ジャズ・ア・ラ・モード #60.ブルーノート・レーベル
ボタンダウンカラー・シャツの競演
60.Blue Note label, A competition of the button down collar shirts
text and illustration(Lee Morgan) by Yoko Takemura 竹村洋子
photos: The Blue Note Years:The Jazz Photography of Francis Wolff, Pinterestより引用
30年程前に手に入れた『ブルーノート・イヤーズ:ザ・フォトグラフィー・オブ・フランシス・ウルフ』という写真集(Rizzori International Publications Inc.出版)を何気に眺めていた時、写真集に出てくる多くのミュージシャン達が、ボタンダウン・シャツを着ているのに気づいた。本の表紙を飾るのは1955年に撮られたハンク・モブレイだ。
『ブルーノート・レーベル』は1939年、ニューヨーク7番街235番地で生まれた。のちに『世界最高のジャズ専門レーベル』と呼ばれるまでに成長した。創始者はアルフレッド・ライオン(Alfred Lion:1909-1987)。そして、スタート直後から行動を共にし、同レーベルにとって最大の功労者となったのがフランシス・ウルフ(Francis Wolff:1907 or 1908-1971)だ。
ウルフは、ライオンと共にブルーノートの経営者/プロデューサー/写真家として活躍したドイツ人。ライオンと共に同レーベルの運営に携わると同時に、レコーディング・セッションの様子を撮影し続けた。
多くのミュージシャン達がウルフの撮った写真をアルバムカバーに使用している。レコーディング・セッション、リハーサル中の瞬間、演奏後にリラックスしているミュージシャン、大胆なクローズアップ、また背景や風景ごとミュージシャンを撮った。この本は1995年に、当時未発表だった約200枚程の写真を集めたもので、1955年から1967年までの写真が收められているが、1960年代の写真が圧倒的に多い。
1960年代のアメリカはアメリカン・トラディショナル・スタイルのアイビー・スタイル・ファッションが大流行した。
前回のコラム、#59.モダン・ジャズ・カルテットのユニフォームでアメリカン・トラディショナル・スタイルの話を書いたが、アイビー・スタイルというのは元はアメリカ東海岸に暮らす中流~裕福な層(エスタブリッシュなワスプ:WASP=White, Angro-Saxon, Protestant )の人たちが着ていたファッションだ。1954年アメリカの『国際衣装デザイナー協会(International Association of Clothing Designers)』がアメリカ東部の8つの名門私立大学『アイビー・リーグ』の学生達やOBの間で拡がって行ったファッションを『アイビー・リーグ・モデル(Ivy league model)』というメンズファッションのスタイルとして公認したことから、こう呼ばれるようになった。
アイビー・リーグ・モデルはアメリカの理想像を表現したスタイルでもあり、清潔感があり、キリッとしまって見える。もともと格好の良い人は更に格好良く見え、外見に自信のない人たちをも格好良く見せることができるスタイルだったこともあり、瞬く間に一般の人達に拡がって行った。
三ツ釦のブレザージャケット、コットンパンツ、ローファーなどに代表されるアイテムと共に、ボタンダウン・シャツはアイビー・スタイルを構成する重要アイテムの一つでもある。
『ボタンダウン・シャツ』とは、襟先にボタンがついているデザインのシャツのことで、シャツの形ではなく『襟』のデザインの話なので、正確には『ボタンダウン・カラー・シャツ』で、ボタンで留める襟のシャツということになる。襟はめくれるものである。襟がめくれている状態をアップ(up)、めくれておらず下がっている状態がダウン(down)と捉え、ボタンで襟が下がっているから『ボタンダウン』ということになる。
ボタンダウンカラー・シャツは1896年にアメリカで生まれた。考案したのはブルックス・ブラザース社創始者の孫のジョン・ブルックス。イギリスでポロ競技の試合をしている選手の着ているシャツの襟がめくれて顔に当たらないようにボタンで止めていたのを見て、商品化したことから始まった。従って、英国では『ポロカラー・シャツ』と呼ばれている。ブルックス・ブラザースも『ポロカラー・シャツ』と呼んでいる。アメリカ人のトラッド好きの友人数人に聞いたところ、彼らは『ボタンダウンカラー・シャツ』とも『ポロカラー・シャツ』とも呼ぶようだ。『ボタンダウン』だけだと前立てのボタンの事と勘違いされることもある。
