小野健彦のLive after Live #389~#394
text & photos:Takehiko Ono 小野健彦
#389 2月11日(日)
Jazz Coffee & Whisky Nica’s
http://nicas.html.xdomain.jp/
中牟礼貞則 (g) 渋谷毅 (p)
お馴染みの町田ニカズにて、至高のDUOを聴いた。
中牟礼貞則 (G)@90歳 渋谷毅 (P)@84歳
都下西方にて定期的な共演を重ねるも私にとっては(このコンビとしては)待望の初対面となった現代の吟遊詩人の如き名匠おふたりは、立ち見も出る程の賑わいをみせた客席に向かい「互いに耳を澄ますと響き合い共鳴し、そこから産まれ出る音は自ずと佳き方向に流れる」を絵に描いたような音創りを披露してくれた。そんな光景を眼の当たりにして、一昨日突然届いた小澤征爾氏御逝去の報に触れ打ちひしがれていた私の心はおおいに癒されることとなった。共にノンシャランな風情を湛えつつも簡潔平易で清涼感溢るる言葉で一音一音に自らの信じる美を精魂込めながら宿そうとする在り様から、こと私にとっては、まさに救いを得た感を頂いた至福の時の移ろひだった。
#390 2月16日(金)
横浜日ノ出町・バーカモメ
https://www.facebook.com/barkamome/?locale=ja_JP
あがた森魚 (vo/g) 遠州灘2024
今宵は、初訪問の横浜野毛・バーカモメにて、あがた森魚氏(VO/G)〈私はお初〉による『遠州灘2024』ライブを聴いた。
あの、「赤色エレジー」のあがた森魚である。
いや、今や短編オムニバス映像作品・深夜食堂シーズン1-5話に登場する「夜毎唄う函館の女〈ヒト〉を生涯想いつつバターライスをこよなく愛する流しのゴローさん」、あるいはヴィム・ヴェンダース最新監督作品・PERFECT DAYSに登場する「石川さゆり演じる小料理バーのママが唄う〈朝日楼〉にそっと生ギターを添わせるカウンター端の常連客」かもしれない。まあ、いずれにせよ、私のお聴きしたかったのは、「二〇二四年如月十六日宵」のあがた森魚だった。
果たして、今夜のステージはご挨拶代りのプチDJタイムに流された〈like a rolling stone〉と〈赤色エレジー〉に続き(後述する)新旧作と新作『遠州灘2023』からの楽曲をバランス良く織り交ぜた全11曲に及んだが、何より印象的だったのはそのステージマナー。聴き人を「貴方」の呼称で通し、十年後をシュミレーションしつつ同時代性に対する意識の重要さを問いながら徒然に語ったMCは簡潔にして充分。そこに徒に客席を掴もうとする仕草は皆無だった。「音が全てを語る」とまで言う程の頑なさを感じさせることはないが、冗舌過ぎるMCが好みではない私にとっては、歌詞(言葉)とメロディ(音)があって、そこにそれを伝える個(人)がただ静かに居たと言う意味で、圧倒的に潔い物腰でこの時代と向き合い肉薄せんとする「唄歌い」としてのあがた森魚に唸らされた刻々だった。
〈以下、今宵のセットリスト〉
本編
サルビアの花
僕は天使ぢゃないよ
春の嵐の夜の手品師
ろっけんろおどを行くよ
それでも僕を愛してよね
九州のおばあさん
ストリート・ウオーターマン
まり子さんの散水車
みどりさんの消防自動車
佐藤敬子先生はザンコクな人ですけど
enc.
