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風巻隆「風を歩く」からNo. 311

風巻 隆 「風を歩くから」Vol.24 「クロイツベルク~バルセロナ」 

text by Takashi Kazamaki 風巻  隆
photo: from private collection

初めてヨーロッパを演奏旅行した1988年の秋、日本では昭和が終わろうとしていた。Xデーを前にすると、昭和とは何だったのかとか、天皇制とは何なのかということをついつい考えてしまうし、天皇の代替わりでこの国がどうなっていくのかということには不安でいっぱいだった。この頃、ドイツの西ベルリンでは、1970年代に日本で爆弾闘争をした「東アジア反日武装戦線」の人達の裁判を支える家族に注目したドキュメンタリー映画「母たち」(監督:黒川芳正、撮影:佐々木健ほか、音楽:L-T UNIT2)という、獄中監督による自主製作の8ミリ映画を、クロイツベルクで上映する話が進んでいた。

昭和という時代を問い直すこの映画を海外で理解してもらうには、今、東京で何が起きているのかということを伝えることが必要だという思いがボクらにはあって、ヨーロッパへのツアーへ出掛ける前に、友人・知人たちに協力してもらい、「A New Guide to Japaning ~political-artistic activity」という英文併記の手作りのパンフレットをボクらは製作し、ヨーロッパで出会った人達に「おみやげ」として、それを手渡していた。そこに寄稿してくれたのは平井玄、小倉利丸、粉川哲夫といったライター、霜田誠二、中村敦といったパフォーマー・演劇人、大熊亘、鈴木健雄といった音楽家など様々だった。

西ベルリンでその映画が上映されることになっていたのは、クロイツベルクの「EX」というスペースで、その企画を進めてくれていたのが、デボラ・ゴスマンさんというアクティビストの女性だった。若い人が自転車と一緒に乗り込んでくるベルリンの地下鉄 U1の「ゲリッツァーバンホフ」から歩いてスグ、何人かとシェアしているというゲボラさんの家は、ベルリンの壁にも近いクロイツベルクというエリアで、近くにはトルコ人のグロッサリーや、アラブ料理屋も多く、ベルリンの中でも、ちょっと変わった場所だった。そのデボラさんのところへボクらはころがりこみ、そこでしばらく滞在させてもらうことになる。

10月22日、またいつものような曇り空。風が無いだけ寒くはないけれど、重い鉛色の空が広がっている。クロイツベルクへ来て一週間がたち、その日は、ベーシストのクラウス・ウィルマンスと彼のリハーサル室でセッションをすることになっていた。白いフォルクスワーゲンのワゴン車でベースとドラムを運び、着いた先は古い倉庫。年代物のエレベーターには 1914 年と記されている。5階まで上った屋根裏のスペースが、彼と仲間たちが共同で借りているリハーサル室。いくつかの狭い部屋に仕切って、スタジオのようになっている。録音機材もそろっていて、簡単にレコーディングができそう。

「ここは光が射して明るいし、夏だったら、窓を開ければ屋根の上にも行けるんだ」とクラウス。本当は、彼とのデュオのコンサートを「Die Kucheクーヘ」というスペースで行うはずだったのだけれど、その場所が近所の苦情で使えなくなってとりやめになってしまった。1時間以上休みなしに即興で演奏し、彼はアコースティックな音に、ときおりエフェクターやディレイをかけ、途中スティックを使ったりもしながら、嫌味のない、温和な彼の性格そのもののような音を作っていく。ボクはいつものタイコに、ミュンヘンのおもちゃ屋で買った小さなブリキの太鼓も使いながら、彼の音との接点を見つけていく。

チェロやベースのボーイングの音は好きだ。やり易いからかもしれない。クラウスもボクの音を気に入ってくれて、終わってから、「ナイスミュージックだね」と言い合った。先日には、ベルリンの中心部ツォー駅から少し歩いて、「Gelbe Musikゲルベムジーク」というレコード屋を訪ねた。ウィンドウにクリスチャン・マークレイのLPレコードのオブジェが飾られている。狭いスペースに現代音楽や即興音楽、ニューウェイヴなどのレコードが集まっている。ここで働いているウェルナー・デュランはサックス奏者で、名前を告げると、「君のレコードもあるよ、ほら。」と、『143 Ludrowst. NYC』を出してくれた。

彼が言うには、今年のベルリンはヨーロッパの「文化都市」に指定され、大きなイヴェントが目白押しで、そのかわり自分達で企画するような小さな催しには人が集まらないし、イヴェント疲れで誰もやろうとしない。「ボクも今年は1回しかコンサートやってないんだ、それもさんざんで」とぼやく。「来年また来てくれれば、何か一緒にできるかもしれないけれど」と、すまなそうな顔をしたかと思うと、「たしか、うちのストックに、君のレコードがもう1枚あったはずだ。」と言い、裏へ行って何かごそごそやっているなと思ったら、5年前に自主制作で作った小杉武久さんとのLP『円盤』を手にして出てきた。

