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小野健彦の Live after LiveNo. 315

小野健彦のLive after Live #407~#412

text & photo: Takehiko Ono 小野健彦

#407 4月7日(日)
三鷹ナチュラル
https://musicsalon-natural.jp/pages/55/
菅野邦彦 (p) 佐々木豊 (ds,perc)

街の其処此処で桜も満開の見頃を迎えた日曜の昼下がり。初訪問の三鷹ナチュラルにて、菅野邦彦氏によるスペースキーボード「oHAIo」〈おはいお〉お披露目ライブを聴いた。w佐々木豊(DS/PERC)

これまで菅野氏が長年に亘り開発して来た通称「未来鍵盤」が、その「ココロ」を聞けば成程と納得する「oH A Io」の名を得た経緯は、この音楽界の重鎮と建築界の重鎮の得難き邂逅にあった。過日、現在下田在の菅野氏の許を訪れたのは丹下健三門下で代々木オリンピック競技場の設計・建築にも参加した建築家・近澤可也氏((株)パンデコン建築設計研究所所長)/(社)ふるさと未来研究所代表理事)。その近澤氏が設計にあたってモットーと掲げているのが、[お(面白いもの)・は(初めてのもの)・い(意味のあるもの)・お(驚きをあたえるもの)]であり、このおふたりの出逢いの橋渡し役となった稲岡邦彌氏(Jazz Tokyo編集長/ふるさと未来研究所副代表)の言を借りると、近澤氏が「同世代の菅野邦彦の生き方に共感、菅野氏が数十年にわたって開発したスペースキーボードのネーミングとしてプレゼントしたもの」とのことであった。まあ、それらはそうとして、私自身、これまで三軒茶屋・茅ヶ崎・小田原・狛江と聴き継いで来た菅野氏の現場であるが、そのいずれでもこの鍵盤にはお目にかかったことが無かったことから、万難を排しこのマチネーライブに馳せ参じたというのがことの次第だった。果たして、短い休憩を挟み予定時間を大幅に超過した約2時間強のステージを通して、我々聴き人は、この稀代のエンタテイナーの類い稀なる想像力と構成力の妙を存分に味わうこととなった。幕開けの〈さくらさくら〉のモチーフから繋げて〈リンゴ追分〉と至り、〈Misty〉で場を鎮めながらそれがいつしか〈Carioka〉の断片を経由し更に〈Black Magic Woman〉と〈ゴッドファーザー愛のテーマ〉へ移りつつ童謡〈七つの子〉へと驚きの変容を見せた1stセット。〈On Green Dolphine Street〉でスタートし、その後は所謂アメリカンスタンダードを中心に(〈Over The Rainbow〉〈Smoke Gets In Your Eyes〉〈Star Dust〉〈Moon Riber〉等々)そこに自家薬籠中のブラジル物から〈E Preciso Predoar〉やビートルズの〈Something〉等を効果的に差し込み〈Take Five〉で締めた2ndセット。と、そこには事前のセット決めはせずに、曲毎に〈ohaio〉の上にそれはまるで慈しむかのように十指を置き「降りてくる」メロディの断片と自らのフィーリングのマッチングを慎重におしはかる孤高の表現者の凜とした姿があった。往年の天才’クニ’と称されたグイグイと音を畳み掛けて行く押しの強さを見せつけるような場面は比較的少なかったが、それでも削ぎ落とされ厳選された音数の中に感じられる抑制の効いた静かなグルーヴとドライヴ感には唸らされること度々であった。最早スペースキーボードと菅野さんが一体となりながら佐々木氏のステディなビートを得て、(失礼ながら)御歳87才とはとても思えない瑞々しいタッチを武器に其々の曲想をグングンと異次元へと押し拡げて行く様は流石の手際と感じた。愉快と痛快を小粋な閃きの内に鮮やかに描き出した今日の圧巻の音創りは、それ自身がまさに「ohaio」だった。