赤色エレジー
最後に、私のLAL〈live after live〉の「肝」と言えば、ライブ前の呑み喰い。その点、ここ野毛は前呑みには絶好の地。ハコから至近の新興店「もつしげ」にて、看板商品の「塩煮込」/「タン刺」を皮切りに新鮮な鶏、豚、桜の旨味と更には〆の焼きおにぎり塩煮込鶏出汁入茶漬風を堪能した後の現場入りとなった。
#391 2月17日(土)
横浜・白楽 Bitches Brew
https://x.gd/cGutn
羽野昌二 (ds) 林裕人 (ds)
今宵は無沙汰が続いた横浜・白楽「BITCHES BREW」にて、羽野昌二氏のステージを聴いた。 羽野昌二(DS) 林裕人(DS)。
私が同所を訪問するのは’22/10以来であり、先ずはご亭主のフォトグラファー・杉田誠一氏との再会も嬉しいところ。一方で、かつて阿部薫氏や近藤等則氏、あるいはD.ベイリーやP.ブロッツマン等々国の内外を超えたフリーフォームミュージックの猛者達との協働の道程を重ね、足元では、「心の隙間をぶち抜くimprovisation太鼓バンド」Polyを主宰するなど依然として旺盛な表現活動を続ける羽野氏は長らく気になる存在でありつつも、なかなかタイミングが会わずそのナマに触れられる機会がなく、今宵は絶好のTPO(土曜日夜、自宅からのアクセス利便のハコ)ということもあり、万難を排して現地に向かったというのがことの次第。
果たして、入念なサウンドチェックの後、時計が20時を指す頃、独り言の様にドラムに静かにスティックを添わせ始めた羽野氏が二〇二四年如月十七日宵における音創りに要した時間は1stセット・ソロパフォーマンス:約30分。2ndセット・林氏とのDUOパフォーマンス:約35分に及んだ。その脇目もふらず疾走した喜怒哀楽を正確無比かつ硬い打点の内に収めた音の軌跡は、時に氏のルーツである「小倉祇園太鼓」や「M.ローチ」のタイム感を纏いながら、そこに氏の気の畝りから発せられる波動と血流にダイレクトに同期した鼓動が相まって高い構成力と訴求力に富むものとなった。「押すところは押し、抜くところは抜く」といった極めて自然体での緊張と弛緩のコントラストも際立った高次元での身体性と音楽性の拮抗の中に産まれた音の連なりがこちら聴き人のハートを射抜き、臓腑を鷲掴みにされ、そうして最後には背筋の伸びる想いがした。
私にとっては西洋楽器のドラムスというよりは「太鼓」の有する我が国固有の息吹を強く感じさせられた稀有な出逢いのひとときだった。
#392 2月18日(日)
東京・永山 かしのき保育園内「樫の木ホール」
https://www.kashinoki-hoikuen.org/
新井英一「共に生きる」finalライブ:新井英一 (vo/g/hmc) 髙橋望 (g)
文字通りのLAL〈Live after Live〉。待望の表現者との現場が続いたこの週末。三連荘の最終日となった今日は、東京(多摩地区)・永山にあるかしのき保育園内「樫の木ホール」にて開催された新井英一氏による「共に生きる」finalライブを聴いた。
新井英一(VO/G/P/Hmc)髙橋望(G)
主催者の多賀さんによる冒頭の挨拶によると、多賀さんが中心となり’04に企画され、以降今日迄コロナ禍の時期を挟み13回継続されて来たこのシリーズを、多賀さんご自身が傘寿を迎えられたこともあり、今日を限りに一旦は区切りをつけることから「final」と銘打たれたとのことであった。
一方で韓国人の父親と韓国籍と日本人のハーフだった母親との間にクォーターとして生を受け、自らを「コリアンジャパニーズ」と呼ぶ新井氏の現場は、私にとって、約20年前の大阪バナナホールを皮切りに、伊豆高原、鎌倉、新横浜と聴き継ぎ今日が5回目となった。まあ、それはそうとして、今日の公演はこのシリーズが地元にすっかりと定着していることを窺わせるように、シニア層を中心に百席のキャパがほぼ埋まる盛況振りの中、その舞台の幕が切って落とされた。果たして、19歳と36歳の出逢いから40余年を経て、57歳と74歳を迎えたレギュラーコンビは、短い休憩を挟みつつ約70分を使い、新井氏のオリジナル曲を中心に、私には嬉しい選択と言えたカバー曲(〈ケサラ〉、〈イムジン江〉等々)を効果的に織り込んだ全12曲を文字通り渾身の力を持って披露してくれた。
各々の曲想に応じてピアノとギターを弾き分けながら歌い行く新井氏の野太い唄声は、相変わらずセクシーでロマンティシズムに溢れたものであり、そこに静かに寄り添う髙橋氏の強靭で艶のあるギターワークと相まってこちら聴き人の記憶の襞を刺激しつつ雄大な世界観を描いて行った。
本編の最終曲に用意された新井氏の代表作である自身のルーツ探しの軌跡を唄った〈清河(チョンハー)への道〉から満場のアンコールに応えた喜納昌吉詞曲〈花〉が流れるに及び私は、これまでの新井氏との現場が其々に個人的には脳梗塞の後遺症に対するリハビリの過程も含め人生の重要な岐路にあったことを想い起こしてしまい、こんなことを言うといささか気恥しい想いにとらわれるが、こうして愛する音楽を現場で聴き続けていられる喜びと、不具に至った私を支え続けてくれる家族への感謝の気持ちが込み上げ、客席の片隅に存って独り感極まってしまった。そんな何だかえらく感傷的な日曜日の昼下がりだった。
*尚、演奏中の写真は、主催者の多賀さん経由で事前に新井さんの許諾を得て撮影したものを掲載させて頂いております。