こんなところで自分の作ったレコードと再会するとは思わなかったけど、そういえば4年前、ニューヨークでペーター・コヴァルトが「SOUND UNITY」というフェスティバルを企画したとき、FMPのプロデューサー、ヨスト・ゲーバルス氏が小杉さんのアパートにしばらく滞在したことがあり、その際に「君のレコードを送ってほしい」と言われて、一枚目のLP『風を歩く』と、二枚目のLP『円盤』を西ドイツに送ったのだった。「もしまだ君の作ったレコードのストックがあるなら、送ってほしい。」とウェルナー。そして、「うちの店のカタログのレコードリストで、好きなものがあればそれと交換しよう。」と言ってくれた。

「ENBAN」の意味や、当時まだ獄中にいた荒井まり子さんが描いてくれたジャケットのイラストの話をして、その日はコーネリアス・カーデューのニューヨークでのピアノ・ソロのレコードを買って帰った。デボラさんに誘われて、クルド人のデモに飛び入りで参加し、その流れで、「EX」というスペースのカフェへ行く。若者やアーティストのたまり場といった感じのカフェは、働く人達もちょっとパンクな身なりをしていてとても落ち着ける場所だ。ヨーロッパの秋は深まり、木々は色づき、天気のいい日は気持ちいい。西ベルリンというとても特殊な町にいてボクは、これからの自分の音楽のことを考えていた。

ベルリンから夜行列車に乗って、スイスのビールという町へ行く。中世の面影が残る湖畔の町は美しく、ケーブルカーで山に登ったりして旅行気分に浸る。Dossierでアルバムを発表していたドラマーのレト・ウェーバーを訪ねた後、また、夜行列車に乗ってスペインのバルセロナへと向かう。ユーレイルパスを使った移動で、夜行といっても寝台ではないので、6人掛けのコンパートメントという個室に楽器や荷物と乗り込み、ウトウトと仮眠をとる。バルセロナへ着くと、そこは地中海の陽光が溢れて、ドイツやスイスとは別世界のよう。駅へ着くと、徒歩でコンサート会場の「Zelesteセレステ」へと歩く。

ほどなく、今回のライブを企画してくれた「Collectivo Otras Musicas」というグループのセラピーとイザベルという男女が来てくれ、一緒にランチへ。大柄なセラピーはいかにもいい人といった風貌で野趣にあふれ、イザベルは快活な、英語のうまい美人の女性。昼の食事はパエリヤで、美味しいワインも飲んだこともあってホテルにつくとしばらくシエスタ。スペインには、このシエスタという昼寝の習慣があって、お店も昼休みで閉まってしまう。夕方に二人がホテルを訪ねてきて、今度は夕食に出かける。鱈のクリームスープなどシーフードが美味しい。そこでも、セラピー達と賑やかにワインを飲む。

次の日もランチを一緒に食べたあと、シエスタをして、夜になってから「Zeleste」で楽器をセッティングし、またみんなで車で町へ繰り出してディナーを食べ始めたのが10時ごろ。おいしいスープや、イカのソテーでおなかがいっぱいになった頃、そろそろ「Zeleste」へ行きましょうと車を飛ばす。そして会場に戻ったのは11時を15分も過ぎていた。バルセロナでのソロ・ライブにはすでに、5, 60人のお客さんが集まっていた。金曜の夜、11時からの開演でこの人数。もちろんスペインでは、まだ宵の口なのだろう。時間はゆっくりと流れ演奏が終わったのが夜1時、そしてまた皆で飲みに出掛けた。

アルプスを越えると世界が変わると話には聞いていたが、よく飲み、よく食べ、よく寝、そしてよく笑う。セラピーのポンコツ車に皆で乗り込んで夜の街を突っ走る。勢いあまってバスの目の前を横切ったって、「ソーリー」のひと言。それでまた爆笑。何とも愉快なバルセロナだった。ミロ美術館や、ピカソ美術館、ガウディのグエル公園や、サグラダ・ファミリア教会など観光も楽しかったけれど、日曜日の午後、海岸の砂浜の上のレストランは素晴らしかった。パエリヤやスープのおいしさはただものではなかったしバイオリンを弾く楽師がテーブルを回り、ボクらは、映画で観たような光景の中にいた。

また夜行でマドリードへ行き、マルクス・ブロイスというミュージシャンを訪ねる。彼は「CLONICOS」という大所帯のアンサンブルを率いてスペインの「新しい音楽」を担う人物として知られていた。今回、一緒に演奏することは無かったけれど、スペインの音楽シーンのことを教えてもらい、また、ポルトガルのカルロス・サントスというピアニストが、現代音楽のシーンで破天荒な活動をしていることを知る。また、マドリードの蚤の市では古い、手作りのカウベルをいくつか買うことができた。一つ一つが違った音色を持っていて、その音色はボクの音楽の中で欠かせないものとなり、今でも愛用している。

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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