ジャズ・ア・ラ・モード # 72. ストライプ柄のズート・スーツを着たジャズミュージシャンたち
72. Jazz men in the stripe zoot suits
text and illustration (Lester Young) by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos: Over Time The Jazz photographs of Milt Hinton, Library of Congress-William P. Gottlieb Collection, Pinterest, Getty imagesより引用
このコラムの第1回目でチャーリー・パーカーのストライプ・スーツを取り上げた。
主として1940年代、チャーリー・パーカー以外にも、コールマン・ホーキンスやレスター・ヤングなど多くのジャズ・ミュージシャンがストライプ柄のスーツを好んで着ていた。2025年新年で8年目を迎えるコラムの1回目はこのテーマをもう少し掘り下げていこうと思う。
まず、スーツに見られるストライプについて、コラム#1.のチャーリー・パーカーでは代表的なストライプとして、ピン・ストライプ(針の頭で書いたような細いストライプ)、ペンシル・ストライプ(鉛筆で書いたようなストライプでピン・ストライプよりやや太め)、チョーク・ストライプ(チョークで書いたようなざらつき、かすれ感があるやや太めのストライプ)の3つを取り上げたが、まだストライプは何種類かある。
人気のあるものとして、オルタネイト・ストライプと、シャドウ・ストライプを付け加えておこう。
オルタネイト・ストライプはその名の通り『交互縞』。色や幅の異なる2本以上の縦縞を互い違いに並べたストライプのことを言う。他のストライプと比較すると、装飾的で華やかなイメージの柄となる。
シャドウ・ストライプは、一見無地のように見えるが、光の当たる角度や見る角度によって浮き出るストライプ柄で、シャドウ・ストライプと無地を写真で判別するのは難しい。
ストライプが持つ印象は良くも悪くもある。ピン・ストライプのように、細いものは爽やかで知的に見る。チョーク・ストライプやオルタネイト・ストライプはやや遊びっぽく派手な印象になる。ちょっとお金持ちに見えるかもしれない。どちらかと言うと、体格の大きい人の方が似合うだろう。
*ストライプのバリエーション
次にこのストライプ柄の母体であるスーツについて、見てみよう。
そのスーツは『ズート・スーツ』と呼ばれ、全体に大きくダボダボしていた。ジャケットは長い着丈で大きな肩パッドが入っており、スラックスは極端に太く裾口で細くなるペグトップ・スラックスというのが基本スタイル。(ペグトップは洋梨型という意味)スラックスはハイウエストで股上が深く、サスペンダーで胸下あたりまで吊り上げられていた。この時代“パンツ”とはまだ呼ばれておらず、スラックスまたはトラウザーと呼ばれていた。スーツに合わせるネクタイはスラックスがハイウエストのため、短く少し太めで派手な柄物が多かった。
写真を色々探していると、少し派手目なストライプ・スーツを着ているミュージシャンが意外に多いことに気がついた。
*1940年代中頃のズート・スーツを着たミュージシャン達
アメリカでは、1930年代末から1940年代初頭にかけて、新しいストリート・スタイルのファッションが生まれていた。
このカルチャーの立役者は、差別が根強く残っていた当時のアメリカ社会で生きるアフリカ系アフリカ人、そして戦時体制のアメリカ軍へ服務するため、南カリフォルニアへ移住してきたメキシコ人、社会の底辺に位置する非白人系の若者たちだった。当時、隷属的な扱いを受けていた有色人種が、白人の着る仕立ての良い上品なスーツに反抗して着始めた。彼らは、派手な服装でキメて、ジャズのリズムに酔いしれることで鬱憤を晴らした。
彼らは新しいスタイルのスーツに身を包んでいた。そのスーツは全体にダブダブのシルエットで、赤や黄色、ピンクなど目立つ色彩、サテンなどの光る素材やストライプといった派手で目立つ素材を使うことが多かった。その服は、『ズート・スーツ:zoot suits 』と呼ばれた。『ズート・スーツ』のルーツはそんなところにある。
『ズート』とは『大麻』という意味もある。また、合いの手や掛け声を意味するジャズ用語の『ズーティー:zootie』が語源で、それが〝イカした〞とか〝先端的な〞を指すスラングへと変化した言葉でもある。そして、このスタイルを好む人達は『ズーティーズ』と呼ばれるようになる。
