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風巻隆「風を歩く」からColumnNo. 321

風巻 隆「風を歩く」から #33「フライヤーの手書きエッセイ 」

text by: Takashi Kazamaki 風巻 隆

20代の若い頃から 自主製作で即興演奏のコンサートを企画してきたボクは、その度にフライヤーを手書きで作っていた。はじめはB4の大きなものを、84年に初めてニューヨークへ行ってからはA4の大きさで、タイトルや出演者、日時、会場、料金、連絡先といった情報とともに、ちょっとした文章を書き記していた。共演者を紹介したり、共演するにいたった経緯を書いたこともあるけれど、多くは、身辺雑記のようなものだったり、旅の思い出のような軽い文章だ。84年、それまで続けていた吉祥寺の日本そば屋さんのバイトをやめ、初めてのニューヨークを見据えて、3月にソロツアーを行った。

一本のあったかい缶コーヒーをコートのポケットに入れて、井の頭公園を散歩している。この前の雪がまだあちこち残っているけど、小川の土手の枯草の上に小さな陽だまりを見つけ、そこにどかっと腰をおろす。ポケットからコーヒーを出し、タバコに火をつけ、小川の水が光を反射してキラキラ輝いているのを、見るともなく見ている。甘ったるいコーヒーとタバコの煙は何とも言えず似つかわしく、ボクの頭の中をカラッポにしてくれる。

「一人でいる時、本当に一人になりたくてタバコを吸うんだ」と言ったら笑われてしまったけれど、旅すがら峠の道端に腰をおろしてキセルを一服吸うような、そんな風にタバコを吸いたいと思っていた。二年前の夏、タイコかついで旅して回り、その旅先の松本で、それまでめったに吸わなかったタバコを、どうしても吸いたくなった。いったい自分に何ができるのか、いったいこれから何をしようというのか、松本城の公園のベンチに座って、夏の終わりの夕暮れを見ながら、自分の中で一つの季節が過ぎ去っていくのを感じていた。

今、またこうしてタバコを吸いながらまだ春には遠い冬の日の午后のあたたかい日射しの中で思いをめぐらせている。いったい自分に何ができるのか、いったいこれから何をしようというのか。仕事をしないうしろめたさもなく、金のない生活の不安もさしてなく、人生は旅だとか気どるつもりもさらさらないのだけれど、忙しい街の生活からはじき出たところで、風の向くまま、気のむくまま、フラフラと漂っている。

 ふと気がつくと、いつのまにかコーヒーのあき缶を指で叩いてリズムをとっていた。誰に聴いてもらうわけでもなく、まして練習をするわけでもなく、川の水が流れるように、息をするように、自然の中に溶け込んでいくように、ボク自身と話をするように…、音が次から次へと流れでていく。それはまた、ボクの体の中にも広がって「自分」というものがどんどん消えていき、ボクは一つの「音」になっていく。

音の流れに漂いながら、「音」になったボクは、いつか聞いた川の水の話を思い出す。川の水は海に向かって流れているんじゃない。その時その時、少しでも低い方へと一生懸命流れているうちに、いつのまにか、知らず知らずに海にたどりついているんだ。ボクも、海にたどりつけるだろうか…。ぼんやり眺めていた川の水の光が、心なしか輝いて見え始めた…。

1982年3月16日~24日 ソロツアー「ケエル」 名古屋ハックフィン~高岡もみの木ハウス

ニューヨークから帰ると、まず渋谷・アピアで「オトとおどりの交差点」というタイトルでダンサーと共演するシリーズを始めた。初回のゲストは新生呉羽さんというダンサーだったけれど、チラシの文章では、彼女のことは全く触れていない。

国鉄成田の駅前の木の下に座り、キリンの缶ビール飲みながら、葉の茂った大きな木が向こうで風にゆれているのをながめている。夕立のあとで、そこここに水たまりが残り、高校生達がにぎやかに三々五々通りすぎていく。それぞれが、きっとそれぞれの夏を待っているのだろう。ボクは一人で、あっという間に終わったニューヨークの夏を思い出の中に押しやって、これから来る夏のことをボケーッと考えている。

また、やり直しさ。もう自分は、すっかりカラッポになっちゃったから(財布までカラッポだ)。また何か新しいことができそうな気もするし、何かこう自分という奴がわかんなくなってきた。どういうところから音を出して、どういうところへ返していったらいいんだろう。タイコを叩くと音が出る、ただそれだけのことなんだけどな…。狭い路地に屋台が並び、山車が祭の出番を待っている。帰りたくない。今はただこうして、知らない町で、今日20歳になるという女の子のことを待っている。

