小野健彦のLive after Live #474~479
text & photos by Takehiko Ono 小野健彦
#474 3月2日(日)
町田市民ホール
https://www.m-shimin-hall.jp/
加古隆QUARTET『組曲「映像の世紀」』コンサート
麗かな陽気に恵まれた日曜の昼下がり、初訪問となった町田市民ホールにて、以前から一度はその生音に触れたいと切望し、かなり早い段階から運良くチケットを予約購入出来た「加古隆QUARTET」による『組曲「映像の世紀」』コンサートを聴いた。
加古隆(pf)相川麻里子(vln)南かおり(vla)植木昭雄(vc)
[プログラム]
〈第一部〉:ベスト・メロディ・セレクション
※事前告知楽曲より一部変更有
博士の愛した数式〜愛のテーマ/白い巨塔/テンペスト/それぞれの海/アヴェ・マリア〜聖なるもの、母なるもの(カウンターテナー歌手:スラヴァからの委嘱作)ハ短調「幻影」
〈第二部〉:組曲「映像の世紀」
パリは燃えているか(オープニング/間奏曲/ピアノ・ソロ)/エンディング) 他8曲
〈enc.〉
映画『雪の花より』(公開初演)〜風のリフレイン〜〈w.enc.〉パリは燃えているか
不動のメンバーによる結成15年を迎えた稀代の表現者率いるユニットが人気/著名楽曲群を並べここ町田では初のライブを挙行するとあってか、約900席を埋め尽くした満場の大きな期待感が静かな熱気となって終始場内を満たした今日のステージでは、上述のように多くの聴衆が映画・TVドラマあるいはドキュメンタリー番組等の中で一度は耳にしたことがあるであろう楽曲の数々が次々と披露されて行った訳ではあるが、そこでは、稀有なスタイルを有するピアニスト・作曲家である加古さんによる筋の通ったアレンジメントが冴え渡り、一聴すると品のある「美メロディ」として括られかねない楽曲の数々が、確たるドラマ性を帯びながらも決して感傷的な甘気には流れない極めて硬質な音の奔流となって迸り行く在り様には刮目させられること度々であった。心洗われるようなあたたかく優しい旋律の中にも例えれば川底に在って時折り煌めく鉱石が発する、それは「キラリ」というより「ギラリ」とでも形容したい鈍い光跡が感じられて、それが単なる耳触りの良さを超えて私の心根を揺さ振り騒つかせたのは、一見するとソフトとも感じられる加古さんの内に潜む「凄味」乃至は「獰猛さ」の様なものにあるのではないかと強く感じた。最後に、今日披露された楽曲の多くは所謂あらかじめ書かれた「譜」に基づいたものであったと思うが、いずれの楽曲においても、恐らく「書かれていない」部分にこちら聴き人の想像力を羽ばたかせる余白が充分にあることを現場にいたからこそ視覚聴覚の両面から強く感じ取ることが出来た.例え同種のプログラムであっても、機会があれば再会したいという心持ちになったのが偽らざるところである。
#475 3月7日(金)
渋谷公園通りクラシックス
http://koendoriclassics.com/
アルメン・ナルバンディアン「live in tokyo spring 2025」
東京山手教会B1F渋谷公園通りクラシックスにて、アルメニアにルーツを持ち、マンチェスター生で現在はLA在のピアニスト:アルメン・ナルバンディアン氏の「live in tokyo spring 2025」初日公演を聴いた。
w.大友良英(G)山崎比呂志(DS)[presented by point.(オーガナイザー:石渡久美子)]

往路・小田急線の車両トラブルで私が現場に到着したのは開場時間ギリギリ。丁度そこにリハーサルを終えた我がジャズ界の親父たる山崎さんが姿を現し、私の顔を見るなり戯けたような笑みを浮かべたのだが、その意味は入場後直ぐに理解することとなった。ステージ上手に設置された今宵のドラムセットを眺め私は思わず驚いてしまった。山崎さんのセットを一度でもご覧になられたことのある方ならお分かりのように先ず目を引くのは三菱製トラックのホイールキャップであるが、今日はその下に「新入り」の銅鑼が吊るされていたのだった。勿体振るのはよそう。実はその銅鑼は、昨年末に日頃の感謝の意味も込めて私が山崎さんに「お歳暮」として謹呈したものであり、種を明かせば今から30年前、私が新婚旅行でインドネシアを訪問した際、’10年代オランダ統治時代に作られた中央ジャカルタ・メンテン地区にあるスラバヤ通り(通称骨董通り)で買い求めハンドキャリーして以降我が家の押入れの肥やしになっていたガムラン音楽に使用する「ククンポル」なる銅鑼なのだった。