日本では『ボタンダウン』と言う呼び方が浸透しているので、このコラムでは今後『ボタンダウンカラー・シャツ』という名称を使うことにする。
ブルックス・ブラザースのシャツは、大変なこだわりを持って作られている。その一つに巻縫いで仕上げられていることがある。巻縫いとは、布地と布地を縫い合わせる時に生地の端が見えない様に生地を巻いて伏せて縫う縫製方法で、折伏せ縫いとも呼ばれる。生地の端が体に触れないので着心地も良く耐久性もある。そこにステッチも入ってくるので、この縫い方には職人の技術力が必要となる。結果的に工賃も上がり、商品の価格も高くなる。ジーンズなどにもこの縫製方法は使われている。安物の大量生産品のシャツはロックミシンでかがった始末で済ませているだろう。
ボタンダウンカラー・シャツは実用性を重視したシャツで、見た目にネクタイをつけなくても、それなりにきちんとして見える。また、かっちりしたドレスシャツをラフな雰囲気にしたことにより、マーケット性の高いものになった。
『ブルーノート・イヤー、ザ・フォトグラフィー オブ・フランシス・ウルフ』に登場するミュージシャンは約200人。そのうち40人程がボタンダウンカラー・シャツを着ている。その中で、ネクタイをしている人が3分の1ほど。
ボタンダウンカラーでないレギュラーカラーやオープンカラーのシャツを着ているミュージシャンが80人程。後はポロシャツやTシャツ、セーターなどを着ている。
ボタンダウンカラー・シャツを着ている代表選手にリー・モーガン、ホレス・シルバー、そしてデクスター・ゴードンがいる。この3人のファッションセンスは群を抜いており、その装いは常にクールだった。特にリー・モーガンのアイビー・スタイル好きは有名だ。彼らのシャツはブルックス・ブラザースや J.プレス、J.クルーといったブランド物かもしれないが、他の人たちはどうだろう?
ケニー・バレル、リチャード・デイヴィス、ジミー・ヒース、ジョー・チェンバース、アート・ブレイキー、ハービー・ハンコック、ウエイン・ショーター、ルー・ドナルドソン、ボビー・ハッチャーソン等が代表的なところだが、彼らのシャツは後発のブランドや L.L.ビーンといったアウトドア系のブランドやもっと安価な量産品だったかもしれない。写真から、明らかに品質の劣る素材だったり、中には半袖の丈が妙に中途半端だったり、というのも見られる。
ミュージシャン達は演奏という肉体労働で汗をかくので、普通のシャツ襟のシャツも汗でクタクタにになっている事が多い。この時代、同じように流行していたレーヨン素材の開襟シャツを着ている人たちも結構いるが、皆、何かくたびれてだらしない印象を受ける。その点、ボタンダウン・シャツを着ているミュージシャンは、清潔感があり、キリッとしているように見える。
素材は綿オックスフォードの無地からコードレーン、ストライプ、ギンガムチェックやウィンドーペーンチェック、そして柄物まで。
ブルーノートのみならず、1950〜60年代のジャズ・ミュージシャン達の多くが当時大流行だったアメリカン・トラッドのアイビー・スタイルのボタンダウンカラー・シャツを着ていた。それは単に流行に敏感で新し物好きということだけでなく、MJQのメンバーが、アメリカン・トラディショナル・スタイルのスーツで自分達の存在感を示したのと同様に、彼らも「アメリカ東部のエスタブリッシュメント達と同じ様に、俺たちもインテリでお洒落なんだぞ!」と言いたかったのかもしれない。
以下にミュージシャン達の写真を掲載するが、オリジナルのブルーノート写真集の中の、ホレス・シルヴァー、デクスター・ゴードン、アート・ブレイキー、スタンレー・タレンタインは著作権上の問題でこのコラムに使用できないので、他からの引用となる。フランシス・ウルフの撮ったものではないかもしれないが、ミュージシャン達の姿のイメージは同じなので、読者の皆さんにはご了解いただきたい。
話は少し変わるが、このアイビー・スタイルは1950~1960年代に第1次ブームがあり、1980年代に第2次ブームがあった。第2次ブームの時、それは『プレッピー・スタイル』と呼ばれた。プレッピーとは、アメリカの名門私立校の生徒や卒業生、良家のお坊ちゃんやお嬢さんのことを指す。
基本的にはアイビー・スタイルもプレッピー・スタイルも同じスタイルのファッションである。プレッピーの方がアイテム、素材等にバリエーションがあり、カジュアル性、若さが加わった。プレッピー・スタイルも次第にビジネスウエアに浸透して行き日本でも流行したが、本場アメリカと日本では、流行の背景に少し違う事情がある。