1984年8月5日「オトとおどりの交差点」渋谷・アピア

ニューヨークでのエピソードはチラシの文章の常連だった。ストリートミュージックをしていたら初老のミュージシャンが声をかけてきて一緒に演奏するとデューイ・レッドマンだったとか、「LIFE CAFÉ」での猛暑の夏のコンサートにエアコンが壊れていたとか、「もしもし、ピーターさんです」とペーター・コヴァルトから日本語で電話がかかってきて、言われるままに近くのバーに行ったら、ペーター・ブロッツマンやイレーヌ・シュヴァイツアー、フレッド・ヴァン・ホーフがいたなど、思いもかけないことが次々と起こっていた。「音の交差点」で田中トシ、菅波ゆり子とライブをしたときには、こんな文章だった。

友人と酒飲みながらゴロ寝した旅先でのこと。まぶしい夏の光に目を覚まし、何気なく本棚をながめると、そこに「共犯幻想」というマンガがあった。高校の時計台をバリケードで封鎖し占拠した四人の男女の個人史と「自由」を求める彼・彼女らの闘争を描いたもので、ボクはむさぼるように一気に読んでしまった。72年から「漫画アクション」に連載されたという真崎守のこの作品は、あの時代の産物と言えるのかもしれないが、蝶の羽化に象徴される解放→自由への憧憬は、けっして“懐かしさ”ではなく、ボクらの問題として、今、ここにも確かにあるはずだ。

もう10年も昔のことになるけれど、ボクの高校時代はコリン・ウィルソンの「アウトサイダー」こわきにかかえた長髪のロック少年で、とにかく大きな音を出すことに何かを賭けていた。文化祭の芝居に「バクダン犯人」を登場させた、そんな時代だった。鈍行列車の窓からぼんやり外を眺めながら、「闘う」って何なんだろう…、ってずうっと考えていた。ボクは何をしてきたんだろう。

コンサートに対する反逆を試みたこともあった。デモや集会や、さまざまな現場に出かけては“即狂”を繰り広げもした。「百鬼夜行」というイヴェントでポリさんと対峙したこともあった。東京とニューヨークの路上でタイコを叩きもした。ただ、今は、それだけでなく、いいコンサートをしたいとも思っている。即興演奏というその場限りのアンサンブルの中に、見つめていきたい何かがある。一つ一つの音の中にも見つめていきたい何かがある。それもこれも、けして“懐かしさ”などではないはずだ。

1984年11月6日「音の交差点」明大前キッド・アイラック・ホール

梅雨の晴れ間の或る日の夜遅く、部屋の明かりを消して、戸を開け放ち、ラジオを小さくかけながら、静かにボーッとしながら、何か、もうすぐそこまで来ている夏の気配のようなものを思い出していた。外の明かりが薄ぼんやりと部屋のなかを照らし、隣の家から話し声やテレビのプロ野球ニュースが聞こえてくる。何もしないで壁によりかかり、何を見るでもなく、聞くでもなく、そして何を考えるでもなく、ただただポツンと一人で、もうすぐ夏が来ようかという6月半ばの夜をうす暗い部屋の中で、深い、ゆっくりとした呼吸をしながら、まるで時間が止まってしまったかのように、耳に聞こえるさまざまな音の中で、ボクはどんどん一人になっていった。

いつかも、こんなことがあったはずだ。いや、昔から、こんなことばかりしていたのかもしれない。忘れかけていた記憶の断片が、浮かんでは消える。耳をすますと遠くからカエルの声が聞こえてくる。

忙しさのまっただ中で、いろんなものを抱えてしまって、やらなくちゃいけないことや、どうにかこうにかやってしまいたい…というようなシンドサが頭や心にドサッとのしかかり、例えば「生活」すること一つとっても自分達のやり方を作っていくのは大変なことだ。「男」と「女」のことにしても、「親」や「家」のことにしても、いろんなつきあい方があるんだろうし、自分なりのやり方でクリヤーしたいと思う。

考えれば考えるほど重たくなるものは、自由な発想でヒョイと飛び越えてしまいたい…、そう思う。イヤホント。ついつい毎日、時間に流されてしまい、時間の奴隷にまでなりそうな…、そんな日々のしがらみの中でさえ、自分の時間をとりもどすことはできる。ボクらは、きっと、また別の時間を用意して、そこで音楽を作っていく。「あたり前」の世界からちょっとハズレた所に面白いモノはある…、と思うのですが、そう本当に信じているんですが…、