#393 2月22日(木)
Art & Live Public House 川崎ぴあにしも
http://pubhpp.com/
「弦と声による室外的音楽を室内で」ライブ:さがゆき (vo) 山崎弘一 (b)
’21/9以来2度目の訪問となった川崎ぴあにしもにて、さがゆき氏(VO)と山崎弘一氏(B)による「弦と声による室外的音楽を室内で」ライブを聴いた。
このおふたりの共演によるこのシリーズの再演は’21/9/5以来であり、その場に居てこの日の到来を心待ちにしていた私はそぼ降る如月の氷雨の中、急ぎ現場に駆けつけたという次第。果たして、中に、B.エバンス、P.サイモン、M.ルグラン等の佳曲を効果的に織り込みつつも、その多くを、I.リンス、V.ロヴォス、C.ヴァルキ等々ブラジルにゆかりの作品を多く採り上げた今宵のステージは、いずれもテンポらしいテンポは設けずに、互いの呼吸感に沿ったごく自然な音の流れの中に時が移ろって行った。そこでは、「ブラジル物」が生来的に纏う解放的な響きのエッセンスは残しつつも、一音一音に宿された密度とスピード感は表面的には穏やかな印象を受ける音の連なりから透かし見えるサウンドの底辺を流れる奔流とのコントラストを際立たせながら、含蓄のある独白の延長戦上にあって、ごく落ち着いたふたり芝居の様相を呈して行った。終始淡々として自らの音を紡ぎ通した今宵のおふたりの語らいは、そこに劇的なドラマを求めずも、説得力と訴求力を持った科白が静かに火花散ったという意味で、極めて歯応えのある戯曲として私の心の奧底に静かに沈み込みながらそこに確たる像を結んで行った。
#394 2月23日(金)
東京芸術劇場コンサートホール
https://www.geigeki.jp/house/concert.html
インバル/都響第3次マーラー・シリーズI:「旅は、続く」
池袋にある東京芸術劇場・コンサートホール(絹谷幸二氏による天井画@ロビーも印象的な)にて開催されたインバル/都響第3次マーラー・シリーズ I:「旅は、続く」公演を聴いた。
・曲目:Gマーラー 交響曲第10番嬰ヘ長調(デリック・クック補筆版)
・演奏:東京都交響楽団
・指揮:エリアフ・インバル(桂冠指揮者)
・ソロ +コンサートマスター:矢部達哉
DENONレーベルにおいて、フランクフルト放送交響楽団と共に画期的なマーラー全集を発表したことでも知られる本日のマエストロ・インバルは、その音楽性に加えて、指揮台で見せる棒捌き=「型」でも魅せる棒振りとしてかねてより私の二大アイドルとして、度々そのナマに触れて来た存在であるが、そのアイドルの片翼たる小澤征爾氏墜つ、の報に触れた後の現場(インバルも、クラシックも、)であっただけに私自身感慨深い想いを胸にその幕開けを待った。
今回のシリーズは、’12〜’14の「新 マーラー・ツィクルス」から10年を経て、88歳を迎えたマエストロ・インバルが三度都響での交響曲全曲演奏に取り組む企画であり、今日の第10番から開始し、数シーズンかけての完結を目指すという、インバルにとっても、都響にとっても極めて壮大かつ意欲的な試みの序章となったという訳だ。
まあ、それらはそうとして、肝心の音だ。
今日演奏された第10番、公演パンフレットの解説によると、1910年マーラーにとって結果的に人生の残り時間僅か10ヶ月余りの時点から作曲し始められたものであり、一方で、妻アルマの不倫関係が明るみに出る。そんな極めてタフな状況で遺した最期の言葉を我々は受け取ることとなった。土曜日昼間の、それも人気コンビによる注目公演とあって、客席はキャパ1,999席の9割方が埋め尽くされる大盛況振りを見せた。果たして、定刻14時、下手からいつものようにブラックコスチュームを纏ったマエストロが登場した。米寿とは思えない、その一歩一歩の確かな足どりと漲る気迫に曲前から圧倒されてしまう。以降、途中休憩を入れず、全5楽章に70分を使い存分に描き切ったその音創りは、まさに気宇壮大な宇宙を我々の眼前に差し出すこととなった。私はマエストロの左後方約20mの距離から見守ったが、そこでは(大袈裟ではなく)一瞬の瞬きも許されることは叶わなかった。マエストロはアイコンタクトで、右手のタクトで、そうして物言う左手で、かなり細かくオケに対して指示を出して行った。受け取ったオケの反応も申し分なかった。水も漏らさぬ緊密さを貫いた弦楽器パートのハーモニー、ダイナミクスコントロールに抜群の冴えを見せた管楽器パートのアンサンブル。そうして打楽器パートの打点の切れ味。物皆全てがまさに「交響」しながら、1世紀前を生きたひとりの作曲家がそのエンディングノートに綴った泰然、猜疑、不穏、諦念、発奮等々楽章毎に現れては消えゆく抒情の機微を全身全霊を込めて表現し尽くしていった。マーラー及びその手になる楽曲に対する深い理解と愛情の念を持ったこの聴覚にも視覚にも強く訴える稀代のマエストロが、自らの最終章のI頁に、ここ日本で、日本のオケと共にマーラーの軌跡を描く旅を選び取ってくれた意義は極めて大きいと思う。
最後に、今日の演奏に対するマエストロ自身の達成感もかなりのものだったのだろう。
終演後のカーテンコールは、指揮台の上からではなく、自ら隈なくオケの中をまわりひとりひとりに起立を求めつつ計5回。オケが全員舞台袖に退いた後もひとりで計3回に及ぶ程だった。「旅は、続く」。見届けられる私は幸せだ。