ヒロ・ホンシュクの楽曲解説 #25 Jon Hendricks <Manhattan>
この11月はパラパラと重要人物が亡くなった。まずは11月18日にモンクのドラマーとして知られたベン・ライリー(Ben Riley)が亡くなった。筆者にとってはケニー・バロン・トリオでのライリーの演奏が特に好きだったので、ここでライリーの魅力をじっくり解説しようと思っていたら、なんと22日に2人、一人は我がマイルスをコロンビアに引張って来て『Round About Midnight』や『Milestones』などをプロデュースしたジョージ・アヴァキアン(George Avakian — アルメニア系ロシア人の名前なのでアヴァキャンという発音は間違いだと思う)と、なんとジョン・ヘンドリクス(Jon Hendricks — 日本で使われるジョン・ヘンドリックスという言い方にどうも馴染めないので、ヘンドリクスと表記することをお許し頂きたい)が同時に亡くなった。2人とも90代後半の高齢とは言え、ヘンドリクスの死はやはりショックであった。一つの時代の終わりを感じた。今回は楽曲解説というより、故人を偲んでヘンドリクスについて書いてみたい。
ジョン・ヘンドリクスという人
ヘンドリクスと言えば、筆者にとっては筆者の師であるジョージ・ラッセルの1958年の作、『New York, N.Y.』での活躍である。ジョージを含め多くがこのアルバムでのヘンドリクスをラップ・ミュージックの発祥と位置付けをする。ご存知と思うが、ラップ・ミュージックの定義は、「韻を踏んだ、リズミックに話す喋り言葉」だ。だからこのアルバムが本当にラップの発祥と言ってしまうと、ではもっと古いブルースで喋るように歌われた南部のスタイルはどうなるか、ということになるかもしれない。それと反対に誰もが認めるヘンドリクスがイノベートしたのがヴォーカリーズだ。ロリンズのエアジンのソロに歌詞を付けて歌い上げてしまうヘンドリクスは驚異的だった。そしてランバート・ヘンドリクス&ロス(以下LH&R)だ。ヴォーカリーズをたっぷり楽しませてくれる。このグループは色々な意味で歴史を変えた。
話はちょっと逸れるが、筆者は歌ものがあまり得意ではない。筆者にとって音楽とは自分のその日のムードで違って聞こえたいものと思っている。ところが歌詞がその自由を奪ってしまう。だからあまり歌手を聴いていない。そんな筆者でもジョン・ヘンドリクスだけは比較的よく聴いた。それは彼のスキャットの素晴らしさとヴォーカリーズの素晴らしさに魅せられたからだ。しかし彼の本当の凄さを知ったのは随分と後だ。筆者の母親が初めてボストンを訪れた時、クラシックのピアニストである母親に過激なジャズはかわいそうと思い、レガッタバーでのジョン・ヘンドリクスのかぶりつきのチケットを奮発した。結果、狭いジャズクラブでの歌手のかぶりつきは大失敗と学ぶことになる。何せ近すぎて目が何度も合ってしまって、恥ずかしくてどうしようかと思ったことしか覚えていない。あの時ヘンドリクスの凄さをちゃんと理解していたら楽しめただろうと、とても残念だ。
さて、筆者の若気の至りは別として、彼がどうすごかったのか箇条書きしてみよう。
- 優れた詩人
- ヴォーカリーズをイノベート
- 恐ろしいスピードで次から次へと新しい題材をプロデュースし続けた
- LH&Rという、米白人、米黒人、イギリス人というフォーマットで人種差別の厳しい時代に成功を収める。
- イギリスに移住し、アメリカだけでなくヨーロッパでも、ローリング・ストーンズやビートルズなど多くのシンガーに影響を及ぼす。
- 教育者としてもヨーロッパとアメリカの多くの大学で教鞭を取り、これにおいても多くの影響を与えた。
ともかくヘンドリクスはいたるところに影響を残した人として、歴史的に重要なアーティストなのである。日本人にも広く愛されているブラジル人歌手、ジョイス(Joyce)やブラジル・ギターの大物フィロ・マシャード(Filó Machado)もヘンドリクスと共演していることを今回知り、まさかのブラジル音楽とも接点があることに驚いた。調べてみたらなんとジョビンのライヴでガル・コスタとデュエットまでしている。オールスター企画なので内容は残念なものなのだが。
