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GUEST COLUMNNo. 236

座頭市の話 

text by Yoshiaki onnyk Kinno  金野onnyk吉晃

 

一、座頭市と勝新太郎

幸か不幸か無職である。

朝飯の後、チャンネルのザッピングをして、時代劇シリーズで「新・座頭市」をやっていたのでそのまま見てしまった。実に見応えがあった。

見たのは、1979年8月27日放映の第17話「この子誰の子」。脚本は佐藤繁子・奥村利夫、監督は太田昭和、助演は藤村志保、清水康晴、蟹江敬三など。

勝新太郎の「天才ぶり」は、既に多くの人が語る所であったが、この一作だけでもそれが十二分に伝わる。何を今更と勝ファンには叱られそうだが、私は何にでもハマってしまう質なので、「勝伝説」には敢えて近寄らないようにしていたのだ。

JAZZTOKYOだからというのでもないが、勝新のスタイルはマイルス・デイヴィスに通じると思う。勝が語った「時代劇の型を壊さなきゃならないんだ」というのはまさにマイルスのジャズへの挑戦と同じ姿勢だ。

ファンのサイトを見ると、私の見た回が特別素晴らしい訳ではなく、名作とされる回がいくつかあるという。勿論私は知らない。だから、あたかも「今迄、座頭市について全く知らなかった外国人が、たまたま、この古い日本のテレビドラマを見た」かのように語るとしよう。

一本の映画として見たとき、撮影のアングル、カット割り、照明、メイク、大道具小道具、編集、男女含め俳優陣、脇役、台詞、殺陣、そして音楽、全てに文句のつけようがない。

例えば、斬り合いのシーン、即座にアングルは俯瞰になり、市の流れるような動きを見せる。

山裾の道を市が歩いている。子供が市の真似をしながらついてくる。と、向こうから股旅姿のヤクザものが4人やってきて斬り掛かる。市が4人の間をすり抜けると、全員が斬り倒されている。確かに仕込み杖を抜き、それをパチリと収めるのだが、どういう動きをしたのか分からない。これを俯瞰で撮っている。

この美しく素早い殺陣は、勝だけでなく、出演者全員の殺陣の息がピタリと合っていないとできることではない。

それだけではない。子供と歩くときには晴れていた空が、一瞬曇り、ヤクザどもが地に伏して子供が駆け寄ると、また照って来る。これは照明ではない。雲の流れの影が見えるからだ。今なら後から処理できる技術はあるだろうが、当時の編集では考えられない。天まで味方するというのはこういうことか!

そして、これをじっと見つめる女の顔はアップになり、枝の間から、見え隠れするようなショット。このパターンはまた繰り返され、女の顔は格子の向こうに見え隠れというカットもある。子役を使った回は出来が鈍くなるというのが定評らしい。しかし、第17話「この子誰の子」では、母役、藤村志保の演技というか表情というか、存在感がカバーしている。

別のシーン。町なかの路上、ヤクザが大挙して座頭市に襲いかかる。カメラはまた俯瞰となり、振り回されるダンビラの反射の中で、市の乱流の如き動きが、次々とヤクザを倒していく。

このシーン、音楽がまたいい。ファンの間ではもう知られていることだが、斬り合いのシーンではティンパニの連打(最近、庵野秀明も闘争的シーンで多用しているが)。しかし、それだけでなく他の打楽器も入り、それを縫うように尺八、いやフルート、いや横笛、判別できなかった笛の音が鋭く、しなやかに流れる。怒濤のごとき大勢の敵を打楽器群で、そして市の流れるような動きが笛で表現されるかの様である。

また、母親が子供を寝かしつけつつ、部屋を去り行く市を見送るシーンの音楽は、なんとエレクトリックピアノ一本!これは間違いなくフェンダーローズ、しかもあの特徴的なトレモロなしでのソロ。こういうシーンでエレピのソロが来るとは思わなかった。これが実によい情感を出している。

ついでに言えば、照明もギリギリの暗さで、人物の表情の陰影を際立たせ、狭い一室をさらに狭くして、視線を集中させる。

一体誰が音楽監督なのかと思ったら、村井邦彦という人だった。そして彼は、作曲家、編曲家としては有名で、GS時代からプロデュースを手がけ、あのアルファミュージックを立ち上げ、YMOの売り出しを成功させた事でも知られている。おみそれしました。葵の御紋の印籠を見せられたかのようだった。

座頭市のファンサイトでは、ゲスト出演した俳優、とくに女優たちの話があり、実に面白い。

いしだあゆみは、スタッフの少なさに驚いたという。精鋭スタッフで作っていたことは他の俳優も語っている。また勝は台本を無視することがままあり、共演者に状況と役柄だけを説明し、即興的に演技させるということが少なく無かった。