アカリヲ着ケタラ、元ノ部屋ニ戻ッテシマッタ。

1986年7月26日「音の交差点」明大前キッド・アイラック・ホール              

 87年、半年間をニューヨークで過ごし、ダウンタウンの音楽シーンに飛び込んでいったボクは、帰国してからも、それまでと同じように自主的なコンサート活動を続けていく。もちろん、フライヤーの文章にはニューヨークで過ごした日々のことが綴られることも多く、音楽の最前線で過ごした日々のエピソードを伝えている。西ドイツからハンス・ライヒェルが来日し、キッドでデュオのコンサートを行ったときには、トム・コラとの国立での対談にハンスも同席していたことを綴っている。

「ヤッファキャフェ」以来だね…、と言ってボク達三人は顔を見合わせた。四月末、国立の喫茶店でボクとトム・コラは雑誌「ジャズ批評」の対談があり、そこにハンスも顔を出していた。半年前、三人はニューヨークにいて、イーストヴィレッジのキャフェでカプチーノを飲み、今また東京で顔を合わせた。

英語で進められていった対談を、ハンスもずっと耳を傾けていて、そして話が「即興」に対する見方、「即興音楽」を何か特別のものとしてとらえたり、神秘的な、神聖なものとする一部の人達に対してトムが、それは違うんだと。即興にとりまく諸々の概念をとり除いて、音楽は音楽なんだという話になった時、それまでの沈黙を破ってハンスが話しはじめた…。

インプロヴァイズド・ミュージックなんて空虚な言葉だヨ。音楽の中味のことを何も言ってはいないんだからね。ただの方法というか…、中にはボク達のやっていることを、インスタント・コンポージングと言っている人達もいるわけだしネ。確かにニューヨークにはいろんなミュージシャンが集まって、音楽シーンを作ってはいるけれど、即興だけやってるわけではないからね。ジョン・ゾーンは作曲家としても有名なわけだし、トムはスケルトンクルーのロックミュージシャンだし…。ニューヨークってのは名をあげる場所だよね。コマーシャルに成功していくためにサ。

ボクはハンスほど割り切っては考えられないのだけれど…、自分の中の何かが変わりつつあるし、より構築的なものへの興味はレコーディング等を通して生まれてきている。「作品」としての音楽に向かってるのかも…。

1988年7月4日「ハンス・ライヒェル 風巻隆デュオ」 明大前キッド・アイラック・ホール    

三鷹に長年住んでいたボクは、井の頭公園へはよく行っていた。桜の頃に花見客で賑わう公園でタイコを叩き、翌朝、桜の下で寝ざめたなんて話を書いたこともあるし、公園のベンチが無くなって憤慨する話をフライヤーに書いたこともある。89年の5月、向井千恵、鈴木健雄とのデュオ、ピアノの黒田京子とのデュオによる2日間のライブをキッドで行った。

 花見には少し寒い3月の末、雨あがりの井の頭公園を歩いていると、遠くから沖縄民謡が聞こえてくる。音をたどって近づいていくと、クレープ屋の前で酔っ払ったオッサンがラジカセを担いでいる。ヨレヨレの服、大きな紙袋、Hiニッカの大瓶をしっかり抱きかかえ、道端にしゃがんでブツブツ何か言いながらクレープを食べ始めた。ボクも「いせや」でヤキトリとワンカップを買って、そのオジサンの隣に座る。

「いい歌だね…」「これはね、恋唄よ。」意外な答えが返ってきた。「JRの駅でも寝るんですよ…」というオッサンとしばし唄に聞きほれる。しばらくして、ヨロヨロっと立ち上がると、フラフラしながら公園の方へ歩いて行く。ラジカセを耳の近くにあて、もう完全に世界に入ってしまっている。「じゃ踊りますか…」というと荷物を置いてラジカセ片手に踊りだす。ボクも踊りだすにはまだ酒が足りない。人通りの多い道のまん中で、行きかう人の冷たい視線をモノともせずに踊りつづけるこのオッサンは最高にカッコいい。「最高よ」「サ、イコーヨ‼」

1989年5月6日~7日「音の窓辺にたって風を視る」明大前キッド・アイラック・ホール

風巻隆

Kazamaki Takashi Percussion 80~90年代にかけて、ニューヨーク・ダウンタウンの実験的な音楽シーンとリンクして、ヨーロッパ、エストニアのミュージシャン達と幅広い音楽活動を行ってきた即興のパカッショニスト。革の音がする肩掛けのタイコ、胴長のブリキのバケツなどを駆使し、独創的、革新的な演奏スタイルを模索している。東京の即興シーンでも独自の立ち位置を持ち、長年文章で音楽や即興への考察を深めてきた異色のミュージシャン。2022年オフノートから、新作ソロCD「ただ音を叩いている/PERCUSSIO」をリリースする。

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