数日前の電話では、「ずっと自宅でトライアルしてるんだけど、実際のライブで使うのはいつのことになるやら」との山崎さんのコメントがあっただけに、出会い頭の旧友との再会に乗っけからおおいに驚いてしまったというのがことの次第だった。まあ、それらはそうとして、話を前に進めよう。肝心の音、だ。今宵が初顔合わせとなったこのトリオであるが、先ずは1st.セット。寂から入り次第に轟に入り再び寂に戻る約30分の比較的短い展開。続く2ndセット。こちらは冒頭から三つ巴のトップスピードで鮮烈な迄の音伽藍を築いた後最後は山崎さんによる静のソロパートで締めたこちらも約30分と比較的短い展開。そんな本篇終了後は、山崎さんが直接促したアンコールを受けて繰り出したアルメンさんの静謐に過ぎるピアノソロとそこに歪むように、軋むように重ねた大友さんのチョーキングのハーモニーが音場をまるで宇宙空間へと誘った約10分で構成されて行った。事程左様に、今宵の音の流れは極めて簡潔なものであり、それが独りよがりとは一切無縁の清々しさといったものを生み出して行ったところはなんとも印象的だった。初体験のアルメンさんは、静の局面では内部奏法をも駆使しながら厳選された音数で気の畝りを昂めて行く一方で、動の局面では、粒立ちの良く輪郭も明瞭な強打和音と強靭な高速パッセージのコンビネーションが際立った。そんなピアニストに対して大友・山崎の「姉弟」コンビも付き過ぎず離れ過ぎずの絶妙な間合いを維持しながらこの日この刻に生まれ行く活きた音の連なりの中で自らの主張を存分に語ってくれた。最後に、例の山崎さんの銅鑼であるが、通常使用されるマレット使いでは静の局面の確たる通奏低音としてサウンドを鎮める鍵となっていたし、実は私自身その相性を少し危惧していたスティック使いの部分についても、流石匠の技とでも言おうか、動の局面においてセット全体を鳴らし切る場面に及んでは、逆にこの少し異質とも言える銅鑼の響きがセット全体から生まれたこれ迄に無いハーモニーの隠し味となって良い仕事をするのを随所に聴いて取れたのである。思い返せば山崎さんと得難いご縁を頂いてから丸6年。当年3月28日には目出たく85歳の誕生日を迎えられた氏は、私のLALのど真ん中に屹立する確固たる存在であり、今宵はそのどこまでもドラムの可能性を追究せんとする気高き表現者としての横顔に触れられて改めて畏怖の念を禁じ得ない夜となった。終演後戸外に出ると街にはめっきりと寒さが戻って来ていたが、私の心は暖かく、身体はかなり熱っていた。実に幸せなひとときだった。

#476 4月27日(日)
日本武道館
https://www.nipponbudokan.or.jp/
ERIC CLAPTON LIVE AT BUDOKAN 2025
間に自分自身も予想だにしなかった転倒・骨折・手術入院を挟み3/7以来実に48日振りに試運転的に(とは言え、後述の主目的から絶対に外す訳には行かなかった)ライブの現場行きが叶った記念すべき今宵のこと。ERIC CLAPTON LIVE AT BUDOKAN 2025最終公演を聴いた。
ERIC CLAPTON(G/VO)BAND
私自身にとっては、’88/11/4同所にてデビュー25thを記念しM.ノップラーとE.ジョンをスペシャルゲストに迎え当日はスティングの飛び入り迄あった初体験のステージ以来4度目のエリックの現場となった訳であるが、今宵はいつもは独り旅が常のLALに’24/8オヤジの誘いを快諾しC.ロイド来日公演@ブルーノート東京にも同行してくれた次男(私の主目的は我がオヤジがそうしてくれたように彼に海外アーティストの武道館公演のあの雰囲気を体感させたいとの強い想いにあったのだが)を現地での第一サポート役に、更には未だ本格的なLALには程遠い松葉杖生活にて電車での往復と会場内では段差にリスクのある一般席から車椅子席に変更せざるをえない私の身体状況を考慮し往復の道中を彼女と共に愛車キャディラックで送迎してくれた長男を第二サポート役に無事に武道館行きが叶ったというのがことの次第。