ところで、筆者の尊敬するブラジル音楽の第一人者、フルート奏者の城戸夕果さんを通して幸運にもジョイスからコメントを頂いた。
『ジョン(ヘンドリクス)とは、とても素敵で幸せな想い出があります。”Language and Love”というアルバムをアメリカのヴァーヴ・レコードで制作していた時、”Taxi Driver”という英語の歌詞のサンバを書きました。ニューヨークでタクシーを拾ったブラジル人の女の子が、運転手に南米人差別をされることを危惧し、自分がヨーロッパから来たのだと装うことで丁寧に応対してもらおうとする話を語っています。歌詞がうまく理解されないのではとレコード会社が心配していたところ、共同プロデューサーのユーリス・キャシィ(Eulis Cathey)が、ジョンにゲストとして入ってもらい、その場でラップを繰り出してもらうというアイデアを提示してくれました。そのジョンの素晴らしかったこと。彼とはその後も何度か会う機会があり、最後は彼が当地リオに来演した時になりましたが、とても嬉しい再会でした。』
また、先日城戸夕果さんを通して筆者が一緒にプロジェクトで演奏させて頂いた前述のフィロ・マシャードは、『ヘンドリクスの大きくて暖かいハートと、彼の繊細さを私は忘れない。』とFacebookに書き込んでいた。フィロは1984年と1992年にヘンドリクスと共演している。前述したようにヘンドリクスの幅広い世界的な繋がりに感銘する。ジョイスもフィロもコメントでヘンドリクスの人柄を思わせる。
さて、ヘンドリクス、この恐ろしいほどの魅力的な人格と、驚くほどの学者的要素、それに詩人としてと音楽家としての両方の才能を考えると、彼のバックグラウンドが気になる。調べてみたところ、彼は黒人教会の牧師の子供(14人家族という記述がある)として生まれている。ほとんどの黒人歌手は子供の時から教会で歌い始めているが、ヘンドリクスの場合は家が教会そのもののような環境だ。10歳ですでにプロ活動。12歳でファッツ・ウォーラー、13歳でなんとテッド・ルイスという黒人のバンドリーダーのコメディーショーにレギュラーとして参加。ここでのヘンドリクスの役が興味深い。彼の役はルイスのシャドーとしてルイスのコピー動作をする役だったそうだ。これが最高の勉強になったのだと思う。すべての修行は模倣からだ。その後すぐにヘンドリクスはアート・テイタムのグループで歌い始めることになる。
そして第二次世界大戦で徴兵され、終戦後なんと法学部に入る。ところが巡業中のチャーリー・パーカーに誘われてNYCに移り、すぐに名を知らしめるところとなった。
『New York, N.Y.』
このジョージ・ラッセルのアルバムには記述すべきことが実に多くある。まず、ラッセル本人の、このアルバムを作ろうと思った真意が謎なのである。直前に斬新極まりない『The Jazz Workshop』で世間を驚かせ、また困惑させ、直後にこれまた時代より進化しすぎていた『Jazz in the Space Age』を発表したその中間のアルバムは、ラッセル・ファンにとっては普通すぎるサウンドだった。反対に当時の一般聴衆には受け入れやすいものだったわけだ。ただしラッセルのジョン・ヘンドリクス起用には賛否両論別れた。ラッセルのヘンドリクスの起用はもっとも歴史的に重要だと称賛したダウンビート誌に対し、ヘンドリクスのナレーション(ラップ)がなかったらどんなに素晴らしいアルバムだっただろうか、とニューヨーカー誌は批判した。つまりジャズ専門誌はラッセルの新しい試みを称賛し、一般週刊誌はラッセルらしからぬ聞きやすい音楽にヒップなナレーションは邪魔だと批判したわけだ。
もしかしたらラッセルは最初からそういう計画だったのかもしれない。ヘンドリクスのラップで新しい試みをするなら、音楽の内容は自分が今までやってきた実験音楽にすべきではない、と。実際このアルバムで驚かされるのは、ラッセルは完璧にトラディッショナルなオーケストレーションを習得しているだけでなく、そのトラディショナルな技法を用いて全くユニークなサウンドを構築していることだ。