これはクリント・イーストウッドも良くやる手だ。テストだと思って演技していたら「カット」と言われ、そのシーンのテイクが終わったという話は、メイキングで良く語られていた。

似た話は、「ビッチェズ・ブリュー」録音時の「ジョン・マクラフリン」という曲で有名だ。録音済みのテープを回し、スタジオ内のジョンに適当に演奏させておいたが、彼はそれが録音されていると知らず、終わった瞬間に「OKだ、このテイクでいく」となった。考えてみれば、マイルスの最後の最後迄付き合ったミュージシャンとしては、マクラフリンを挙げるしか無いだろう。「ビッチェズ・ブリュー」セッションで、マイルスもジョンも、生涯の付き合いなると感じたのかもしれない。

新藤兼人が脚本を書いている回もある。俳優以外でもスタッフの話は尽きない。撮影開始ぎりぎりどころか、既に刻限を過ぎているのに勝は将棋を指している。さすがに「そろそろ開始しないと」と促すと、即座に座頭市の扮装をしてしまう。おそらくこれは自分に緊張感をもたらすための儀式、魔法だったのかもしれない。これもスタッフに信頼を置いているからこそだったのか。いや、単に勝の我が儘だったのか。

殺陣の凄さは、真剣を使った事があるというほど、そして其の為に死者が出たという話からも伝わる。座頭市は架空の人物であり、その盲人剣法はどんな流派にも関係がない。要するに、仕込み杖を抜いたが最後、周囲は皆敵として、なんであれ斬りまくる。だから一人でなければ戦えない。仲間が居ても切ってしまうかもしれない。

この独自の殺陣を見ていると、市の動きは、全て「円を描き」無駄が無い。前の敵を斬った次の瞬間、その姿勢のままで刀を後ろに向けて刺す。気配は察知しているのだ。とにかく回りは全部敵。目が見えないことを知っている敵は、市がどこに注意を向けているかわからないから容易には踏み込めない。周囲に動く者の気配が消えた瞬間、仕込み杖は鞘に収まり、市の戦闘モードは切れる。

スターウォーズ「ローグ1」でのジェダイの弟子みたいな盲人(ドニー・イェン)の殺法に似ている。しかしはるかに先にいっていたし、おそらく香港映画界で座頭市の影響は大きかっただろう。勝とブルース・リーが二人だけで話し合った「事件」があった。通訳は居なかったという。

影響という意味で言えば、座頭市作品の雰囲気は、マカロニウェスタンのそれを感じる。勝は、フィルムノワールもよく見ていたというが、なるほどそれは分かる。しかし、様々なアングルを駆使し、殺伐たる殺し合いを美しく見せ、それをエンニオ・モリコーネの異彩を放つ音楽で演出するというのは、どちらかというとマカロニウェスタンの美学ではないだろうか。

また、それで出世したイーストウッドが、早撮り、即興的撮影を得意とするのは、ある種の共通項のように感じてしまうのだった。イーストウッドもまた自ら作曲を手がける人間だ。映画というのは一つの音楽であり、楽曲はまたひとつの映画であろうか。

 

二、座頭と瞽女と津軽三味線

ここからは、ちょっと映画を少し離れる。

座頭市は盲人であり、按摩を生業としているのが設定だ。「座頭の市さん」である。しかし、本来の字は「座頭」ではなく「座当」であるべきだ。というのは江戸時代、幕府公認の「当道」という組織があり、盲人への施策として、これに加入させ、音曲などを学ばせていた。そして座当は市井の楽士、音楽教師として暮らしを立てたのである。この組織に居た者を座当と呼ぶ。

そして座当は音曲の腕をあげるほど、格が上がり、最高位は検校(けんぎょう)という名で知られる。往時、検校の権威は大名クラスだったという。また当道は周囲の町人や武士からもなにがしかの金品を徴収する事が許され、組織内では冥加金のような制度をもち、組織上部の者程、金銭的に潤う仕掛けだったという。だから座当は金貸しなどもやって、随分と怨みを買ったこともあったらしい。

また、女性の盲人は、独自組織があり、瞽女がその代表例である。これは盲御前がなまってこのような呼称になったという。瞽女は、その組織であった「座」が、昭和の障害者政策のなかで施設に収容されて消滅してしまった。しかし、その寸前にジャズ評論家の間章や、画家の斎藤真一らが演奏を録音してレコードをプロデュースしたり(1973年)、他にもさらに古い音源がCD化され(1999年)聴く事が出来る。水上勉の小説「はなれ瞽女おりん」(1975年)も、映画化され、其の存在を知らしめた。実際の瞽女の演奏風景も幾つかソフトが販売されているが、私は小沢昭一と網野義彦の「大系日本・歴史と芸能・第13巻-大道芸と見世物-」(VHSと対談集のセット。1991年、平凡社・日本ビクター)しか実見していない。近年では晴眼者が、瞽女の音楽を伝承しようという動きもある。

