ジャズ・ア・ラ・モード #74 フレッド・アステアのオックスフォード・バッグズ
Text and illustration (Fred Astaire) by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos: William Paul Gottleib collection, Pinterest, Getty imagesより引用
様々なミュージシャンやシンガーの写真を見ていると、それまで気がつかなかったことを発見し、リサーチしてこのコラムを書くことが多々ある。特に日本人で戦後生まれである筆者が体験していないものはよく調べないとわからない。ファッションは時代の鏡と言われるが、時代と共に消えていくものも多くある。
フレッド・アステア(Fred Astaire、1899年5月10日 – 1987年6月22日)の写真と映像を観ていた。彼のタキシードで踊る姿は、美しく惚れ惚れする。アステアはダンサーだったが、優れたジャズ・シンガーでもあった。アステアは、ネブラスカ州、オマハ出身。4歳からダンス・スクールで学び、17歳でブロードウェイに進出した。俳優、ダンサー、シンガー、舞台から映画界に転じ、1930年から1950年代にかけてハリウッドのミュージカル映画最盛期に活躍した。特に、ジンジャー・ロジャースと組んでのダンスは有名で人気を博した。晩年はテレビショウでも活躍した。
アステアがダンサーとして活躍した1930~1950年代の彼の動きは、無駄な動きが一切なく、素晴らしく滑らかで美しさを有すると共にダイナミックでもある。アステアの写真を見ていて、ふと疑問に思った。現在では多くの既制服にストレッチ素材が当たり前のように使用されている。ストレッチ素材とは、1958年に米国のデュポン社が開発し、米国では『スパンデックス』と呼ばれるポリウレタン混紡の伸縮性のある素材のことである。デュポン社は1959年に『ライクラ』の商標名で発売した。expand =伸びる、が語源。開発された当時はストッキング、靴下、下着、水着などに用いられたが、次第に服へとその使用範囲は広がっていった。日本では『ポリウレタン』と表記される。
アステアは伸縮性のない素材の服、特にパンツ(1930年当時はトラウザーと呼ばれた、その後スラックス、現在はパンツと呼ばれるのが一般的になった)でよく自由に踊っているな、これは、トラウザーの作り自体に何か秘密があるに違いない、と思い調べてみた。
あたらめて1930年~1940年時代のメンズファッションをみると、アステアの履いているトラウザーは『オックスフォード・バッグズ:Oxford Bags』と呼ばれるものであることが分かった。
このオックスフォード・バッグズの由来は1920年に遡る。オックスフォードとは文字通り、英国のオックスフォード大学のことで、オックスフォード大学の学生たちによって考案されたゆったりとした分量のトラウザーだった。
1924年の秋、オックスフォード大学では、その春まで学生たちが好んで履いていた暖かいニッカーボッカーズを教室内で履くことを大学側が禁止した。ニッカーボッカーズ:Knickerbockers)はパンツの一種で、長さが膝下までで裾に少し膨らみがある短いパンツのこと。米国では当時、プリンス・オブ・ウェールズであったエドワード8世が(1894~1972)が1924年にアメリカ訪問時にこの流行を持ち込んだ。最初は野球、ゴルフなどのスポーツウエアとして広まり、現在日本では土木・建設工事の作業服として多く見られる。(日本では、ニッカポッカと呼ばれているようだ。)
オックスフォード大学が、何故ニッカーボッカーズの校内での着用を禁止したのかは定かではないが、大学の出入りまで禁止したようだ。それに反発した学生たちが、ニッカーボッカーズを覆うために、さらにゆったりとしたトラウザーを考案した。現代イギリス服飾家として知られるジェイムズ・レーバー卿は自身の著書『西洋服飾史』に以下のように述べている。
「1920年以降のトラウザーの大きな変化は、その幅が広くなったことであるが、これは多分オックスフォード大学のボート部員たちが競技用のショートパンツの上に、タオル地の幅広パンツを履いたことから始まったと推測される。それを他の学生が真似て、ニッカーボッカーズを覆うゆったりとしたオーバーパンツを考案した、という説がある。」と。
この学生たちの上品な反逆は、瞬く間に他の学生たちの人気を得て、多くの学生たちが履き始め、一般の人たちへも普及した。オックスフォード・バッグズは非常にエレガントなトラウザーである。
考案された当初のトラウザーの裾周りは22~24インチ(56~58センチ)だったが、次第にその幅は広くなり、44インチ(110センチ)以上になったものもある。トラウザーのフロントに2本のプリーツが入っており、ややハイウエストで、ウエストベルトがつく。ベルト通しのループはない。前開きファスナーで前開きに見返しがつく、ポケット、裾の折り返しは必ずある。とにかくパーツが多く、縫製もしにくい構造のトラウザーだ。
これに、1920年代に米国ハーレムのサヴォイ・ボールルームなどで流行していたスウィング・ジャズやリンディ・ホップといった新しいダンスを踊る人たちが目をつけた。彼らはオックスフォード・バッグズを履くようになった。
