タガララジオ 47
track 394-399
Niseko-Rossy Pi-Pikoe
表参道の月光茶房の1Fにあるエスプレッソ・バー『ラテスト』の商品「チョコ味のラテスト」にハートを射抜かれてしまったー、全世界のECMファンの聖地となった月光茶房、お休みがちになっていたけど6月からはまた再開との報せがいま、Facebook を駆け巡っている、
晩年の清水俊彦は月光茶房の常連だったわけだが、ある時店主に「マスターはコルトレーン派ですか?ロリンズ派ですか?」と問うたという、
<track 394> わたしだけ? / 灰野敬二
記事「灰野敬二のデビュー・アルバム『わたしだけ?』がアナログレコード再発」
6月16日発売、1981年にリリースされたデビューアルバム、本誌Jazz Tokyoでは剛田武によるインタビューが予定されている、
むかしむかし97年頃だったかな、パソコン通信のニフティ・フォーラム「倶楽部ECM」で暴言王だったハンドルネーム「ちるちるミスチル」であるおいらは、フォーラムの20数名を集めてジャズ喫茶四谷いーぐるを貸し切ってオフ会をしたことがあるある、ケティル・ビョルンスタや、マイ・ブラディ・ヴァレンタイン、パナソニック、コンポステラ、エドワード・ヴェサラ、キース・ロウ、などをかけまくった、な、いーぐるのJBLで大音量で聴きたかったのだ、灰野敬二の不失者の轟音音源ももちろんかけた、ECMマニアたちにノイズの価値を知らしめたいという、
会場にいらっしゃっていた竹田賢一さんに、「不失者、どうっすか!」とへらへら語りかける無礼者のわたしに対して、「ノイズはいいですね、わたしにとってはルー・リードのメタル・マシーン・ミュージックが衝撃でした」と、丁寧なお応え、内心(えっ?ルー・リードでしょ?ノイズなのん?)うろたえるおいら、
ひとと出会うたびに、耳が拓かれていった、若かりし日々、
2017年にはじめて聴く『わたしだけ?』、ヴォイスの灰野敬二はうめいて叫んでいるのではなかった、瞬間的インプロヴィゼーションの強度に舞っていたのだ、ギターやピアノの鳴りもまったく古びていない普遍性を示しているし、この演奏に張り詰める聴取するちからのあり様からは灰野の多楽器指向も納得させられる、処女作に作家のすべての萌芽が書き込まれているという真実が明らかにも、
ちょうどこの盤について剛田さんから知らされたときに灰野敬二とローレン・マザケイン・コナーズのデュオ盤を聴いていたのだが、灰野とコナーズは同じ種族のギタリストでることが感得される、
★
ECMレーベルこの春の新譜、ヴィンテージ級3作品をチェック、
<track 395> The Dreamer Is The Dream / Chris Potter (ECM 2519) 2017
Chris Potter: tenor and soprano saxophones, bass clarinet
David Virelles: piano, keyboards
Joe Martin: double bass
Marcus Gilmore: drums, percussion
現代のコルトレーン・カルテットを言うならば、この4にんだろ!