まあそれらはそうとして、’74初来日から通算200回以上の来日公演を重ね2年振り通算24回目の来日となった今年は当初予定された武道館6公演の内5公演が早々にソールドアウトになる中追加された二夜の内の今宵、外国人アーティストとしては前人未踏の武道館110回公演が幕開けしたのである。果たして、そんなスペシャルな今年の武道館連続公演は巷の関心も非常に高く、毎夜公演が終わる度に即セットリストがネット上に踊る状態であったが、今宵もこれまでの7公演同様にエリックがかつて在籍した名バンド「クリーム」や「ブラインドフェイス」時代の名曲群等と共にR.ジョンソンに代表されるブルースナンバー等を巧みに織り成しながら、エレクトリックパートとアコースティックパートを効果的に転換させつつそのステージが展開されて行くこととなった。聞けば来日直前の3/30には日本で言えば傘寿(80歳)の誕生日を迎えられたというエリック。無論そのサウンドに円熟味がより加わったという感を強く受けたが、それ以上に活き活きとして伸びやかな唄声と奔放なギターワークとの狂おしい迄のコンビネーションの巧みさに私の耳目は釘付けとなった。そこでは、「守り」に入る瞬間は皆無だった。極くタイトな7人編成のバックバンドに導かれて彼から発せられる音の連なりは終始「攻め」の姿勢に満ち溢れていた。昨今、私の好むジャズの世界で、特にニューアルバムリリースを通して傘寿オーバーのミュージシャン達が聴かせてくれた飽くなき深化への拘りを想いつつ、ここにまた異なる音楽フィールドにて現在進行形の歩を決して止めることのない気高き表現者の在り様に触れてまさに快哉を叫びたい気持ちに包まれた一切の無駄の無い全16曲が紡がれた約2時間に亘る充実に過ぎる時の移ろひであった。
※尚、添付写真の最後には、武道館110回公演を記念した全36頁に及ぶパンフレット内の写真を転載させて頂きました。(バンドメンバーの詳細も合わせてご覧頂けます。)
#477 5月23日(金)
茅ヶ崎・ストリービル
http://www.jazz-storyville.com/
落合康介(b)渋谷毅(p)松原慎之介(as)
隣街茅ヶ崎のストリービルにて、興味深いトリオミュージックを聴いた。
落合康介(B)渋谷毅(P)松原慎之介(AS)
未だ転倒骨折後の松葉杖生活にて、電車移動を要する本格的なLALはままならない中、タクシーを駆れば30分以内の場所でおおいに気になる面子の初顔合わせに立ち会えるのはなんとも嬉しい限り。渋谷さんのSNS上に踊った「今回は落合くんに誘ってもらって、考えてもいなかった、いや、考えられないメンバーになった。落合康介さんに松原慎之介さん、ほとんどはじめて。どうなるかまるでわからない。急に冒険家になった気分だ。さあ、どうする!」に昂まる期待の中幕開けした今宵のステージでは、数曲の所謂アメリカン・スタンダード(J.スタイン、H.アーレン、J.マンデル作等々)に加えて、C.ミンガス、C.ブレイ作品等の中に本邦稀代のソングライターである栗田妙子氏や石渡明廣氏の作品〈Jun〉〈凪〉までをも織り成した幅広い曲想を持つ佳曲の数々全9品が披露されることとなったが、それらのいずれにおいても各楽曲の持つ旨味に加えて、20代・30代・80代と其々の世代を代表する表現者達の音楽観が絶妙にブレンドされた極めて説得力ある輪郭も際立った音曼荼羅が展開されていった。渋谷さんが持ち味の飄々訥々とした音の連なりの中で厳選された音数の中にあっても所々に忍ばせた悪戯心溢れるメロディスト振りを如何なく発揮する一方で、この夜のリーダー格である落合さんは終始冷静沈着でありつつサウンドの芯をがっしりと捉えて離さない力強さを見せつけてくれたがそんな「基礎」の上を伸びやかに飛翔し続けた松原さんの音創りに私は心底唸らされた。
なかなかタイミング合わずこの日が待望の初対面となった松原さんであるが、私はその音色に先ず圧倒された。高音部の煌びやかさと低音部の深味に加えて、それらに跨る中音部の翳りとくすみ加減が申し分無く、それらを澱みなくつなぎ合わせることで生み出されるフレージングのグラデーションに氏ならではの高い構成力を持つ確固たる文脈が感じられたことは今宵の最大の収獲だったと言える。振り返れば、今宵は、私にとっては約80日振りのジャズの「ハコ」行きとなった訳であるが、上述の渋谷さんのコメントではないが、私個人的にはおおいにエキサイティングなアドベンチャーを味わい尽くした充実のひとときとなった。佳き夜だった。
#478 5月25日(日)
横浜馬車道「上町〈カンマチ〉63」
http://jmsu.web.fc2.com/63/
