Jazz and Far Beyond
和み系の音色を、レトロでサイケデリックで時に狂信的な音像へと変幻させるおもちゃの音楽家の無邪気と天邪鬼の狭間に漂う危うい感性の閃きは、地下音楽や即興音楽に通じる異端精神に溢れている。
本来記録用として録音された音源がフランスに渡り、ブルターニュとパリでのミキシングとマスタリングを経て初めてエスプリの出会いが実現した。
自在・闊達にして巧妙なペン捌きで、エリントンの広大で深淵な音楽を彼流に鮮やかに再構築、まさにお見事の一言
熊本拠点のギタリスト、宮崎真司が率いるドラムレス・カルテット。奏でる音がもつれ合い、ダンスのように動き回り、ゆらめくように広がり、互いの刺激的な音を誘い出す。
この世には、聴くと脳のどこかの回路に電気が流れはじめ身動きが取れなくなるアルバムというものがある。
バックグラウンドの全く違う二人の会話がとても新鮮。
どれを選ぼうか散々迷ったが、2023年で一番印象に残ったのは、と聞かれるとやはりHiromiのTiny Desk Concertでの演奏だった。このバンドはともかくすごい。日本ツアーではすでに進化していると聞く。今後の活動に期待が膨らむ。
ブロッツマンの遺作となったリトアニアのインディ NoBusiness Recordsと防府のインディ ChapChap Recordsが手を携えたシリーズ第2期の終盤を飾る1作。
ダイナミックにして快調、哀愁も伴った出色な演奏を展開。ラテン・ジャズの愉しさ横溢した逸品でもある。
チャバ・パロタイは、ハンガリーを代表するジャズ・ギタリスト。彼の音楽的な歩みを総括するような本作のタイトルは、日本の無声映画「港の日本娘」に登場する女性(砂子)に由来するようだ。
空間への働きかけも、構造物からの反響も、個人の演奏という範疇を超えている。そのために録音媒体としての本盤は、ライヴの再現や再構築というものではなく、別のなにものかになりえている。
イギリスの即興演奏家ジョン・ブッチャーソロ・アルバムでは、サックスという楽器による表現をとことん追求して到達したひとつの境地、音世界がここにある。
これほど心の景色とその色彩を濃厚に留めた音を、私は知らない。
この追悼コンサートの出演者の幅広さをみれば、悠さんがジャンルやスタイルを遥かに超えて(Far Beyond)、汲めども尽きぬ豊饒の音楽を聴き、語り、愛してきたことがよくわかる。
それでは、常見登志夫さん撮影の写真で構成されたスライド・ショーで追悼コンサートを振り返っていただこう。
佐々木梨子との出会い2023年最大の衝撃だった。女子高生なのにではなく、抜群のテクニックとタイム感を身に付け、明確に自分の音楽を創り出す。中村海斗は作曲家とドラマーとしての才能を遺憾なく発揮し、同世代の仲間を巻き込み進化していく。
まあそれにしても60周年、OB・OGだけでも700名強、じつに多士済々な面子が集まっているものである。
こちら聴き人の臓腑を射抜きつつその細胞レヴェルまでをも騒つかせた驚愕の音場に大満足した宵であった。
熱海未来音楽祭はこのライヴから始まった。ちょうどハマスのテロに端を発したイスラエルとハマスの戦争が始まって間もない頃だっただけに、『復讐から愛への肌触り』というテーマがグサリと心に刺さった。
住宅地のど真ん中にある扉を開けるとジャズ・レジェンドたちの肖像写真に囲まれた音楽空間が広がるマジカルなスペースで繰り広げられるドイツ・アヴァン・ジャズの熱演は、おそらくヨーロッパの田舎町のライヴハウスやジャズカフェでの演奏に近いシンパシーを感じたに違いない。
今年一番印象に残っているライブは、やはりなんと言ってもCory Henry(コーリー・ヘンリー)のソロピアノのライブだ。こんなに単純な楽しさを提供してくれるコンサートに行ったのは久しぶりだった。
大島の加入によって内向的だったFutari(藤井と齊藤)の音楽が外向的になった。SANはSUNをも意味するのかも知れない。
3人はそれぞれ自分の作業に没頭し好きなルートを走り、ときどき横目で並走者のルートに入ったり、なにやら投げつけ合ったりもする。音がどこから聴こえるのか、そこからなにを感じ取るのか。場の力と演者の力が手を組んだライヴだった。
メールスでアレクセイ・クルグロフに再会できたことが嬉しかったと同時にカリーナ・コジェーヴニコワを知ることが出来たのは大きな収穫だった。