ジャズは1940年代後半、スウィングからバップへと新しいスタイルが生まれつつあった。
1930年代のジャズはまだ大衆芸能の域を出ておらず、ミュージシャンたちもそれを自覚していた。ダミ声で白いハンカチーフをひらひらさせるルイ・アームストロング、白いサテンのスーツのキャブ・キャロウェイ、サテンの上着にストライプのスラックスというスタイルのデューク・エリントンバンドなどに代表されるように、それぞれ個性的なスタイルでジャズ・ミュージシャンたちは自分たちのパフォーマンスをアピールしていた。スウィング・ジャズのミュージシャンたちがタキシードを着ていたのは白人の聴衆に対する敬意の表れだっただろう。
バップのミュージシャン達が採用したファッションはこの正反対にあった。チャーリー・パーカーやディジー・ガレスピーといった当時バップを始めたミュージシャンたちは、自分たちの音楽が以前とは全く違う新しいスタイルだということを、ファッションでも示そうとした。「彼らはイギリスの株式仲買人のような格好をした。それは、白人が期待しているところの陽気な黒人の芸人の役を演じることを慎重に避けようとする試みでもあった。」と海野弘氏は書いている。(音楽の手帳“ジャズ”1981年より)
当時の人気のズーティーズ・ミュージシャンたちが好んで着たこともあり、ズート・スーツは若者の間で、瞬く間に流行していった。
1940年代のバップがそれ以前のジャズと違うのは、彼らのライフスタイルの表現とジャズが一緒に強く結びついていることだろう。
1940年初めにはバップはまだ5~6人のプレイヤー達が実験的に試みるアイデアに過ぎなかったのが1940年半ばには1つのムーヴメントとして認められるようになり、多くのファンを獲得した。それが単なる音楽的な形以上のものであるのは、当時の人々の言語、ファッション、行動、習慣などに明らかに表現されている。
当時、第一線で活躍したミュージシャンたちを見てみると、チャーリー・パーカー、コールマン・ホーキンス、レスター・ヤング、ディジー・ガレスピー、セロニアス・モンクなど、皆、ミュージシャンの中でもさらに個性の強い人たちである。
コールマン・ホーキンスのスーツのダボダボさ加減は、他のミュージシャンの群を抜いている。チャーリー・パーカーはファッション・センスに長けていたとは言い難いが、3番目の妻ドリスがペンシル・ストライプのスーツが好きで、彼女に着せられていたようだ。どんなストライプも好きだったようだ。セロニアス・モンクは、彼のパトロン的存在だったヒップなパノニカ・ド・ロスチャイルド・コーニグズウォーター夫人のアドバイスがあったのかもしれない。
カウント・ベイシーはスウィング・ジャズのミュージシャンだったが、ファッションにはうるさく、新しいものが好きだった。
クラーク・テリーやジジ・グライスのものはもう少し時代が新しく、ズート・スーツが洗練されてきた頃のものかもしれない。シングル・ブレストのスーツになっている。
ストライプのズート・スーツを着るジャズミュージシャンたちは、時代の流れに敏感で感受性も強く、上昇志向も自己顕示欲も強い人達だったような気がする。
彼ら自身のパフォーマンスでもファッションでも、とにかく目立ちたかったのだろう。皆、ストライプのズート・スーツが格好良くとも悪くとも、よく似合っている。
You-tubeリンクは1944 年に製作されたフィルム、<ジャミン・ザ・ブルース:Jammin’ The Blues>
レスター・ヤングを中心としたジャム・セッション。バック・クレイトン(tp)、ハリー・エディソン(tp)、イリノイ・ジャケイ(ts)、マーロウ・モリス(p)、ガーランド・フィニー(p)、ジョン・シモンズ(b)、シドニー・キャトレット(ds)、ジョー・ジョーンズ(ds)、レッド・キャレンダー(b)、マリー・ブライアント (vo)。1944年。
冒頭、テナー・サックス奏者のレスター・ヤングがペンシル・ストライプのスーツで登場している。
<ジャミン・ザ・ブルース:Jammin’ The Blues>1944
*参考資料
・ONE HUNDRED YEARS OF MENSWEAR: Carry Blackman
・ストリート・トラッド~メンズファッションは温故知新:佐藤誠二郎
・音楽の手帳、ジャズ:1981年、青土社(絶版)