オスロに学ぶ Vol.6「ムンクの絵に感じるノルウェー」
text & photos by Ayumi TANAKA 田中鮎美
オスロの郊外、Tøyenにあるムンク美術館。ノルウェーの画家、エドヴァルド・ムンク (1863-1944) の作品のほとんどが収蔵されている美術館だ。オスロで暮らすようになってから、ここへ幾度も足を運んだ。
ムンクが生まれたのは、今からおよそ 150 年前。ムンクは20代の半ばから40代の半ばまでドイツやフランス、デンマークなどで暮らしたが、その後、この世を去る81歳までの歳月をノルウェーで過ごしたと言われている。ノルウェーで暮らしていると、時は違うけれど、同じ地で人生の多くを過ごしたムンクが残した作品に、時に何か救いを求めるような気持ちで、美術館に足を運んでしまうのかもしれない。
ムンクは、幼い頃に母と姉を亡くした。生涯、誰とも結婚しなかった。精神を病んだ時期もあった。彼の心は知ることはできないが、彼の絵を見ているとその絵に、ノルウェーで暮らす自身を重ね合わせようとする自分がどこかにいる。
ムンクの絵は人物が描かれているものも多いが、私の心を掴むものは、絵の背景にあるように感じる。それは、いつか、ここノルウェーのどこかで感じた空気の感覚みたいなものを、切り取ったかのように私に思い出させる。木々が風に静かに揺れる穏やかな空気や、肌に突き刺すような冬の空気、暗闇に包まれた静寂の空気、長い冬を越えた後の暖かい太陽がもたらす空気などの様々な感覚。それらを感じることによって、ムンクが生きていた頃から引き継がれ、今もなお息づく、同じノルウェーの空気の中に自分がいるんだということを実感させられる。この様なことは、自分が暮らした地で生まれた音楽を聴く時も、時折感じる。ノルウェーや日本の音楽を聴いていると、その音楽の背景に自分自身がその地で経験した空気の感覚を、無意識のうちに思い出し、音楽に重ね合わせていることがある。
絵画や音楽は、人間が創り出したものかのように見えるが、それらが生まれた土地や空気、自然が人を使って形にしたものではないだろうか。様々な空の表情、海や川や湖の水、山の木々を見つめる時、静寂の中にある鳥の鳴き声や、川の水の流れる音、風に揺れる緑の音、雨の音に耳を澄ます時、それらはあまりに美しくて、人間の力ではとても越えることのできないようなものであるように感じる。だが、それでもやはり人の手によって生まれる絵画や音楽は、私の想像を越えて、人との間に奇跡みたいな瞬間や出会いを作り出しているのだろう。それは、その作者にも想像もつかなかった奇跡なのかもしれない。その背景の奥に潜む、空気のような何かが、絵画や音楽に息吹を与えているのではないだろうか。
去年のクリスマスに、友人の両親が暮らすノルウェーのGranvinという田舎を訪れたのだが、そこの山水は、本当においしかった。Granvinはノルウェーの西部に位置する約450人が暮らす小さな町。クリスマスツリーにする木を取りに山に登った際、山から流れ出る水をいただいた。まさに水が生まれている場所で、水を飲むということは自然に生かされているんだということを思い出させてくれた。人間の身体の多くは水で占めているというが、自分が住む土地の水を清く保つということは、自分の身体を清く保つことと同じことではないだろうか。
ノルウェーは自然豊かな美しい国だ。首都のオスロでさえも約 60 %が森林地帯である。それでも、人の手によって、幾らかの自然はこれまでに失われてきたのであろう。ムンクが昔、友人に送ったとされる、写真のついたポストカードに写っているオスロの中心街、カールヨハン通りの土の地面は、今は全てがコンクリートで埋められている。彼が絵に描いたとされているオスロにある海も、今は埋め立てられていて見ることができないものもある。歳月が流れ、街が活性化するのは素晴らしいことでもあるけれど、どこか少し寂しいような気もしてしまう。だが、日々絶えず、その土地が変化していくからこそ、その描かれた瞬間に心が惹かれるのかもしれない。
ムンクは生涯、死ぬまで絵を書き続けた。生涯、絵を描き続けるということは、決して楽な人生ではなかっただろう。ムンクの絵は描かれた時期によって作風が大きく違う。見ているこちらの心が痛む様な、辛い悲しみに満ちた絵ばかり描いていた時期もあるが、光や、エネルギーの源のようなもので満ちている作品も多く見られる。それはノルウェーでの厳しい長い冬を乗り越えた者だけが感じられる、生命の力が溢れる太陽の光を連想させる。ムンクの絵は、いつの作品も、何の飾り気もない鏡のように、ムンクが感じた空気や心の中が、映し出されているように思われる。
家の近所にあるムンクのお墓には時々人がやって来て、誰かがそこに蝋燭を灯している。彼らもまた、私のようにムンクの絵に自分自身を重ね合わせたりしているのかもしれない。