加えた大樹が、いつものように吹いている。それは既に大層なことだ。「境地」と呼びたい。この語には「何かを経験した結果到達した、心の状態」(『新明解国語辞典』)の意味があり、類語の「状態」や「状況」と違い、持続性、一貫性、精神性、独自性が特別に含まれる。自然体が基本だが「到達する」もので、誰もがそこにいつか至るわけではない。年齢証明ではない。

Ragの帰り道、耳の楽しみという以上に全感覚的な楽しみが残った。それがその日もらった財産、上機嫌だった。こちらの加齢を肯定・実感できる珍しい2時間だった。老熟から連想したのは90代の大野一雄で、椅子に座って腕を上げるだけで舞踏を超えていた。高浜虚子80代の俳句にもそれに似た花や月がある。古稀に近い今になって初めてわかる老境、老いの境地だと思う。仮に還暦前に聴いてそこまで辛気臭く思いつめたかどうか。ちなみに前売り客すべて入場、当日券なしだったので、予告より5分早くに始め2時間ぴったりで終えた。長引かせも短縮も夜更かしもしない。このペースで御大の身も心も整えられているようだ。健康あっての上機嫌だから。

第二部、タッド・ダメロンの「アワー・デライト」とビリー・ホリディの「恋は愚かというけれど」の後、貞夫さんは客にリクエストを呼びかけた。何が聴きたい?とっさに思いついたのが古いメンバーの追悼をこめて「パーカーズ・ムード」だったが、声に出す勇気が湧かず(常連の反応を見てからと息を呑んでいるうちに)、選ばれたのは「黒いオルフェ(カルナヴァルの朝)」だった。この音色でこのイントロ。忽然と1969年、中学3年、ニッポン放送の深夜番組「ナベサダとジャズ」のテーマ曲が湧いてきた。サダオ曲のなかでは「カリフォルニア・シャワー」「マイ・ディア・ライフ」なぞよりはるかにかっこいい。20分のスタジオ番組で、ブラジル・ナイトもあったはずだ。テレビにもよく出演していたはずだ。ジャズが大学生にもてはやされた数年を、ラジオやテレビを通してませた中高生として経験していた。こうした番組を通して、渡辺貞夫カルテットがボサノヴァを最初に手招きだか耳招きしてくれたのをすっかり忘れていた。

セッションは続いて「フェリシダージ」と「コルコヴァード」に進み、ベースのコモブチキイチロウは「悲しみに終わりはない/幸せにはある」と歌って機嫌がよい。後で小野リサのメンバーだったことを知った。道理でブラジル物は調子いい。ジャズの刻みに熱帯パターンを加えたありがちなのとはちょっと違う。貞夫さんにとってもブラジル発見はボストン(バークリー音楽院)帰りの寄り道以上に大きかったとよく言う。はやりにのっただけでない。こうして晩年のレパートリーにしっかり残っている。それを考えたメンバーを集めている。

20年間毎年そのクラブにカルテットを聴きに来ている熱烈女性が、ますます細く長い息遣いで楽器を鳴らすので、響きに衰えがない、音楽する体力が落ちていかないと驚嘆していた。最小限の呼吸で最大限の音を出す。彼女はアルト・サックスのフレージングに合わせて息を吐き吸う妙なシミュレーションで、それを確かめたのだそうだ。初めて彼のライブを見たアマのチェロ弾きは、無理のない楽器の持ち方と、弦楽四重奏並みの密なやりとりを語った。サックスは独りで突っ走らないし、遅れもしない。からだと調整がついている。トリオがピアノの(第二)リードでそれを最適のノリとソロで盛り上げ、老体を無理させない。それは合奏の至芸にあたる、と。

貞夫さん、次は「パーカーズ・ムード」を是非!

 

細川周平

細川周平 Shuhei Hosokawa 京都市立芸術大学日本伝統音楽研究センター所長、国際日本文化研究センター名誉教授。専門は音楽、日系ブラジル文化。主著に『遠きにありてつくるもの』(みすず書房、2009年度読売文学賞受賞)、『近代日本の音楽百年』全4巻(岩波書店、第33回ミュージック・ペンクラブ音楽賞受賞)。編著に『ニュー・ジャズ・スタディーズ-ジャズ研究の新たな領域へ』(アルテスパブリッシング)、『民謡からみた世界音楽 -うたの地脈を探る』( ミネルヴァ書房)、『音と耳から考える 歴史・身体・テクノロジー』(アルテスパブリッシング)など。令和2年度芸術選奨文部科学大臣賞受賞。

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