【ご参考】本誌関連記事

4/6(土) & 7(日)菅野邦彦スペースキーボード「oHAIo」お披露目ライヴ@三鷹ナチュラル

#408 4月14日(日)
二子玉川・GEMINI Theater
https://www.geminitheater.jp
『八合目の夜叉』

初訪問の二子玉川・GEMINI Theaterにて、待望の『八合目の夜叉』公演を聴いた。

1st-set:小川美潮(歌)×今堀恒雄(G)
2nd-set:カルメン・マキ(語り、歌、鳴り物)×ファルコン(G)
〜interval〜
3rd-set:ユニット『猿』―三橋美香子(歌)×鬼怒無月(G/voice)
Enc-①:〈improvisation〉by 3guitarists
Enc-②:〈Gasoline Alley〉 by all casts

其々に独自の世界観で「音と言葉の深淵」を追究して来た三人の歌姫が、こちらも各人共にサウンドの先鋭さと、同時にそれが逆に根っこにあるオーソドックスなイディオムを際立たせながらギターミュージックの地平を押し拡げて来た稀代のギターリストと共に一夜に集う夕べに大きく期待も深まる中幕開けした今宵のステージでは、其々のコンビが、日頃の協働の成果、乃至はこの日この刻における共振への鮮やかな集中力を遺憾無く発揮して、極めて噛み応えのある音曼荼羅が描かれて行った。其々が約45分程の持ち時間を使い紡いだ6〜7ピースを通して、美潮さんの可憐さと茶目っけが、マキさんの諦観と革新が、そうして美香子さんの情念と破壊力が、自身をより自由に羽ばたかせてくれる頼れる相棒を得て、其々独立したステージの中に説得力のある鮮烈な「声」を通して別々に浮かんでは消えつつそれが全体を通すと自然と塩梅良くやや捻れた一直線上に繋がりを見せる一方で、ギターリスト三人のサウンドも各々が前後の「音」を確実に意識している様子が強く伺えて、その演者達が見せた絶妙なバランス感覚がこちら聴き人の体感的時空をゆっくりとずらして行った謂わば「芝居仕立て」は流石の構成力のなせる技だと痛く感心させられた。古代インド神話に登場する鬼神:夜叉。其々の頂上を目指した約3時間のステージを通してその実相に触れ得たかは、正直なところ演じ手・聴き手個々人により異なるだろう。しかし、こと私に関して言えば、「頂き」から下山してみて現在、落ち着いてこの宵に眼前で展開された場面の数々をじっくりと反芻したいと強く感じさせられている時の移ろひであったことは確かだ。再演を重ねられた際にその風合いがどう変化するのかもおおいに楽しみなそれはまるで「戯曲」との出会いだったと云う感が今は強い。都下では桜も満開の盛りを超えて、「仕舞いの佇」を見せている今日この頃にはお似合いの「儚さ」も透かし見えた音の交歓に大満足の日曜夜の出来事だった。

#409 4月15日(月)
合羽橋なってるハウス
https://knuttelhouse.com
『TRY ANGLE ahead』山崎比呂志 (ds) 永武幹子 (p) 須川崇志 (b)

お馴染みの合羽橋なってるハウスにて、山崎比呂志氏によるニュープロジェクト:『TRYANGLE ahead』を聴いた。山崎比呂志(DS)永武幹子(P)須川崇志(B)

そう、現在、山崎さんが井野信義氏並びに林栄一氏らと共に鋭意協働中の入魂のプロジェクト『TRYANGLE』とは基軸を異にする《ahead》である。そのココロは、現在、都下シーンの中心から離れ茨城県鹿島市在の山崎さんにとって未知なる後輩有望株との手合わせを通し、表現者としての更なる高みを目指そうとする齢84才の静かな決意乃至はこれまで永年に亘り自らが培って来た歴史の継承に対する熱い意志の表れと私自身は受け止めた。さて、ここで話は昨年12/27の新宿ピットインにおける大友良英氏(G)連続公演に遡る。その日山崎さんは、P+G+2B+2DSのカオスの中に居た。そこでは、轟音をついた最終盤に静寂が訪れた。そこで山崎・須川・永武の各氏が期せずしてひとつになったのだから歴史は分からない。但し、確実に言えることは、その得難い瞬間が当夜の本格的な共演へと繋がったということである。