モダンジャズの衣鉢を継ぐ王道でありつつも、コンテンポラリーな演奏力も編み込ませる、かつてのブルーノートレーベルがそうであった機能を今ではECMレーベルが担っているという事実、
今どきのジャズはどうもわからんとお嘆きのおいらにとっては、これぞジャズ喫茶で堂々となっていてほしい保守本流文句なしジャズなのだ、
異才・天才の David Virelles だって、しっかりと味のあるモダン・ジャズ系ピアノをなりきって弾いていてゴキゲンではないか、
クリス・ポッター、またさらに一段巧くなったな、エナジーから抑制に腰を落として万全な横綱相撲で邁進する、当代のサックス奏者はクリス・ポッターとマーク・ターナーが両横綱だと断ずる、どちらもECMレーベルだ、ジョー・ロヴァーノはどう位置付けるかって?あのおっさんはもう殿堂入り、親方格だからね、そうそう、
こないだのタダマス(4月23日、益子博之×多田雅範=『四谷音盤茶会Vol.25』@喫茶茶会記四谷三丁目)でゲストコメンテーターにお招きした大村亘(ドラム・タブラ奏者/作曲家)さんはマーカス・ギルモアが17、18さいの頃からその新しい才能に瞠目していたという、毎年ニューヨークへ定点観測に出かけている益子さんも同時期に注目していたという、
おれなんかその頃はヴィレッジヴァンガードのスケジュールをネットで見ては、ポール・モチアンとエリック・ハーランドが週替わりで叩きあう二大横綱状態を想像していたに過ぎない、
さすがだな、
<track 396> Find The Way / Aaron Parks, Ben Street, Billy Hart (ECM 2489) 2017
こちらはさらに上を行くようなヴィンテージ感でドキドキさせるピアノ・トリオだ、
稲岡編集長から「今度はアイヒャー・プロデュースでっせ」と、えっ、それはいいのですか残念なんですか親分、それはお前の耳で確かめろと厳しい目、
アーロン・パークスのピアノ・ソロも、イェーヲン・シンちゃんの神名盤も、ECMレーベルのアイヒャーの後継者になるだろうと目されているサン・チョンのプロデュースによる、ECM新時代を告げる出来だったではないですかー!、おれはそのことをちゃんとディスクレビューで書いた記憶があるぞ、
さあ、この新譜、じつに素晴らしい、のは、どこだ?そうだなあ、ビリー・ハート(1940)76さいの叩く新鮮なおおらかさにあるのではないか!
音楽はダダ漏れ、なのだ、
ジャズ史において、間違いなくピアノ・ソロ、ピアノ・トリオの革命を先導してきたレーベルであるECMレーベルは、クレイグ・テイボーンやヴィジェイ・アイヤーにそういうソリッドな作品を世に問わせるだけではなく、
こういう寛いだ雰囲気でありながら、いくらでも可変であるような余裕をタメに込めながら、リスナーの精神のこわばりをほどいてゆくような、ぐっと風景を変えてみせるような、演奏の呈示、
比較の対象としては適切ではないが、チャールズ・ロイド『I Long To See You』(Blue Note)2016の素晴らしいアメリカ性の意匠に溢れたジャズ演奏の滋味は愉しむことを強制しているような加齢臭がありはしないか、パーツは文句なしに素晴らしいんだが、精神を触発するジャズ演奏という点ではまったく判断が異なるように思う、
もう一度書くが、音楽はダダ漏れ、なのだ、
<track 397> Up and Coming / John Abercrombie Quartet (ECM 2528) 2017
ECMレーベル、ヴィンテージ級の新譜3連打のトリは、まさにレジェンド、ジョン・アバークロンビー様です、
John Abercrombie Guitar
Marc Copland Piano
Drew Gress Double Bass
Joey Baron Drums
アバークロンビーの70年代ECM作品はしばらく廃盤の憂き目にあっていたんだが、このカルテットの登場によってほぼすべてが復活CD化されている、じゃあバイラークはどうかというと別の話なのか、
このカルテットは70年代ECMであれば出せなかったようなノリの良いトラックも平然と収められているあたり、そこは微妙に境界線があるのではないか、このカルテットでしか登用されないようなコープランド、バロンの狭く徹した芸風、それはアバークロンビーがもっとも映えるように絶妙にカスタマイズされた采配なのではないか、