ジョン・ヘンドリクスが回想する(George Russell: The Story Of An American Composer by Duncan Heining / ISBN-13: 978-0810869974 英語版からの引用)。
「ラッセルは私を探しに詩人がたむろするターフ・バーに立ち寄った。彼の名は知っていたが、彼の音楽は知らなかった。ジャズ・ミュージシャンらしからぬ彼の威厳を持った礼儀正しい話し方に自分の身が引き締まった。彼は計画中のアルバムと参加ミュージシャンを私に説明した。
『率直に質問したいのだが、君は歌詞を書きますか?』
『やりますよ』
『ポエムも書きますか?』
『私にとっては歌詞もポエムも同じです』
『私はNew York, N.Y.というアルバムの制作準備をしています。凄腕メンバーが揃ったドリーム・バンドです。』
メンバーを聞いて『そんなすごいメンバーのバンドで、私に一体何をしろと?!』と言った。
ラッセルは『アルバムはニューヨークが題材です。それぞれの曲の繋ぎにニューヨークを描くポエムを挿入して欲しいのです。できますか?』
私は『もちろん!』と即答した。」
<Manhattan>
“Think you can lick it, get to the wicket, buy you a ticket, Go!”
マックス・ローチのグルーヴしまくるブラシ・ワークに乗り、ヘンドリクスの軽快なラップが始まる。ヘンドリクスによると、このラップのオープニングのドラムはクレジットのチャーリー・パーシップではなく、マックス・ローチとの別録音だそうだ。蛇足だが、元ドラマーのジョージ・ラッセルはマックス・ローチを見てドラマー廃業を即決したと言っていた。だが彼はライヴでドラムマシーンを指で叩くのが大好きで、そのよだれの垂れそうな彼のグルーヴ感が今でも筆者の耳の裏に張り付いている。またラッセルのピアノ演奏が唯一無二だったのは、彼はピアノを完璧に打楽器として演奏したからだ。話を元に戻そう。
『実行するんだ。切符売り場に行って、切符買って、(ニューヨークに)行こう!』
ジョージ・ラッセルが生前、筆者がニューヨークでのギグに出かける度にこの言葉を送ってくれたのを懐かしく思い出す。
このヘンドリクスが書いたポエムは恐ろしく優れており、また黒人独特のタイム感でグルーヴして喋るからたまらない。筆者は常々生徒に、ジャズを勉強したいならまず黒人英語のタイム感を学べと言うが、このヘンドリクスのラップは最高の勉強材料だ。
“If you scuffle hard enough then you ain’t no dunce”
『頑張ってやりゃあ愚か者なんかにはならねえ』
黒人英語だ。
“New York, New York, a city so nice they had to name it twice”
洒落てる。『ニューヨーク・ニューヨーク。名前が二重ってほどナイスな街だぜ』
この言い方がこの後流行って一般に使われるようになっている。ご存知だと思うが、ニューヨーク・ニューヨークというのは、ニューヨーク州ニューヨーク市という意味だ。アメリカの他の州で主市が州の名前になっている場所を筆者は知らない。おそらくニューヨークだけだと思う。
『この街にはどこに行っても共通したものがある』
『ジャズだ』
『おれはもっとも短いジャズ・ポエムを書いてみたさ』
『いちゃつくとか接吻とかそんな内容じゃねえ』
『たった一言さ』
『Listen!』
「聴け!」と言ってこの曲を紹介する、なんてクールな詩だろう。かっこよすぎて震えが来てしまう。これがジョン・ヘンドリクスのすごさだ。ジョイスのアルバムに急遽呼ばれてラップのリクエストを受けたことでも容易に理解できる。彼は作詩の天才であり、しかも即興でそれをすることができ、ものすごいグルーヴ感でビ・バップのようにスイングしてラップする。
さて、最後になるが、このアルバム、特にこの曲、<Manhattan>に関してもう一つ特筆すべきことがある。コルトレーンだ。
コルトレーン
まずこの曲<Manhattan>のクレジットは以下の通り:
- Art Farmer, Doc Severinsen, Ernie Royal – trumpets
- Bob Brookmeyer, Frank Rehak, Tom Mitchell – trombones
- Hal McKusick, John Coltrane, Sol Schlinger – reeds
- Charlie Persip – drums
- Milt Hinton – bass
- Barry Galbraith – guitar
- Bill Evans – piano
ソロ・オーダーはブルックマイヤー、ブルックマイヤーとリハクのトロンボーン・トレード、ビル・エヴァンス、コルトレーン、最後にアート・ファーマーだ。
筆者の本誌No. 230での<Nardis>での記事でも少し触れたが、この頃のコルトレーンは自信のなさから練習の鬼だった。マイルスが無理やりフィラデルフィアからNYCに移住させなかったら、コルトレーンは多分無名で終わっていたかもしれないと言われるほどだ。本年公開されたジョン・コルトレーン・ドキュメンタリー、『Chasing Trane』で詳しく明らかにされたが、ライヴの休憩中にトイレで練習するほど練習の鬼だった。このコルトレーンの練習狂が、この<Manhattan>のレコーディングで大問題を起こした。コルトレーンは自分のソロのセクションでバンドを止め、休憩を要求し、部屋の片隅で練習を始めた。次のギグがあるミュージシャンや、スタジオ代がどんどんかさむプロデューサは怒り出し、誰がこんなコード進行の読めないヤツを連れてきたのだ、と非難の浴びせ合いが始まった。しかしラッセルはマイルス同様コルトレーンを理解していた。コルトレーンはコード進行が読めなかったのではなく、自分がやりたいこと、つまりそれぞれのコードに対し、多角的にラインを構築するアプローチをどう処理するかで苦悶していたのだ。興味深いのは、当時心底コルトレーンに腹を立てていたボブ・ブルックマイヤーは後々コルトレーンが歴史を変えるほどの天才だったとわかり、インタビューで「その時コルトレーンはジョージ(ラッセル)に食い下がり、(リディアン・クロマチック・コンセプトで書かれた)コード進行がどう機能するのかしっかり理解しようと質問責めしていたんだ。彼は単純にコードを読んでソロをとるなどという行為をしたくなかったんだ。」と語っている。
最後に、せっかくの楽曲解説なのでコルトレーンのソロのさわりの部分がいかにリディアン・クロマチック・コンセプトなのか、ラッセルの2冊目の本に掲載されているものを抜粋する。残念ながらこの本は邦訳されていない。手前味噌で申し訳ないが、筆者の<Monk’s Monku(モンクの文句)>という作品も掲載されている。興味のある方は是非輸入版で入手して頂きたい。ラッセルの未亡人によると近々アマゾン・ジャパンで輸入版が入手できるようになるそうだ。
The Lydian Chromatic Concept of Tonal Organization: The Art and Science of Tonal Gravity
ヒロ・ホンシュクさま。いつも深く掘り下げた楽曲解説、本当に勉強になります!
そして毎回楽しみにしております!
それにしても今回の、ジョイスからのヘンドリクスさんとのコメントは、とても反応が速かったですね!皆でランチを取っている間に、すぐに送られてきましたね。(ところで、私などがヒロさんに尊敬するなどと言われると、畏れ入ってしまいます!)
ジョージ・ラッセルさんとの想い出の言葉 “Think you can lick it, get to the wicket, buy you a ticket, Go!” まさにジャズの中で生活している、こういうヒロさんのたくさんの貴重な経験が、ヒロさんの音楽に反映しているのですね!素晴らしいです。
夕果さん、もったいないお言葉、ありがとうございます。とても励みになります。日々夕果さんの素晴らしいアルバムの数々を拝聴して精進に励んでおります。これからもどうぞよろしくお願い致しいます。
🙇🏻
ヒロさん、こちらこそ、これからもどうぞよろしくお願いいたします!