また2014年、アメリカ人研究者、ジェラルド・グローマーが岩波新書で「瞽女うた」を出版し、話題を呼んだ。

嘗ては、盲人の女性にはシャーマン的な職業も選ばれた。梓巫女やイタコがそれである。私の住んでいる岩手では「ゴミソ」と呼ばれる巫女的存在が昭和期まではいた(実見している)。

梓巫女もイタコも、当初は「梓弓」と呼ばれる据え置き型の弓の弦を、独自の文言を唱えながら弾き、トランスに入って降霊をしたという。しかし理由は不明だがイタコは後には使用しなくなった。もはや梓弓は目にする事もほとんどないが、そのサウンドは、小沢昭一によるあの有名な「日本の放浪芸」(CD化されている)にわずかに収録されている。

また全ての座当が音楽に秀でていた訳ではなく、その才能の無い者が按摩になった。したがってこのような座当を、「つかまり座当」などといって蔑んだ事も知られている。

盲人は全てが当道に入れた訳ではない。賤民、非人クラスの被差別集団出身の盲人は当道に入れなかった。彼らには世襲の生業が定められていたからだ。それらの問題については、今は措いておく。

明治になって当道は解散させられ、多くの盲人が路に迷う事になった。そして検校クラスの者でさえ寄席などで芸を売る事になった。しかし、本来であれば座当になれないような、階層外の盲人までが音曲をやるようになった。

その御陰で津軽、現在の五所川原にいた一人の盲人が三味線を手にし、津軽三味線を創始することになった。通称「神原(かんばら)の仁太坊(にたぼう)」がその人である。彼の父は渡し守だったので、江戸時代なら当道に入る事はできなかっただろう。八歳で視力を失った息子、仁太(坊)はしかし彼は幼くして三味線を習い覚える事が出来た。一説には仁太(坊)の母が瞽女だったからとも言われる。

何故、彼が仁太坊と呼ばれるかであるが、津軽では、芸を売る盲人を「ボサマ」(=坊様)と呼び、固有の名前に坊をつけるのが普通だった。そしてボサマは、「ホイド」、つまりは乞食の意味に転用されていた。原義的には「ほかひびと」、祝福をして回ることで施しをうける人々の意味である。そして津軽では、座当を「ジャド」とも呼び、「ジャド=ボサマ=ホイド」という意味で蔑まれていたのだ。これは厳密に組織化された瞽女や、降霊という特殊技能を持ったイタコが、決して蔑視の対象で無かったことと対照的である。

蔑視される事は音曲をやる者の宿命であろうか。ジャズであればそこに、アフロアメリカンであることが加わっただろう。しかし、被差別であればこそ、音曲に自由と生きる糧を見いだしたのであり、また最も蔑まれるものの中に聖性が宿るのもまた宿命である。

初めて弘前市のライブハウスで津軽三味線を聴いたときの感動、津軽民謡を聴いたときの戦慄、そしてある大会で津軽の民衆が一斉に、名も無き三味線奏者の好演に喝采以上の清聴で応える瞬間に接して以来、津軽は近くて遠い異境だった。

後に瞽女歌を初めて聴いた際、津軽三味線との間に呼応を感じた。そして資料を知るほど、その関係には確信をもった。しかし、それだけではない。

以前、ある場所に津軽三味線の成立と発展について書いたが、敢えてここでそれを要約するなら、状況的には当道の解散、弘前連隊の設立があり、音楽的には瞽女うたの影響、浄瑠璃の太棹三味線の導入があり、音色的には、津軽人の好むノイジーなサウンドとしての「唸り」、イタコの梓弓に聴く「叩き」の音色などが挙げられると思っている。

読者諸氏には、是非一度「津軽三味線の神様」と称される、白川軍八郎の演奏を聴いていただきたい。其の生前の録音は残されている。実際、彼こそが「神原の仁太坊」の最後の弟子であった。(了)

 

追記:

私がここに書いた事共の多くは、津軽在住の作家、大條和雄氏の著作によるところが大きい。氏は、偏見と闘いながら、聞き取りを重ね、多数の人々の記憶を紡ぎ直し、巷間にはびこる虚飾やイメージを剥ぎ取り、津軽三味線の歴史を記載したのである。

氏はまた、亡くなったジャズ評論家、副島輝人氏と協力して津軽三味線を、世界に知らしめた。まさに、その時、メールス・ニュージャズ・フェスティヴァルに出演した三味線奏者は故山田千里である。生前、山田師は灰野敬二とも共演、生悦住英夫氏の設立したPSFからその共演盤が出ているし、ジョン・ゾーンとの共演でも知られる佐藤通弘の師匠でもあった。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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