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R.I.P. / 追悼No. 237R.I.P. ラズウェル・ラッド

RIP Roswell Rudd 追悼 ラズウェル・ラッド

photos:Private Collection of Verna Gillis (Soundspace)

Roswell Rudd ラズウェル・ラッド
1935.11.17~2017.12.21 トロンボニスト / コンポーザー

コネチカット州シャロンの生まれ。音楽好きだった両親の手ほどきで少年時代からフレンチホルンを演奏。ホッチキス・スクールを経て地元のイェール大学を卒業。イェール大学在学中にディキシーランド・ジャズ・バンド「Eli’s Chosen Six」でトロンボーンを担当、コロンビア・レコードに2枚のアルバムを録音(『Eli’s Chosen 6, Yale University Dixieland Band 』(Columbia 1957)。

大学卒業後NYに出てしばらくはスイング系のミュージシャンと交流していたが、その後時代の洗礼を受け急速にアヴァンギャルド・ジャズに傾斜していく。
1961年、ナット・ヘントフのプロデュースによるブエル・ニードリンガーの『New York City R&B』(CANDID) 録音に参加、セシル・テイラー、スティーヴ・レイシー、アーチー・シェップらの知己を得て、その後の録音活動に反映させる。特にアーチー・シェップとは、『Four for Trane』(Impulse 1964)から『Roswell Rudd and Archie Shepp Live in New York』(Universal 2001) まで共演歴が長く続いた。

1963年、DB誌の読者人気投票で新人部門の1位に選出され、1964年にはジョン・チカイ(as)、レジー・ワークマン(b)、ミルフォード・グレイヴス(ds)と「ニューヨーク・アート・カルテット」を結成、ニュージャズの推進者となる。翌1965年、マイケル・マントラーとカーラ・ブレイの主宰するThe Jazz Composer’s Orchestraの一員として、ニューポート・ジャズ・フェスや欧州ツアーに、1968年にはセシル・テイラーやスティーヴ・レイシーらと録音にも参加、1973年の自身の作曲になる『Roswell Rudd and The Jazz Composer’s Orchestra/Numatik Swing Band』を実現。その後も『Dinner Music』『European Tour 1977』『Musique Mecanique』(何れも WATT)などを通じてカーラ・ブレイと、『Concertos』(ECM)ではマイケル・マントラーと音楽的親交が続いた。

2000年代になってプロデューサーのヴァーナ・ギリス (Soundscape) とパートナーシップを組むようになり、ワールドミュージックに傾斜、マリやモンゴルに取材、成果を『MALIcool』(Unioversal)や『Blue Mongol』(Sunnyside)などのアルバムに反映させるようになった。

批評家の評価も高く、2003~05年、2009~10年にはジャズ・ジャーナリスト・アソシエイション (JJA) の、2010年にはDB誌批評家投票のそれぞれ「ベスト・トロンボニスト」に選出されている。また、スティーヴ・レイシーとのコ・リーダー・アルバム『Monk’s Dream』(Verve)は、1999年度のグラミー賞「ベスト・ジャズ・インストッメンタル」部門にノミネートされた。


 

WBGO
http://wbgo.org/post/roswell-rudd-trombonist-agreeable-bluster-and-far-ranging-influence-dies-82#stream/0

NY TIMES
https://www.nytimes.com/2017/12/26/obituaries/roswell-rudd-82-trombonist-with-a-wide-open-approach-is-dead.html?rref=collection%2Fsectioncollection%2Fobituaries&action=click&contentCollection=obituaries&region=rank&module=package&version=highlights&contentPlacement=1&pgtype=sectionfront&_r=1

The Wild


Verna Gillis ヴァーナ・ギリス

1942年生まれの音楽学博士、プロデューサー。
1974-1980 ブルックリン・カレッジ、1988-1990 カーネギー・メロン大学でそれぞれ助教を務める。1972=1978年にかけてアフガニスタン、イラン、カシミール、ハイチ、ドミニカ、ペルー、スリナム、ガーナの伝統音楽を録音。
1979年、マンハッタンにマルチ・カルチュアルなパフォ—マンス・スペースSoundspaceを開設、そこでの演奏記録が9タイトル、日本のDIWレーベルからリリースされた。
1984年からは、ユッスー・ンドゥール(セネガル)、ヨモ・トロ(プエリト・リコ)、サリフ・ケイタ(マリ)などのアーチストをプロモート。
1996年、国際赤十字委員会のコンサルタントに就任、多くのワールド・ミュージック系ミュージシャンのツアーを組織、CDを制作。
晩年はラズウェル・ラッドのパートナーとしてThe Oldersを結成、アーチー・シェップとの共演作『Live in NY』、マリに取材した『MALIcool』ではグラミー賞の「プロデューサー」部門にそれぞれノミネートされた。

 

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