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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 247

ジャズ・ア・ラ・モード #16 ナンシー・ウィルソンのエイジング・グレイスフル

16. ナンシー・ウィルソンのエイジング・グレイスフル

Nancy Wilson, Aging graceful with her fashion
text by YokoTakemura 竹村洋子
Photos: Pitrestより引用

ナンシー・ウィルソン(Nancy Wilson 1937年2月20日〜)。<Guess Who I Saw Today >の人である。

70枚以上のアルバムを発表し、3つのグラミー賞を受賞。ブルース、ジャズ、R&B、ポップなど幅広いジャンルの歌を唄うシンガーである。
アメリカでは、『完全なアクトレス』とか『完璧なエンターテイナー』などとも言われている。彼女は『The Baby』『Song Stylist』『 Fancy Miss Nancy』『The Girl With the Honey-Coated Voice』など多くのニックネームを持つ。

オハイオ州出身。音楽好きの父親の元に育ち、子供の頃はビリー・エクスタイン、ナット・キング・コールやライオネル・ハンプトンなどを聴いて育つ。多くのジャズ・ジンガーがそうであるように、彼女も教会の聖歌隊で唄っていた。その頃から既に歌の才能があることに気付き、14歳にしてゆくゆくはプロのシンガーになる事を意識しはじめていた。
オハイオ州、コロンバスでのハイスクールの生徒だった頃、地元のローカルTV局が主催したタレントコンテストで優勝。当日週2回放送されるテレビショウ『Skyline Melodies』のホストに起用される。彼女は15歳から18歳頃までは地元のナイトクラブで唄っていた。ハイスクール卒業後、教師を志し、大学(Ohio Central State College)に入学するが1年でドロップアウトし、Rusty Bryant and the Carolyn Club Big Bandに入団し、1956〜1958年までメンバーとして活動する。この時、初めてのレコーディングを行う。

1959年にキャノンボール・アダレイに出会い、キャノンボールの “大きな都市で才能を開花させるべき”という勧めでニューヨークに移り、ナイトクラブで活動を始める。キャピトル。レコードから1960年に<Guess Who I Saw Today ?>< Sometime I’m Happy>を発表。このデビューシングルはヒットし、大成功を収めた。1960年〜’62年に彼女は5枚のアルバムをリリースし、以後、次々とヒットを飛ばし、同時に彼女自身がホストを務める『The Nabcy Wilson Show』を手がけエミー賞を受賞している。その後も多くの人々に愛され続けているシンガーだ。現在81歳。2006年以後、度々の入院で現在も病魔と闘っている。

個人的な好みから言わせてもらえば、私はジャズを聴き始めてから長きに亘り、この人の良さがわからなかった。鼻にかかった声(それをhoney-coated voiceと言うのだろうが...)こぶしを回したような唄い方がどうしても好きになれず、何故この人がアメリカで人気があるのか、全く理解できなかった。
ただ、容姿の美しさと彼女のファッションは素晴らしいと思っていた。
デビューしたての若い頃から歳を重ねてもスレンダーな体型を保ち、体にはタイトフィットしたドレスに身を包んだナンシー・ウィルソンは文句なく美しくセクシーだ。ただのシンガーとしてではなく、“完璧なエンターテイナー”と呼ばれるだけあり、ショウビジネス界のスターとしてのオーラが常に満ち溢れている。
彼女のタイトフィットドレスは、50〜60年代はストレッチ素材もまだ普及しておらず、本当に体にバチバチにフィットしている。レッド、オレンジ、イエローなどの暖色系のカラーやスパンコールなどの装飾的な素材の物も多い。特にイエロー、レッドはお気に入りのカラーのようである。

話は元に戻るが、何故、彼女がそれほどに人気があるのか、私はアメリカで見たライブコンサートでやっと理解できたような気がしている。
私がアメリカで初めてナンシー・ウィルソンのライブを観たのは2000年、デトロイト・インターナショナル・ジャズ・フェスティバルのメインステージでのショウだった。もう彼女が60歳を過ぎた頃だった。ナンシー・ウィルソンは歌だけでなく、トークが抜群に上手い人なのだ。自分のTV賞でエミー賞をとるだけあるな。と、その時思った。トークの内容は特別な話題ではない。自分の息子や孫たちの話、日常の出来事などを歌と歌の間に挟んだり、曲の内容などを説明したり、そんな程度であるが、話をしている時のナンシー・ウィルソンは、完全に、『スター』ではなく『隣のおばさん(お姉さん?)』なのである。そんな彼女のもつ庶民的な部分が観客との距離を縮めてており、これも人気の大きな理由だろうと感じた。
彼女は日本にも何度も訪れたことがあり、私も何度か友人に連れられてコンサートに行ったことがあるが、言葉の違いを意識してのことだろうか、大体が次から次に唄うといったスタイルのショウばかりだった。

