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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 280

ジャズ・ア・ラ・モード #47. ヘンリーネック・T-シャツが似合うジャズ・ミュージシャン

47.Jazz musicians in henry neck T-shirts
text and illustration by Yoko Takemura 竹村洋子
photos:New Port Jazz Festival-Burt Goldblatt, Pinterest より引用

何か夏らしい話題はないかと探していたところ、ふとクインシー・ジョーンズ(1933年3月14日~)がボディにフィットしたボーダー・ストライプのヘンリーネック・T-シャツを着ている姿の写真が目に止まった。
おそらく1970年代~1980年代の前半。クインシーはまだ若く40代だろうか。とてもハンサムで男らしい。
クインシー・ジョーンズについては#14.クインシー・ジョーンズのセーター・ルックで、1950年代にヨーロッパでのコンサートツアーで自己のバンドのユニフォームにセーターを選び、それが当時いかに画期的で革新的な事であったか、ということを書いた。若い頃から現在に至ってもファッションに敏感でカジュアルウエアの着こなしが上手い人だ。

1970年代以降、ファッションのカジュアル化に伴い、ジャズ・ミュージシャン達もステージ上で堅苦しいジャケットやスーツを脱ぎ捨て、単品アイテムのカジュアルなコーディネートで演奏するようになって行った。
T-シャツ&パンツは最も一般的なコーディネートであり、今回取り上げるヘンリーネックのT-シャツはその一つのアイテムともいえる。

現在では誰もがシーズンを問わず、シンプルなT-シャツを定番アイテムとして何枚も持っているだろうが、一言で T-シャツといってもネックラインのデザインが変わるだけで着ている人の雰囲気がガラッと変わる。ネックラインは、クルーネック(丸首)、V-ネック、ヘンリーネックなど何種類かのデザインがある。
ヘンリーネック・T-シャツはクルーネックのネックラインのフロント部分を胸のあたりまで開き、2つ以上のボタンで留めてあるデザインのT-シャツのこと。大体において前立てがあり、その前立てや、ネックラインの縁取りに別布を使った物もある。長袖も半袖もある。
素材は主として綿が中心だが、化合繊やウールもある。また、布帛、ニット共にあるが、特にニット(丸編み、横編み)が多く、メリヤス編みのジャージー素材、リブ編み、サーマル素材なども多い。サーマルとは、thermal=熱、温度の、という意味。ワッフルやハニカムなどの凹凸が空気の層を作り、保温性を高めてくれる素材のこと。

ヘンリーネック・ T-シャツはイングランドの初夏の風物詩として行われている1839年に発足したレガッタの大会に起因する。
ロンドンから60キロほど行ったテムズ川上流にある田舎町 、ヘンリー・オン・テムズ で開催される『ヘンリー・ロイヤル・レガッタ』の参加チームの一つが、男性の下着であったヘンリーネック・T-シャツを1877年にスポーツウエアとして改良し、ユニフォームとして着用したのが始まりとされる。ここから『ヘンリーネック』と呼ばれる様になった。

アメリカでは1900年にテネシー州ノックスヴィルで創業した『ヘルスニット』という下着メーカーが、綿花産業の集積地であるメンフィスに近く、良質のコットン素材が手に入り易い事もあり、高品質な下着メーカーとして1930年代に急成長し世界的な流行を引き起こした。当時、労働者達が愛用していた3つボタンのヘンリーネック・T-シャツは現在でも生産されており多くの支持者がいる。こちらはイングランド起源のスポーツウエアとは少し違い、実用性を重視して頑丈に作られておりネックラインのリブが太いのが特徴。

日本では昭和の時代、男性の防寒肌着『ラクダシャツ』でおなじみだろう。日本の縫製工場は明治時代から例外なく肌着を作ってきたのでその歴史は長い。

いずれにしろ、T-シャツの始まりは下着。第2次世界大戦後、アメリカの若者達がアウターとして着始めてポピュラーになっていったアイテムである。その後、時代と共にファッション性も加わって様々な形に変化し、世界中に拡がった。

ヘンリーネック・T-シャツというのは着こなしが意外に難しいアイテムなのだ。似合う人と似合わない人がいる。本当に似合う男性というのはさほど多くはない。
このT-シャツは外見、内面共にワイルドでマッチョな雰囲気の男性がよく似合う。起源がスポーツであるいうこともあり、スポーツ選手のようなガッチリとした体型の人に似合い、痩せすぎや肥満体はNG。フロントボタンを開けて着ることで、何故かさらにセクシー度が増し、魅力的になる。元、イングランドのサッカー選手デヴィッド・ベッカムが男らしさ、セクシーさ満載でよく着ていた。

冒頭に述べたクインシーは、ストライプのシャツを上手く着こなしている。フロントの第一ボタンを開けている。ちょっと太番手の糸で作られたジャージー素材だろう。写真では分かりづらいが、パイル素材かもしれない。1970年代に流行ったボディにピチピチにフィットしたスタイルでカラフルなはず。
クインシー以外のジャズ・ミュージシャンで誰か着ている人がいないか探してみた。マイルス・デイヴィス、キース・ジャレット、前開きT-シャツという意味では同じようなスタイルをグローヴァー・ワシントンが着ていたのを見つけた。いずれも1970年代。ボトムは当時流行ったベルボトムのパンツを履いていたのではないかと察する。
他にもいるだろうが、どちらかというと1960年代半ばにジェームス・ブラウンから始まり、1970~1980年代にかけて流行したファンクの流れのミュージシャンに圧倒的に多くみられた。ファンクはジャズ・シーンにも少なからず影響を与えた。ジャズ・ファンクとも形容された。その辺りでクインシー、マイルス、グローヴァー・ワシントン等が同じ様なスタイルの服を着ていたのも頷ける。音楽とファッションが大きく関係していた最後の時期かもしれない。
現在、病気療養中のキース・ジャレットも、1970年頃のステージ上での姿を見ると意外に逞しい体型なのに驚いた。「ピアノ弾きも肉体労働者だから。」とキース・ジャレットを良くご存知の本誌の稲岡編集長に言われた。

マイルス・デイヴィスに至っては、さすがというよりない。常に時代の中心にいたジャズ・ミュージシャンだったのだから。T-シャツ1枚でも、その時代のものをサラリと着こなしてしまう。

You-tubeリンクは1981年のクインシー・ジョーンズの日本公演ステージから、1979年の作品<愛のコリーダ>。クインシーはマジェンダ色のボディフィットしたTーシャツに白のベストとベルボトムのパンツを着て飛び回っている。上記のヘンリーネック・T-シャツのコーディネートと同じテイストの典型的な1970年代の熱くファンキーなファッション。

Quincy Jones<愛のコリーダ> LIVE@武道館:1981年7月

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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