『オフィシャル・プレッピー・ブック』という本が1980年にアメリカで発売された。編集はリサ・バーンバック、著者はキャロル・マクド・ウォレス、メイソン・ワイリー、ジョナサン・ロバーツ等による、プレッピーになるための入門書のようなもので、プレッピーのライフスタイルを風刺しながら読者に説明した本である。(日本語版は1981年に講談社が出版)
当時、この本とプレッピー・スタイルはアメリカのゲイ・コミュニティに大きく響いた。1980年代のアメリカのゲイの人たちには未だ社会に許容されていなかった。アメリカ、特にニューヨークではエイズが流行し、まだ不治の病として大きな社会問題となっていた。ゲイの人たちの中で、この本にあるファッション・スタイルを参考にして、東海岸出身の裕福な男性や良家のお坊ちゃんのような服を着てみよう、という機運が高まった。プレッピー・スタイルのファッションでいるとゲイがストレートに見える、というわけだ。
ファッションにおけるジェンダーやヒエラルキーは1960年代に比べると、かなり問題視されなくなってきている2000年代の現在、こんな話を振り返ると笑ってしまうが、1980年代アメリカのプレッピー・スタイル(=アイビー・スタイル)はそんな位置づけでもあった。
ちなみに、1980年代にプレッピー・スタイルだったジャズ・ミュージシャンは見たことがない。ボタンダウンカラー・シャツを着ているジャズ・ミュージシャンもほとんど見たことがない。
余談だが、バナナ・リパブリックの2022〜23年秋冬物商品に、トラッド色の強いアイテム群が展開されている。『モダン・プレッピー』というキャッチ・コピーが使われている。
現在ではアイビー・スタイルの男性のみならずとも、男性なら1枚はボタンダウンカラー・シャツを持っているのではないだろうか。120年以上もの歴史を持つボタンダウンカラー・シャツは、時代とともに変化し、ストレッチ素材やボタンの色が黒の物まで市場に出回っている。男性をより魅力的に見せる定番アイテムとして世界中の男性の中に完全に定着した。
最後に、ボタンダウンカラー・シャツを最も美しく着た例と、ご法度な着こなし例を紹介しよう。
マイルス・デイヴィスはアイビー・スタイルを拡めたジャズ・ミュージシャンの一人であった。(#6. マイルス・デイヴィスから始まったジャズ・ミュージシャン達のアイビー・ルック参照) 1959年『カインド・オブ・ブルー』のレコーディング・セッション時のポロシャツの着こなしは抜群に美しくクールだ。淡いグリーンのオックスフォード素材だったようだ。あのダンディなトラッド紳士、チャーリー・ワッツさえも真似をして同じ様なシャツを着たと言う。マサチューセッツ州、ケンブリッヂにあるアンドーヴァー・ショップのものだろうか?マイルスは小柄でジャケットサイズはアメリカサイズで38レギューラー、ショートだったそうだ。
そして、1963年にジョン・コルトレーンがタキシードに合わせたスタイルだ。ボタンダウンカラー・シャツにタキシードをコーディネートというのはあり得ない。
You-tubeリンクはアート・ブレイキー&ジャズ・メッセンジャースで<アイ・リメンバー・クリフォード>。1958年11月22日、パリ、オランピア劇場にて。アート・ブレイキー(ds)、リーモーガン(tp)、ベニー・ゴルソン(ts)、ボビー・ティモンズ(p)、ジミー・メリット(b)。映像からは少し判りにくいが、リー・モーガン始め、おそらく全員ボタンダウンカラー・シャツを着て、アメリカン・トラッド・スタイルのスーツで演奏していると思われる。
<アイ・リメンバー・クリフォード:I Remember Clifford>
*参考資料
・The Blue Note Years,The Jazz Photography of Francis Wolff ,1995@ Masaic Images and Oscar Schnider
RIZZOLI International Publications Inc.
・オフィシャル・アメリカン・トラッド・ハンドブック:伊藤紫朗著
・The Andy Warhol Diaries: Netflix 2021
・オフィシャル・プレッピー・ハンドブック:
・The Official Hand Book:Lisa Birnbach and written by Jonathan Roberts, Carol McD. Wallace, Mason Wiley, and Birnbach.