Live Evil #39 「サムルノリ誕生40周年記念金徳洙サムルノリ・コンサート2018」
text by Kenny Inaoka 稲岡邦彌
photos by Ryonosuke Honmura 本村鐐之助
2018年11月1日(木)
渋谷区総合文化センター大和田・さくらホール
金 徳洙サムルノリ;
金 徳洙(キム・ドクス)チャンゴ
洪 允基(ホン・ユンギ)チャンゴ
文 相濬(ムン・サンジュン)ケンガリ
宋 東雲(ソン・ドンウン)チン
房 成赫(パン・ソンヒョク)プク
韓国のゲスト;
金 利恵(キム・リヘ)韓国舞踊
朴 鍾鎬(パク・ジョンホ)パンソリ
日本のゲスト;
仙波 清彦(センバ・キヨヒコ)仙波流囃子方、
福原 寛(フクハラ・カン)福原流笛方
木乃下 真市(キノシタ・シンイチ)津軽三味線
第一部
1.ムンク〜キルノリ
2.ピナリ
3.金 徳洙流チャンゴ散調
4.チャンゴ散調
5.三道農楽カラク
第二部
1.謙良節〜秋田大黒舞
2.トッキイヤギ
3.「韓舞 白い道成寺」より
4.パンクッ
アンコール
ペンノレ〜ソーラン節
韓国の打楽器アンサンブル「サムルノリ」が誕生40周年を迎え記念公演を行なった。縁あって僕が日本のマネジメントを請けていたときにソウルで10周年記念公演がありゲストの山下洋輔さんたちと渡韓してから30年経つのだ。言い古されたフレーズだが月日の経つことの早さに心底驚く。当時の「サムルノリ」とは、2016年に埼玉県の高麗神社で催された「サムルノリ in 高麗 2016 〜 高麗郡建都1300年記念」で再会、彼らの演技を観て年の経過を確認している。それは自分の頭髪の色の変化を見ても分かることだ。
金 徳洙師のピリに先導されて客席通路をステージに向かう若武者たちはまさに「金 徳洙サムルノリ」に違いない。目的を同じくする四人の奏者が集って結成された初代の「サムルノリ」と違って金 徳洙師がメンバーを選抜して結成した文字通り「金 徳洙サムルノリ」だ。一部は「金 徳洙サムルノリ」のステージ。初代が練り上げた演目をほぼ踏襲しているが、四人で演奏していた「ソルチャンゴ・カラク」(全員がチャンゴ:杖鼓を演奏する)に五人目のチャンゴ奏者として金 徳洙師が加わり「チャンゴ散調」とし、さらに金 徳洙師のチャンゴ独奏がフィーチャーされた。師はチャンゴの名手として名高いが、初めて耳にする師の完全なチャンゴ独奏は変化とダイナミクスに富み、さらには独特のゆるやかなグルーヴを生み出していることに酔わされた。打楽器で歌っているのだ(師は初めてチャンゴ独創のCDをリリースしたと聞く)。四人の奏者がそれぞれケンガリ、チャンゴ、チン、プクという4種の異なる楽器(いわゆる、鉦:カネと太鼓)で演奏するカルテット形式の<農楽カラク>では、初代に比べプク奏者の激しい演奏がグループ全体のダイナミズムを持ち上げていた。この奏者はサムルノリの持つ様式美よりもダイナミズムを重視しているかのように胡座をかいていた片足を立てて激しくプク(太鼓)を打ち鳴らし、ついにはロッカーのようにヘッドバンギングまで加えて目を見張らせた。
休憩を挟んだ第二部は日韓の共演。金 徳洙師はジャズ・ピアノの山下洋輔やフォークの岡林信康、画家の黒田征太郎などさまざまな邦人アーチストと共演してきたが、どうやら鼓の仙波清彦師を中心とする笛と三味線の邦楽トリオに落ち着いたようだ。と思わせるほど、サムルノリと邦楽トリオの共演はしっくりいっていた。音量の弱い邦楽器にレベルを合わせるサムルノリの控えめの音量も絶妙で見事バランスを見せていた。第二部で惹き込まれたのは紅一点の金利恵師の伝統舞踏と太鼓だった。<白い道成寺>は彼女の十八番で以前にも観ているがさらに洗練され表現力を増していた。合わせる日韓の演奏も絶妙で、ステージ全体が一つの世界の溶け込み思わず前のめりになっている自分がいた。哀しみを内に秘めながらも優美な韓舞と情念を叩き出すかのような激しい太鼓のコントラスト、延々と打ち鳴らされる太鼓は心身の安定を危うくさえする。
プログラムの最後<パンクッ>はサムルノリのハイライト。紙テープの着いた帽子を被った頭を回しながら、楽器を演奏しつつ、身体を激しくスピンさせる。曲技に近い演舞だ。初代に比べまだまだ粗さが目立つが、若武者は元気一杯。かつては、金 徳洙師の誘いに応じて観客がステージに上がりサムルノリと踊り回ったものだが、この日は壇上に上がる者がひとりもいなかった。時代が変わったのか。
アンコールは定番のひとつ民謡<ペンノレ>と<ソーラン節>の掛け合い。パンソリの朴 鍾鎬師と津軽三味線の木乃下 真市師が鍛え抜いた喉を聴かせたあとは、囃し言葉 “オギーヤッチャ”と “ドッコイショ” が行ったり来たり、まるでエールの交換さながらだ。
ともあれ、周年に過去を振り返るのではなく、次の周年に向かって若い世代とともに前進する、金 徳洙師の意図は充分伝わってきた。
慰安婦や徴用工問題で日韓関係には暗雲が垂れ込めているが、民間レヴェルの日韓友好関係は金 徳洙師が40年間にわたって音楽を通じて尽力して来た結果が着実に実を結んでいることを目の当たりにした一夜でもあった。違いがあってこその文化、違いを認め合い、お互いをリスペクトし、思いやり、気遣う、そして新しい何かを創りだす、この夜はその全てがあったように思う。