そして、1930年代~1940年代には、フレッド・アステアをはじめ、リンディホップ・ダンサーのフランキー・マニング(1914~2009)が、映画スターでダンサーでもあったジーン・ケリー(1912~1996)、ビング・クロスビー(1903~1977)、そしてフランク・シナトラ(1915~1998)や他にも有名な俳優たちまでもがスクリーン上で着用するようになった。ハリウッドは大きな宣伝媒体でもあり、オックスフォード・バッグは米国でも一般に知られるようになり普及していった。米国で流行したものは実用的にデザインが少し変化している。ベルトにベルト通しのループがつき、トラウザーの裾の折り返しのないものも多い。
ちょっと話がずれるが、米国人がトラウザーの裾を折り曲げてダブルにしたのは一説によると、20世紀の初めに、英国のある貴族がニューヨークで催された結婚式に参列する途中、雨に遭い、濡れないようにパンツの裾を折り曲げた。それを見たあるアメリカ紳士が、「やっぱり、英国人はお洒落。そうやってパンツを履くのか・・・。」といって始めたという話がある。真偽の程は確かではないが、裾を折り返すことで、パンツ自体に重みが出て安定感が出るので、ダブル折り返しの裾は下半身を美しく見せるのに効果があるが、よりカジュアルもなる。(メンズファッションに於いて、フォーマルなパンツの裾はシングルが基本。)
米国でオックスフォード・バッグズが流行したのは、1940年当時流行していたダボダボの『ズート・スーツ』との影響と相まっていることも考えられるが、ズート・スーツとオックスフォード・バッグズとはシルエットが少し違う。ズート・スーツの方が身幅、パンツ幅にさらに余裕がある。(#72.ストライプ柄のズート・スーツを着たジャズミュージシャンたち参照)しかし、どちらもダンスをすることに適しているトラウザーであることは確かである。
米国のハリウッドは大きな宣伝媒体でもあり、スターたちが最初にオックスフォード・バッグズを着用したが、一番有名かつ美しく着こなしていたのはフレッド・アステアだったと思う。
アステアは、ベルト通しのループのないオリジナルのトラウザーとほぼ同じつくりのものをよく履いている。トラウザーの裾幅も極端に広くない。これは、アステア自身がダンスをするのに適当な分量のものを選んだと考えられる。ウエストをスカーフのようなもので縛り、トラウザーが動きによってずり落ちないように工夫もしている。
このオックスフォード・バッグズ・スタイルは1960年~1970年代にリバイバルした。『モッズ・ファッション』と呼ばれる新しいファッションの流れが英国で誕生した。『モッズ』とは、モダニスト(modernist)からくる用語で、モダンジャズの意味もあるが、一般には『モッズ』と省略されて呼ばれた。
モッズはイギリスの労働者階級の若者の間で1960年代半ば頃、流行した音楽、ファッション、ライフスタイルなど若者の文化を総称していう。ファッションでは、ポマードやグリースをつけず髪を下ろした短髪のカット、細身の三つボタンのイタリアンなスーツ、ミリタリーパーカ、沢山のヘッドライトやミラーで装飾されたスクーターなどが彼らの好んだアイテムだった。
当時米国ではソウル・ミュージックが流行した。モッズ達はソウルを中心に、R&Bといったブラックミュージックを好み、ブルースやジャズも人気があった。ちなみに、英国中部のリヴァプール出身のビートルズはモッズ・ファッションでデビューした。
1970年代の英国は不況の真っ只中だった。英国の暗黒の時代で、節電、ストライキが多く、若者達の多くはナイトクラブで踊ることだけが楽しみだった。特に英国北部、中部の労働者階級の若者達は米国のソウル・ミュージックの影響を大きく受けた。そこでオックスフォード・バッグズとボウリングシャツというスタイルが流行した。1940年代同様に、ゆるいパンツが激しい動きに適していた。後に、それは『バギー・パンツ』と呼ばれるようになる。バギーとは、袋のことである。日本でも1970~1980年代初めに大流行し、カジュアルなものから少しドレッシーなものまで流行り、筆者も体験した。
ファッションは繰り返すが時代と共に新しさを取り込みながら変化する。だからファッションは面白い。
You-tubeリンクは1本目は1935年のフレッド・アステア主演映画『トップ・ハット:Top Hat』。アステアのソロ<トップ・ハット、ホワイト・タイ、アンド・テール>で燕尾服にトップ・ハットというアステアのイメージは不動のものになった。アステアの華麗なダンスと歌が楽しめる。
Fred Astaire – <Top Hat, White Tie and Tails> From 『Top Hat』 (1935)
2本目はジョージ&アイラ・ガーシュイン作のミュージカル映画『ジークフェルド・フォリーズ・』から<ザ・バビット・アンド・ザ・ブロマイド:The Babbit And The Bromide>1946年。フレッド・アステアとジーン・ケリー主演。
二人とも、オックスフォード・バッグズを履いて踊っている。
Fred Astaire & Gene Kelly- <The Babbitt and the Bromide>
3本目は1935年、フレッド・アステアとジンジャー・ロジャース主演の『スウィング・タイム:Swing Time』日本では『有頂天時代』として公開された。1936年。
*参考資料
・One hundred Years Of Men’s Fashion:Carry Backman:2010
・男の服飾事典 監修:掘 洋一、出版:婦人画報社1991