まあそれらはそうとして肝心の音、である。

当夜のステージは、終始息のつまるような緊張感に支配されるものであり、幕開け直後から演者各人が各々の役割を瞬時に察知して、所謂既存のスタイルに囚われないこの3人ならではの文字通り折り目正しいジャズが巧みな緊迫と弛緩の道程の内に展開されて行った。永武さんが、一点の曇りも無い明快で自信に満ち溢れた力強いタッチで解体されたパッセージの中にも印象的なメロディーを瞬時に紡ぎコンポーザー/プレイヤーとしての非凡さを見せつけると、須川さんは、ノンビートの中にあっても伸び縮みするしなやかで推進力のあるビートを感じさせながら流れ行く音像の型崩れを防ぎつつクールなラインでサウンドの基礎固めを堅実に引き受けて行く。そんな鮮やかな手腕を見せた後輩達の手堅い仕事振りを泰然と受け止めて、スティックにブラシにマレットにと、其々の特性を十分に活かし切りながら、硬い打点の中にカラフルなリズムパターンを繰り出しつつダイナミクスとスピードの両面でサウンドを前に前にと押し出して行った山﨑さんの音創りにはいつにも増して瑞々しい活力が漲っていたように思う。三者が紡いだ思索的な揺蕩いの中に推移した静謐に過ぎた静寂。各々の気の畝りの高まりの沸点に結実された圧倒的な激烈。更には山崎さんの悪戯心が頭をもたげた生粋のジャズ屋の面目躍如たる4ビートに至るまで、いかなる局面においてもこの日この刻に時空を共有した全ての耳目が等しく納得せざるを得ないトリオミュージックが顕在化されたと思う。そこで私が感じたのは、「重要なのは、ダイナミクスをコントロールすることではなく、ただ、今眼のまえに生まれ行く一音一音をそのままの有様で素直に受容れることなんだよ」とでも言うような山崎さんの極めてシンプルだが、力強いメッセージだったように思う。名は体を表すというが「ahead」を冠した、この「TRYANGLE」の再演と継続を切に願ってやまない。そんな感を今更ながらも強くしているのが正直なところである。

 

#410 5月3日(金)
北千住•シアター1010〈センジュ〉
https://www.t1010.jp/
上田正樹R&B BAND:有山じゅんじ (g/vo/fl) 堺敦生 (p/key/cho) 樋沢達彦 (b)

初訪問の北千住•シアター1010〈センジュ〉にて上田正樹R&B BANDを聴いた。
上田正樹(VO/リコーダー〈Rec〉)
有山じゅんじ (G/VO/F L)堺敦生(P/Key/Cho)樋沢達彦 (B)
Marvin Lenoar (Ds/Cho)Yoshie.N(VO/Cho/Rec)+スペシャルゲスト:金子マリ(VO)

さて、ここで話はいきなり’92に飛ぶ。所は今は無き新宿•日清パワーステイション。

そこで私は上田•有山等を中心とした関西ブルース界の雄「South to South」(’74〜’76)復活の生音に触れ、遅まきながら日本版R&Bの洗礼を受けることとなった。そして時は下り、以降二度、計10年強に亘る関西暮らしの中で当時の私のLALは、ジャズよりもR&Bの現場に向かうことが多かった。松阪マクサこそ叶わなかったが、大阪ではシカゴロック等へ、兵庫ではチキンジョージ等へ、そうして京都では老舗の拾得•磔磔•都雅都雅等々へと脚を向けることとなる。そこでは、West Road Blues Bandの永井隆•山岸潤史や憂歌団の木村充揮•内田勘太郎等々(他には石田長生•ベーカー土居等も)の現場に度々接したが、中でも上田•有山が和気あいあいと絡む現場の印象は特に私の脳裏に強烈に刷り込まれていった。