なんて、欧米のジャーナリズムでは絶対に書いてはいけないような残酷なことを、
だがしかし、このカルテットの良さ、よ、永遠演奏マシンとなったアバークロンビー、本家本流のマエストロ、どのフレーズもアバークロンビー印満開、どれもチガウのに見分けがつかないお花見の相、
<track 398> asnyc / 坂本龍一 2017
記事「坂本龍一 『async』を全身で感じる」
https://i-d.vice.com/jp/article/ryuichi-sakamoto-async-exhibition-news
おれの周りのディープなリスナーたちからは評判が芳しくないこの新譜、おれはさー、泣けたぜ、トラック1と7のピアノの詩情だよ、諦念だよ、祈りだよ、
Field Recording フィーレコと呼称している最先端の音楽ジャンルがある、このジャンルは従来のジャンル観では踏み込めなかった、聴取すること自体のアクチュアリティを俎上にのせる、または問題化するという思考が要請される分野である、単にマイクを持って外界を録音編集しているだけではない、
現代ジャズやインプロヴィゼーション、現代音楽の極北が交差する領域と目されている、
坂本龍一の耳は、それらの領域にある音を吸収している、ここにある心地よいサウンドの個々はどこかで聴いたことのある欠片ばかりであるし、たとえばトラック5のサウンドはちょうどポップスの限界のように4分ほどにまとめられている、ことに、ディープなリスナーは腹が立つ、あざとい、と、でもさ、坂本龍一がインプロヴァイザーであったことなどないし、ポップスの職人であったわけだし、それはさ、クラシックのテクネーで交響曲1番を書いた新垣隆にすっかり感動してしまった事象と同型ですらある、戦後高度成長の奇跡を果たした日本人ならではの良いところだと思うのです、
デヴィッド・シルヴィアンとの「ワールド・シチズン」2003のその向こう側、へ、
反原発も環境問題もミュージシャンによってガス抜きされてるだけじゃん、おれたち、そういえばミスチル+小林武史のAPバンクってどうなったのよ、
<track 399> 流動体について / 小沢健二 2017
おれの周りのディープなリスナーたちからは既読スルーされているだけのオザケンの新譜、
その年齢に生活に実感にほんとうを歌うこと、
男の子のパパとして颯爽とうたうオザケン、ジョンレノン気持ち、
この言葉の密度、空海さんの密教の呪文だよ、ちゃんと歌えたら不思議な魔法もつかえてるよ、
19年ぶりだってきちんと先頭をはるか先行して道を指し示す、
アレンジのパーカッシブはダヴィヴィレージェスだべよ、
毎日の環境学のインストの高みをちゃんと評価してないだろ、みんな!
2017年2月21日(火)
午前3時に起きて150kmくらい走って、朝の羽田空港国際線に停まって空を見上げてたばこ、今日の仕事はこれでおしまい、
1時間ほど眠って、同僚とあいさつして書類書いて、テレビつけてたら、朝のワイドショー、今日の朝日新聞に小沢健二19年ぶりの新曲シングルの全面エッセイ広告だって!、
すぐにリンちゃんのいるセブンで朝日新聞買って、そして走り回る港区、ツタヤの神谷町にも新橋にもCD売ってないのか、
銀座の山野楽器だ!三越銀座の向かいだろ、店の入り口に横付け、ウインカーたてて、晴れた銀座通りの歩道に飛び出すお金持ちの夫婦がよける、店頭の美人ちゃんと目があう、
グーをくちにあてて片手でハンドルまわして西銀座から首都高に乗る、歌詞にサウンドに嗚咽する口元を誰にも見られないように、
ばいばいすると、リュウちゃんの表情がゆがむ、じいちゃんまたすぐに会いにくるからね、(でも、いつもふっと消えてしまうかもしれないからね)
「神の手の中にあるのなら その時々にできることは 宇宙の中で良いことを決意するくらいだろう
無限の海は広く深く でもそれほどの怖さはない 宇宙の中で良いことを決意する時に」
小沢健二、服部隆之、真城めぐみ、神のトリオが復活することがあるなんて!
謝辞にセカオワがクレジットされているよ、どうして?
エッセイの愚息3さいのなんとも天才な賢さ、
さよなら!、だれだれ、こんにちは!、だれだれ、
夜中のテレビが太陽は大きくなって地球を飲み込んで宇宙はそのあと、と、語っています、