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Hear, there and everywhere 稲岡邦弥No. 330

Hear, there & everywhere #54 穐吉敏子メモリアル・コンサート

text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
photo by Toshio Tsunemi 常見登志夫

 穐吉敏子メモリアル・コンサート
2025年9月8日
東京・第一生命ホール

穐吉敏子 (p)
ルー・タバキン (ts,fl)
金森もとい (b)
高橋信之介  (ds)

 穐吉敏子さんの生誕95歳を記念したコンサート。 カメラータ・トウキョウの代表、井阪 紘さん肝入り。井阪さんが穐吉さんと出会ったのは1968年の暮れ、神原音楽事務所の代表(当時)故・神原世詩朗さんの自宅。コンサート当夜配布されたリーフレットで井阪さんは語る。それがきっかけで彼女のソロ・アルバム『Jazz, the Personal Dimension』を制作することになる。1973年、LAに移住してリハーサル・バンドを結成、穐吉さんからの依頼で録音したのが『孤軍』。おそらく日本ではもっとも知られた穐吉敏子=ルー・タバキン・ビッグバンドのデビュー・アルバムだ。ルバング島で終戦を知らずに孤軍奮闘していた小野田少尉発見のニュースを耳にし、穐吉さんが急遽書き上げ追加した曲が<孤軍>だった。2枚目に録音したのが『ロング・イエロー・ロード』。このアルバムを含め、井阪さんがRCA時代に制作した穐吉さんの7枚のアルバムはすべてグラミー賞のビッグバンド部門にノミネートされたという。RCA/RVCから独立以降も穐吉さんとの協業は続き、井阪さんにとって今回のコンサートは穐吉さんとの長く続いた協働のひとつの区切りなのだろう。

穐吉さんは、満員の聴衆が固唾を飲んで見守る中、やや覚束ない足取りながらひとりで小さな身体をピアノまで運び自ら椅子に身を預けた。聴衆から「ほっ」と安堵のため息が漏れるのが聞こえるようだ。黒いドレスに羽織ったペール・ブルーのカーデガン・ジャケット。ジャケットに縫い込まれたスパンコールが95歳のコンサートを祝っているかのように光を放っていた。「オープナーは彼女の代表曲<ロング・イエロー・ロード>。おそらくは黄色人種(イエロー)の女性がアメリカでジャズを稼業に生き抜いてきた決して楽ではなかった長いキャリアに思いを馳せたものではなかろうか?4人のアンサンブルにやや乱れがみられたものの無事に弾き終えた。彼女の見せ場は2ndセットの冒頭、ソロの<The Village>にあった。リズムもテンポも気にすることなく思うままひたすら鍵盤に指を走らせた。往年を彷彿させる流麗なフレーズが随所に見られた。穐吉さんタバキンのトリオにゲストで参加する形だったので、トリオが演奏するときはピアノの背後に隠れて休息をとっていた。穐吉さんはトークで聞き逃せないコメントを発した。「私は宣伝のためにアメリカに連れて行かれたのです」「だから、だれかのバンドのメンバーになることは許されなかった。唯一、入ったのはミンガスのバンドでした。ミンガスの最後を病室で看取りました」と言ってカルテットで<Farewell to Mingus>を演奏した。

主催の井阪さんと同い年 (1940~)というルー・タバキンが予想以上の演奏を聴かせた。かつては「白い」という評価もあったテナーは見事にグルーヴし、フルートでは表情豊かに円熟の極みを聴かせた。ベースの金井とドラムスの高橋は「日本にもこういうミュージシャンが出てくるようになったのね」と折り紙をつけた。また、フラメンコ調の<ダンシング・マハ>で聴かせた高橋のカスタネットの妙技はドラマーの余技をはるかに超える名人芸に近いものだった。

稲岡邦彌

稲岡邦彌 Kenny Inaoka 兵庫県伊丹市生まれ。1967年早大政経卒。2004年創刊以来Jazz Tokyo編集長。音楽プロデューサーとして「Nadja 21」レーベル主宰。著書に『新版 ECMの真実』(カンパニー社)、編著に『増補改訂版 ECM catalog』(東京キララ社)『及川公生のサウンド・レシピ』(ユニコム)、共著に『ジャズCDの名盤』(文春新書)。最新刊に訳書『キース・ジャレットの真実』(DU BOOKS)。2021年度「日本ジャズ音楽協会」会長賞受賞。

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