Kaz Harada ジャズ・ヴァガボンド —覚醒への旅—1
text & photo by Kaz Harada 原田和男
Introduction —旅への誘惑—
旅への予感は単純なものたった。大学のJazz研で4年間トランペットに夢中だったが、卒業となりなんの迷いもなく就職し社会に出た。
当時4割配当をする優良企業の秩父セメントに入社。すくに子会社でIBMから優れた技術者を引っ張って創設された日本電子産業に配属され、日本初の漢字情報処理システムの営業となった。公官庁、放送局、新聞社 を担当の仕事は手応えがあり、導入も進みやり甲斐も感じていた。平穏無事に3年が経とうとする頃から、調子かちょいと狂ってきたのだ。
卒業時にJazz研の先輩からは、”サラリーマンになればJazzなんか忘れて演歌だよ” なんて言われて俄かには信じ難かったが、確かにそうだった。ほとんど毎晩の飲み会で流行歌・演歌を耳にするうちにJazzは忘却の彼方に...といった塩梅。
当時は一旦 Jazzから離れると昨今の居酒屋、蕎麦屋とは違い、周りで耳にすることは皆無と言ってよかったのだ!
ある日新宿での営業の帰り、昔通ったJazz喫茶の通りに出くわし、懐かしさのあまり吸い込まれるようにトントンと階段を上ってしまった。
ドアを開け下界とは隔絶された懐かしい世界に入っていった。室内にはロリンズの心踊るサウンドが響きわたっていて、心臓は早鐘を打ち、血沸き 肉踊るとはこの事なのだろう。
Milesのカーネギーホールのマイ・ファニー・ヴァレンタインをリクエ スト。みなさんもご存知の、テーマの中頃でホール内に響き渡る聴衆の感極まった叫び声を聴くやいなや僕はJazzに還ってきたと実感した。あっと いう間もなくJazzその実存の世界に拉致された。それからというもの、ジャズ喫茶で旧譜・新譜を聴くことが無常の楽しみとなった。
因みにこのアルバムは保存用と擦り切れたのと、その代わりとで3枚持っているのです。在職中家でJazzをコレッポチも聴かなかったのは何故なんだろうと不思議です...。
そんなある日課長に、何か気分がすっきりしないのでJazzか仕事かはっきりさせたい、to be or not to beの心境で、しばらく休暇を取らせて欲しい旨相談した。“ミュージシャンになりたいならともかく、どうなの?、休んでJazzを聴いて居ては気分解消にはならないんじゃない?、運動、そうマラソンでもすりゃ気分もスッキリするよ”、と一言の下に片付けられてしまった。“ええー”、判ってくれない、正直こりゃ駄目だ、カクッときました、辞めようかな! が目覚めました。かつて読んで刺激を受けた小田実の「何でも見てやろう」が心の隅に巣食っていたのもありますね、このまま世界を見ないで良いのかって。
丁度その頃は、毎週土曜日には鎌倉の材木座にある昔のバンド仲間でクーサの瓜坂君の家で、今はクラッシクの評論家になった近藤君や弁護士になった吉永君達と夜っぴいて酒飲みながらポーカーに興じていました。酔っているから出ますね、大言壮語!
そー言えば面白いこともありました。ナーテ吹きの瓜坂君はロリンズの熱狂的なファンだったんです。―こう書いている私もやはりロリンズは大好きです。高2の時初来日。前宣で、NTVの午後2時からの番組 (今はおかしなジャーナリストになっている櫻井よし子が司会) に生出演するというので、学校休んで東芝カレッジエースをスタンバイ待ってました。モヒカンで<モリタート>をアカぺラで演奏しました。勿論今でもテープ持ってます ! (これって貴重? 来日時のチラシ、プログラムも持ってます ! ピアノかポール・ブレイ、ベースがヘンリー・グライムス、ドラムスがロイ・マッカーディー、 ボーカルがベティ・カーター でした) で、彼等とポーカーしていて、ちょうどロリンズが来日公演中の事でした。 どうして知ったか忘れましたが、ニューオータニに宿泊している、というのでフロント通して電話したら出ちゃいましたね本人が、 ビックリしました!! こっちはジンガイと英語喋った事なんかありません、咄嗟に言いました。I’m your great fan, my friend also. Welcome to Japan。ロリンズ何て言ってたか忘れましたが、今でも低く柔かい彼の声質耳にこびり付いています。瓜坂に替わったけど彼うーとかすーでそのうち切れてお終い。後で、試験では僕より英語の出来てた彼に、“馬鹿だなーこいつ、自分のことをグレートだなんて言って”と揶揄されました。当時はふーんそうか何て思ってましたが、後になってこれは正しい英語であると判りましたね。
~ またまた話が逸れてしまいました。~
そう、いつものようにポーカーに興じている時、突然こう切り出したんです ! ”俺さ、そろそろ会社辞めて、どこか旅に出ようかって思ってるんだ、例えばイタリアに行ってさローマ。誰か伯爵未亡人とかと知り合って燕になって、自家用ジェット機でさ、モナコへギャンブルしに迎えに来ようか ? もっとも箱根で暫く湯治でもいいんだけどネ。”と付け加えることも忘れませんでしたが...。
おーこの大言壮語が、ダラハの人生を大きく変えることになるとは、正に神のみぞ知るところではありました。これが本当になってしまうから人生は面白いのですなあ。次号はいよいよ旅立ちです...。
上記の文中、「クーサの瓜坂君」「ナーテ吹きの瓜坂君」という表現が出てきますが、これらはいわゆる「楽隊用語」と言われるもので、知ってる人は知ってるが知らない人は分からないバンド仲間で通用する隠語です。
楽隊用語はバンド→ドンバのように逆さ読みするものが多いのですが、必ずしもすべてがそうではありません。
クーサは、サックス→クッサ→クーサで、サックスを指します。ナーテは逆さ読みするとテーナ、つまりテナーサックスということになります。
ピアノはヤノピ、ベースはスーベ、ドラムはタイコ、トランペットはラッパ→パツラ、トロンボーンはボントロ、歌手はうた→ターウ、司会はしゃべり→ベシャリ。続きはまた...。
ひとつ忘れてました。
ギターはターギ。譜面はメンフ。仕事はゴトシ。ギャラはラーギャを使う若い人もいますが、バンドでは金=カネ=ネカ、つまり「ネカ」が使われていました。