山口真文4:山口真文(ts)東海林由孝(g)小牧良平(b)山崎隼(ds)
’24/7以来の訪問となった横浜馬車道「上町〈カンマチ〉63」にて、山口真文4を聴いた。
山口真文(TS)東海林由孝(G)小牧良平(B)山崎隼(DS)
近頃、真文さんの生音に久しぶりに触れたいとの強い想いの昂ぶりから、同所にてマンスリーで実施されているマチネーライブに狙いを定めるも、松葉杖を携えての電車移動のリスクを考慮し一計を講じた結果、自宅同士が比較的ご近所の東海林さん(並びにご友人のYさん)の車にて往復路共にアテンド頂き無事に現場行きが叶ったと云ふのがことの次第であるが、それはそうとして肝心の音、だ。果たして、既に幾度もの協働を経てバンドとして抜群のまとまりをみせる四人は終始互いの「動き」へ当意即妙に反応しつつ無理のない高い推進力を維持しながらそのサウンド創りを展開させて行った。今日披露された楽曲では、真文さんの現場で登場することの比較的多いW.ショーター作品は影を潜め、その大半が所謂アメリカン・スタンダードで占められることとなったが、その中で見せた重心の低いリズム隊の面々を柔らかに統率する真文さんのリーダーシップは特筆すべきものがあり、いずれも自家薬籠中のソングリストの中から瞬時にこの日この刻の章建てを構成して行く「現場叩き上げ」の表現者ならではの勘の鋭さは流石の手際と言えたが、幾つかの楽曲のプレイ面に見られた、イントロ部に印象的はカデンツァを配置した後、テーマからアドリヴ部に転じるとかなりソリッドな表情を帯びるに至った各楽曲の解釈は稀代のインプロヴォザーとしての貫禄を見せつけるに余りあるものがあり、そんな真文さんを始めとしたバンド全体の体内で丁寧に濾過されることで限り無く純化された「聴き慣れた」メロディが剥き出しのままのなんの徒らな「気負い」や「衒い」も無い無垢なものとして削り出され、このバンドならではのいかにも端正なサウンドとして昇華される在り様は実に圧巻であったと、今振り返り改めて強く感じているところである。
最後に、終演後はこのハコの打ち上げに東海林さんが必ず立ち寄られるという野毛の老舗中華店・清香楼にもご一緒し山崎さんや馴染みのファンの方々と共に美味なる皿の数々に舌鼓を打った嬉しい場面のあったことも書き加えておきたいと思う。
#479 6月7日(日)
新所沢・ジャズ ハウス SWAN
http://swan.o.oo7.jp/
SYNAPSE:加藤崇之(g)さがゆき(vo/g)
‘23/8以来2度目の訪問となった新所沢ジャズ ハウスSUWANにて、待望のSYNAPSEを聴いた。
加藤崇之(G)さがゆき(VO/G)
先ずは、先代の後を引き継ぎ、その看板を守り抜き今年創業60周年を迎えられた二代目ママ・麻季さん並びにそのご亭主義雄さんとの再会が嬉しいところ。更には、今宵の演者である加藤さんとさがさんについては、共にこれまで異なるユニットで多くの意慾的なステージに触れて来てはいたものの、このユニットとしてはこれまで不思議とタイミングが合わずに、今日ようやく待望の巡り合いのチャンスが訪れたため、未だ左膝骨折(術後3ヶ月)後の松葉杖状態ながら、最大限のリスク回避を怠らず、小田急線・JR中央線・西武(国分寺線~新宿線)を乗り継ぎ無事に現場へと辿り着いた。
果たして、肝心の音だが、約35年間の長きに亘る協働の道程を経た鉄壁のDUOチームだけに、お互いの表も裏も十二分に知り尽くした厚い信頼感に基づく融和性は申し分無く、ボサノヴァ/サンバ・アメリカンスタンダード(主におふたりの敬愛してやまない潮先郁男氏〈G〉譜に依る)・(刹那に咲いた)インプロヴィゼイションと其々に趣の異なる音の流れの中にあって、唯一無二のこのふたりだからこそ創り出し得る、体幹も強く心根の座った音塊を鮮やかに彫り出して行く様は圧巻の説得力を持つものだったと言える。そうして私が更に驚いたのは、その音像の拡がりだった。今宵描かれた音の連なりは、決して演者ふたりの間だけのこじんまりとした世界にとどまらず、聴き人である我々にも居心地の良い居場所を充分に用意してくれたのはなんとも粋な図らいだったと強く感じた。そんな如何にも寛ぎのある音場において展開された音創りは、終始緊張感の漲るものであった。融通無碍に胸襟を開いた勝負師同士の語らい、秀逸。遠路を駆けた甲斐のある実に「納得の出来る」麗しき夜だった。




















