さて、話を現在に戻そう。今日はGWも後半へと差し掛かる旗日とあってか、1•2Fフルキャパ7百席が大層賑わう中ほぼ定刻の17時にステージの幕が開いた。以降、途中15分程の短い休憩を挟んだ約2時間のステージを通して、名うての表現者達を揃えたバンドスタンドは、重量感に溢れた緊密さを片時も手放さずに小気味の良いバンドサウンドを次々と展開して行った。これぞショーマンシップの鏡と言えるキー坊(上田)の「喋くり」対して今日は持ち前の洒脱な「喋くり」を一切排しエレキギター一本を抱いて静かに佇む有山に客席は完全に惹かれ弛緩させられるのだが、その後に続く音の流れで完全に「持ってゆかれる」のだから堪らない。ダンサブルなソウル•R&Bナンバーの中にお約束の’サウス’の佳曲群(主に名盤「ぼちぼちいこか」からの選曲)を巧みに差し込みつつ音場を徐々に昂らせながら、ここぞという絶好のタイミングで(それは惜し気もなく早くも1stセット中盤に)繰り出した〈悲しい色やね〉の哀愁感は絶品だったし、2ndステージに登場し、満場のアンコールに応えた〈Lean On Me〉〈Let’s It Shine On〉を含めて決して出番は多いとは言えなかったが全5曲を披露してくれたマリさんの、ワンフレーズで彼女と分かる個性的な声がワンナイトユニットの隙間を突いて一本筋を通したステージングは流石の貫禄と言えた。あれから30年。秀でて噛み応えのある構成力を持った「歌謡ショー」を通して、両雄共が頭抜けた表現力とリズム感を際立たせつつ、変わらず「尖り」ながら彼の地の音魂をこの国の温度湿度の下で追究し続けている飄々としたその姿に触れ清々しい感を強くした嬉しい皐月晴れの一日だった。

#411 5月4日(土)
多摩センター駅近三角広場内特設テント
「天幕劇場 深海洋燈〈ランプ〉」『燈のあたらない川に流れる人鳥(ペンギン)』

都下郊外•多摩センター(高度経済成長期の「ニュータウン」構想中心地)駅近三角広場内特設テントにて昨日5/3より開幕した演劇クリエイター集団「天幕劇場 深海洋燈〈ランプ〉」による『燈のあたらない川に流れる人鳥(ペンギン)』公演を観た。

作•演出:申 大樹〈同団代表〉
音響•劇中音楽作曲:加藤一博 照明:宮崎絵美子 美術•衣装プラン:野村直子
演者:申 大樹 傳田圭菜 他多数(含他劇団在籍者)+〈客演〉松田 優 フラワーメグ

今回の興行は、2020年の集結以降、国内各地の劇場で「実験公演」を重ねて来た同団が「ハコ」を飛び出し、古の歌舞伎や能、乃至は所謂「紅テント」(状況劇場)や「黒テント」(自由劇場が起源)を例に出すまでもなく、「芸能のルーツ」である「野外」に自らの志を賭けた記念すべき旗揚げ公演となった。更に加えて言うならば、今回ゼロから組み上げるテントはクラウドファウンディングに依ったものであり、設営過程も通し受入自治体との相互理解も含め「地域と演劇」を、また、「幻想と現実」を繋ぐ有機的な装置としてテントを機能させようとする令和時代における新たな野外劇文化の在り様を模索するこの演劇集団の志高き試行の現れだと私自身は受け止めた。

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まあ、それらはそうとして、肝心の舞台だ。

今日の公演は、間に2回の短い休憩を挟み、実に全3部•計約3時間の長丁場に及んだが、私は氏がかつて在籍した劇団•新宿梁山泊時代からご縁を頂いた圭菜さんのご配慮もあり、不自由な身体でもリスク無しの客席後方スタンドパイプ席から観劇出来たのが何よりも有り難かった。終わってみれば3時間の時の移ろひは場面転換の鮮やかさや、効果的な音と光、更にはテント芝居の醍醐味とも言える水を使った舞台効果から数々の大仕掛け等々にも触れられて瞬く間であったという印象が強い。舞台は、「彼女は突然現れて、僕の世界をかき乱した」〈クラファン参考PVより〉に集約されるように時を経て劇的な再会を果たしたかつての幼馴染の男女が、予期せぬ時空の螺旋構造(=迷宮)を彷徨いながら古今東西の戯曲の重要なテーマのひとつである自分探しの旅(=記憶のかけら巡り)を行って行くというものであり、そこでは同時に他の登場人物達の同種の旅路も絡ませるという重層的な構造も合わせ持っていたが、それらの場の数々が決して冗長に終始しなかったのは、何よりも丁寧に練り上げられた骨格のしっかりとした(メンバー全員の手に成る)「ホン」を片手に場の隅々にまで気を配り一切の淀みの無いスピード感を維持させた申さん拘りの演出力のキレ味が際立っていたからだろうと思う。群舞群唱は決して独りよがりの破綻とは無縁であり、独白はいついかなる場面でも輪郭が明快だった。演者達の口跡は概ねクリアで所作には無駄が無く一部に加え三部にも登場した客演のおふたりも良い仕事振りを見せ、他の演者達とのハーモニーも見事だった。今宵の舞台を今振り返り、まさに「クリエイター集団」を体現したコトモノヒト皆のアンサンブルが極めて秀でていたという印象が強く、前述したような日常と非日常を繋いだ今日私の眼前で繰り広げられた演劇の在り方は極めて好感の持てるものであった。本公演はこの後5/12まで続くが、それが終わればここにはいずれ元の景色が戻るだろう。それはまるでサーカスの一座のように、何処からともなく忽然と現れて、軽やかな風のように姿を消して行く。只、我々の中にその時空を共有出来たと言う確たる記憶は残り続ける。そんな潔ぎの良い風情で充分なのではなかろうか。あとは、引き続き互いに研鑽を積みながらまた違う街の空の下で新たな出会いを重ねより輝きを増した彼等彼女等との清々しい再会の時空を待てば良いのだから。