そんな日本でのナンシー・ウィルソンとは違う面を見たのと同時に、その時彼女が着ていた装いにも大いに驚かされた。なんと、トレードマークのようになっているスレンダーなドレスではなく、ソフトなメンズ仕立てのパンツスーツだった。インナーには、白のTシャツを着ていた。ショウは週末の遅い午後から夜にかけてのアウトドアのメインステージ。
この時、なんと聡明で美しい女性だろう!と強く感じ、一気にファンになってしまった。相変わらずスタイルは良く、スレンダーな体型は衰えておらず、だが、それを見せびらかす事なくステージで淡々と唄い、明るく喋る。若い時より声はずっと深くなっており、ストーリー・テラーさながらの歌い手になっていた。
(この時の写真は、小さなデジカメで客席から撮った素人写真である)

最後に唄った<Guess Who I Saw Today >では、この歌に登場する一主婦が彼女と完全にオーバーラップした。
この曲のオリジナルはブロードウェイ・ミュージカルの<New Faces of 1952>でジューン・キャロルというシンガーが歌ったもの。作曲はマレイ・グラント。作詞はエリス・ボイドによる。
<Guess Who I Saw Today >はある主婦が、昼間ショッピングに出かけたついでに入ったカフェで、偶然、夫の浮気現場に遭遇してしまった。というヘビーな内容の歌詞だ。夜遅く帰宅した夫に、「軽くマティーニでも作りましょうか?」と尋ね、彼女の1日の大変な出来事を話した上で、最後に「私はあなたを見ちゃったのよ!」という歌である。この主婦、おそらくニューヨークの郊外あたりに住んでいる、アッパークラスの女性。5番街あたりに何か新しいものはないかと探しに、ちょっとショッピングに出かける。通りにあった一番魅力的だったフレンチカフェに入る。このアメリカ人にとってフレンチカフェ、と言うのが如何におしゃれなものか?この歌詞のキーの一つような気がする。決して夫の浮気現場を見た女性を安っぽくしていないのだ。帰宅して夫に軽くマティーニなんて普通の主婦は作ったりしない。フレンチカフェとマティーニがこの歌のお洒落度を一層高めている。総て洗練された場面にいる気高く聡明でファッショナブルな女性の語りなのだ。
この時の主婦はきっと、白いT シャツに、ソフトなテイラードパンツかなんか履いていたかもしれない、トッズのスリッポンなんか履いており、車はBMWあたりだろうか?
そんな事を、私はナンシー・ウィルソンのパフォーマンスを見ながら考えていた。

実際に歌手生活後期のナンシー・ウィルソンはソフトに仕立てられたマニッシュなジャケットスタイルをよく着ている。若い頃のドレスアップしたスタイルからパンツスタイルの様にドレスダウンすることで、彼女はより一層、知的でファッショナブルになってきている。勿論、彼女のトレードマークのようなタイトフィットドレスも着ているが、それは歳を重ねるとともにより洗練されて素晴らしく美しく、彼女自身も優美になっている。

ナンシー・ウィルソンは洗練された、賢い装いをする人だ。自分に何が似合うかを、どうしたら自分らしさを、自分の美しさを見せる事が出来るか、よく知っている人だ。見習いたい。

*歌手生活後期のナンシー・ウィルソンのファッション

*スパンコールのドレス:デビューした頃と晩年の違い。後者の方が俄然貫禄があり、洗練され、スタイリッシュだ。

 

<Guess Who I Saw Today >

 

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

ジャズ・ア・ラ・モード #16 ナンシー・ウィルソンのエイジング・グレイスフル」への1件のフィードバック

  • ナンシー・ウィルソンが、12月13日カリフォルニア州の自宅で死去した。享年81。
    グラミー賞受賞3度、来日経験は7度。
    日本国内で制作されたアルバムには、宮間利之とニューハードをバックに従えた『Live in Japan』(Capitol 1974)、佐藤允彦が編曲を担当した『GODSEND』(日本コロムビア 1984)他がある。

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