#42 映画「ジャズ喫茶ベイシー Swifty の譚詩 (Ballad)」
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
池袋・新文芸坐で映画『ジャズ喫茶ベイシー Swifty の譚詩 (Ballad)』を観た。数年前に公開された映画(ドキュメンタリー)だが、新文芸坐が改装に際し、Bungei-phonic Soud System(BPSS) を構築、音声はフル装備の5.1chで聴かせようという企みだから「観た」というより「聴いた」というべきか。サウンド・エンジニアのオノ セイゲンが自ら手がけた坂本龍一シリーズを中心に『モリコーネ 映画が恋した音楽家』や『ジャズ喫茶ベイシー』を合わせてキュレイションしたようだ。BPSSの素晴らしさは、先に観た『モリコーネ〜』で堪能した。映画館に居ることが信じられないようなダイナミックレンジ、オーケストラのトゥッティを鳴らしきるそのレンジ間の滑らかさ、さらにはロックで聴かせる地鳴りのようなサブ・ウーファーの極超低音。迫力を持たせながら耳を疲れさせないチューニング。かつて映画の革命といえば、シネラマやシネスコのようにスクリーンのサイズの巨大化で視覚に訴えるものであったが、5.1chは聴覚への挑戦である。とくにインディ系の作品が増え、ミニシアターが主流になりつつある昨今、映像の4kと音声の5.1chはむしろミニシアターが生き残りを賭ける手段かもしれない。
『モリコーネ〜』で新文芸坐の BPSSの素晴らしさを堪能した後での『ジャズ喫茶ベイシー』である。星野監督もオーナーの菅原正二の人となりを捉えると同時に「ジャズ喫茶ベイシー」の「音」を捉えることにこだわり、スイス製のテレコ「ナグラ」を5台持ち込みタワーのようなラックを組み立てた。70年代、テレコの名品といえばNagraが定番だったが、この5台のテレコがどのように使用されたか、何れにしても劇場で耳にする音はアナログの快感に満ちていた。映画に使用されたフッテージはアーカイヴも含まれていたようだが、阿部薫のソロを除いて音のクオリティは確保されていた(阿部薫は1971年にベイシーで演奏しており、『阿部薫/完全版 東北セッションズ 1971』Nadja21 に収録されているが、映画で使用されたフッテージは音も含め他所の演奏と思われる)。例えば、エルヴィン・ジョーンズのドラム・ソロは「ベイシー」で収録された演奏だが、そのサウンドは映画の中でも際立っていた。それは、 ”良い音は何より演奏者が演奏する良い音に依存する” という真実を実証するものだろう。
どこであれジャズ喫茶はオーナーの人となりを反映するものである。そういう意味で「ジャズ喫茶ベイシー」を知ることはオーナーの菅原正二を知ることになる。学生時代、菅原は早稲田のハイソ(ハイソサエティ・オーケストラ)のドラマーでバンマスを務めていた。学生らしからぬタイトスカートにハイヒールの女性を数人従えて ”音楽長屋” 近辺で見かける菅原は無骨な男子校出の筆者には異次元の先輩に映った。卒業後数年先輩のチャーリー石黒率いる東京パンチョスのドラマーの座にあったようだが、その後故郷に帰り「ベイシー」を開店した。菅原は名エッセイストとしての一面も持ち、阿部薫のCDブックレットに綴られた思い出を読みその巧みな語り口に驚いた。学生時代のイメージとあまりにもかけ離れているからだ。映画を通して観る、或いは聴く「ベイシー」はその名エッセイスト菅原正二そのものだ。「菅原さんはどうして営業時間外でもアンプの灯を消さないのですか?」「君は寝ている間、心臓を止めているのかい?」「針圧はどれくらいですか?」「今日の針圧だよ」「店内のドラムセットは共振しませんか?」「ハイハットひとつ、スネアひとつ置くと共振してオーディオの邪魔になるが、セットで置いておくと単体の共振が相殺されて逆に味になるんだ」「菅原さんにとってジャズとは?」「ジャズってジャンルはない、ジャズな人がいるだけさ」。
終演後の鼎談で、オノ セイゲンが「ベイシーは蔵そのものがスピーカーの箱のような物で、蔵が鳴っていると考えれば分かりやすい」と語っていたがけだし名言。(文中敬称略)
監督:星野哲也
編集:田口拓也
出演:菅原正二、島地勝彦、厚木繁伸、村上“ポンタ”秀一、坂田明、ペーター・ブロッツマン、阿部薫、中平穂積、安藤吉英、磯貝建文、小澤征爾、豊嶋泰嗣、中村誠一、安藤忠雄、鈴木京香、エルヴィン・ジョーンズ、渡辺貞夫 (登場順) ほか ジャズな人々
エグゼクティブ・プロデューサー:亀山千広
プロデューサー:宮川朋之 古郡真也
配給・宣伝:アップリンク
2020/日本/104分/1.85 : 1/DCP/