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#412 5月10日(金)
茅ヶ崎市民文化会館大ホール
https://www.chigasaki-hall.jp/
「マイスキー・トリオ」

’19/5開催の小椋佳『歌談の会』以来二度目の訪問となった茅ヶ崎市民文化会館大ホールにて、「マイスキー•トリオ」を聴いた。

ミッシャ•マイスキー(Vc) サーシャ•マイスキー(Vn) リリー•マイスキー(Pf)

’48/1.ラトヴィア共和国(旧ソ連邦)リーガ生で、かのロストロポーヴィチ並びにピアティゴルスキー両巨匠に師事した世界で唯一人のチェリストであり、 ’86の初来日以降、来日回数は優に50回を超え、これまで世界の主要コンサートホールにて演奏活動を展開する一方で30年以上に亘り独•グラマフォンの専属アーティストとして数々の名盤を世に送り出して来たまさに世界的トップアーティストであるミッシャが愛する子供達と共に第29回宮崎国際音楽祭出演への途中にここ(我が家からは隣町の)茅ヶ崎の地へ実に23年振り(’88以降8度目)に立ち寄ってくれたというのがことの次第である。果たして、添付フライヤーの通り、J.S.バッハ、ブラームスからラフマニノフ、ショスタコーヴィチに至る迄、18Cから20 Cに亘る古典的佳曲の数々を様々な編成で披露してくれた今宵のステージでは、文字通り体内を巡る同じ血で結ばれし者同士の気の畝りの同期が随所に感じられる力強い音創りが終始展開されて行った。中でも、中核を成した父•ミッシャの威光は際立ったものがあり、その放射線状に拡がる閃光の如く天地の各層へと突き刺さる様なしなやかで強靭且つ腰が強く彫りの深い朗々とした音色にフォトジェニックな容姿と所作の数々とが相まって、クラシックの現場で時に感じさせられがちなお行儀の良さからは離れたところに在って、こちら聴き人を肉感的な熱情溢るる抒情の波間へと誘ってくれること度々であった。そんなパパを前にしたサーシャとリリーの手腕も確かなものがあり、各人共に発するトーンは外連味が無く伸びやかで、その主張は輪郭も明快だった。今改めて今宵を振り返り、音の立ち上がりの粒立ちの鮮明さと、続く音の流れの整流感を強く感じさせられた極めて均整のとれた清々しいトリオだったという感を強くしている。尚、今宵のステージに対するトリオの充足感も相当なものがあったようで、文字通り割れんばかりの満場の拍手に応えたカーテンコールは数えられない程に及び、その間に間に、アンコールには、シューベルト:〈君こそ我が憩い〉を、更に加えてダブルアンコールとしてシューマン:〈幻想小曲集からデュエットop.88〉を披露してくれた大盤振る舞いの場面があったことも特筆しておこう。

小野 健彦

小野健彦(Takehiko Ono) 1969年生まれ、出生直後から川崎で育つ。1992年、大阪に本社を置く某電器メーカーに就職。2012年、インドネシア・ジャカルタへ海外赴任1年後に現地にて脳梗塞を発症。後遺症による左半身片麻痺状態ながら勤務の合間にジャズ・ライヴ通いを続ける。。

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