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Jazz à la Mode 竹村洋子No. 296

ジャズ・ア・ラ・モード #61. グリッター・ファッション、煌びやかなコスチュームのミュージシャン達

61. Female musicians in the glittering costume
text and illustration(Ella Fitzgerald) by Yoko Takemura 竹村洋子
Photos: In Vogue: Georgina Howell, Elle France, The Motown Album:St Martin’s Press, Pinterestより引用

ホリディ・シーズンに相応しい、グリッター・ファッションについて。グリッター(英:glitter)とはキラキラ光るもの、輝けるという意味で、ファッションではラメ、ビーズ、ビジュウ、スパンコールなどを使った服のことを指す。いわゆる光り物のファッションのことである。

ラメ(仏:lamé) は金糸、銀糸のこと。またはそれらの糸を織り込んだ布地のこと。
ビジュウ(仏:bijou)は宝石のこと。英語でいうジュエル(jewel)で主としてイミテーションの宝石を、布地に縫い込んだり、服に縫い付けたりしたものでラメの刺繍と共に用いられることも多い。
スパンコールは光を反射させ、キラキラ輝く薄いプラスティックや金属の小片のこと。直径5mmくらいのものが一般的で小さな穴が開いており、そこに糸を通して布地に縫い込んだり、編み込んだりして服につけたり、アクセサリー的にも使われる。スパングル(英:spangle)が語源でスパンコールは日本語。欧米ではシークイン(英:sequin)と言われ、ビーズやスパンコールを刺繍に使ったものはシークイン刺繍と呼ばれている。(日本では、ファッション用語についてはフランス語、英語、日本語が混在されて使われており、紛らわしいところがあるが、日本で一番よく使われている用語を日本語としてのファッション用語と考えていただきたい。)

光り物の歴史は長く、中世に遡る。主として王侯貴族や特権階級の権力や富の象徴として用いられ、現代に至ってもそれは変わらない。

一般の人々に広がっていったのは第一次世界大戦後の現代に入ってからで、1920年代に流行したフラッパー・ドレス(#52.ベッシー・スミスと“フラッパー・スタイル”参照)によく見られる。
音楽シーンで言うと、このジャズ・エイジにはチャールストンが流行し、女性たちは輝けるラメやスパンコール、ビジュウで飾ったドレスを着て踊っていた。

1960年代、フランスのデザイナーのパコ・ラバンヌやクレージュ、イタリアのデザイナーのエミリオ・プッチらがコレクションでスパンコールなど新しい特殊な素材を用いたモダンなアイテムを発表し、一大旋風を巻き起こした。
1960年代は第2次大戦後、あらゆる文化が成熟した時代で、ファッションにおいても新しいシルエット、素材、デザインのものが登場し、華やかな時代だった。スパンコールの素材は、主としてアセチルセルロースやポリ塩化ビニールで、このような素材がファッションに取り入られるようになったのも、この時代ならではのこと。
音楽シーンでは、ロック、ソウル・ミュージックやR&Bが台頭し、世の中はディスコ・ブームとなった。ディスコ・ミュージックは、踊って楽しい音楽であることが求められ、見た目にも派手で人目を引くファッション、ディスコのミラーボールのようなファッションも出てきた。
光り物の衣装に真っ先に飛びついたのは、モータウン・レーベル(1959年設立)の黒人シンガーたちだった。シュープリームスを筆頭にほとんどのシンガーたちがキラキラ・ファッションで歌っていた。極め付けは、ジャズシンガーではないが、R&Bの女王アレサ・フランクリンだろう。ラメ、ビジュウ、スパンコール何でもありだった。

1960年代から1970年代にかけ、幅広い音楽のジャンルが台頭してきたが、ジャズ・シーンでいうと、エレクトリック・サウンドが台頭し、ジャズ・ロック、ジャズ・ファンクやフュージョンと言った流れが出てきた頃だ。マイルス・デイヴィスはファンクやロックを取り入れたフュージョンの先駆けともいわれたアルバム『ビッチェズ・ブリュー』を1969年に発表。1973年にハービー・ハンコックがエレクトリック・サウンドを用いたアルバム『ヘッド・ハンターズ』発表。マイルスはここでもまたファッションの第一線におり、キラキラのコスチュームを着た、男性ジャズミュージシャンの第1号だったのではないだろうか?

以後、多くのロック、ポップや幅広いジャンルのミュージシャンたちが、身につけ始めた。アイテムもそれ以前はファーマル色が強かったが、ミニドレスからジャンプスーツ、単品のパンツやトップスにまでカジュアルアイテムに、また、レディスからメンズウエアにも用いられるようになった。

こうやって振り返ってみると、キラキラのグリッター・ファッションは景気の良い時、世の中が活気があり上向き、元気な時代に流行しているようだ。もしくは、確実に世の中を元気づけるアイテムであった様な気がする。

女性ジャズ・シンガーについてみると、年代に関係なく、煌びやかなコスチュームはゴージャスでステージ衣装の極め付けである。
ビリー・ホリデイ、エラ・フィッツジェラルド、ペギー・リー、ナンシー・ウィルソンらは、若い頃から晩年に至るまで、スパンコールやビジュウ使いのドレスを好んで愛用していた。特にエラ・フィッツジェラルドについてはキラキラ・ドレスに身を包み、大きな体でリズムをとりながら、汗を拭きながらステージで歌っていた姿は印象に残っている。
近年ではドレスからチュニック、Tーシャツといった単品アイテムにまでキラキラ・アイテムは広がり、多くのミュージシャンたちがステージ衣装として着用している。
最近では、オランダのファンキー・サックスの女王と言われるキャンディ・ダルフィー(1969年生まれ)は1960~’70年代ほとんどそのままのファッションで活躍しているのはとても興味深い。

公民権運動に関わっていたストイックなシンガーたち、アビー・リンカーンやニーナ・シモンは間違ってもスパンコールのドレスは着ないだろうが、意外と似合うような気もする。アフリカ人の民族衣装の晴れの衣装、カラフルさ、派手さ、華やかさと相通じるものがある気がする。

You-tubeリンクは、エラ・フィッツジェラルド。1979年のモントルー・ジャズ・フェスティヴァルでのパフォーマンス。ラメを織り込んだゴージャスな淡いサーモンピンクのロングドレスを着て歌っている。

<フライング・ホーム:Flying Home >| Montreux Jazz Festival 1979

*参考資料
・ファッションの歴史ー西洋服飾史:佐々井啓編集

竹村洋子

竹村 洋子 Yoko Takemura 桑沢デザイン専修学校卒業後、ファッション・マーケティングの仕事に携わる。1996年より、NY、シカゴ、デトロイト、カンザス・シティを中心にアメリカのローカル・ジャズミュージシャン達と交流を深め、現在に至る。主として ミュージシャン間のコーディネーション、プロモーションを行う。Kansas City Jazz Ambassador 会員。KAWADE夢ムック『チャーリー・パーカー~モダン・ジャズの創造主』(2014)に寄稿。Kansas City Jazz Ambassador 誌『JAM』に2016年から不定期に寄稿。

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