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Reflection of Music 横井一江No. 315

Reflection of Music Vol. 97 白石かずこ

白石かずこ @JAZZ ART せんがわ  2018
Kazuko Shiraishi @JAZZ ART Sengawa, September 15, 2018,
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江


白石かずこもまた、天国へ行ってしまった。

今年の5月、メールスを訪れた時に37年ぶりにセント・ジョセフ教会に入った。メールス・フェスティヴァルは本会場のホール、屋外ステージ以外にも市内の幾つかの場所で演奏が行われており、セント・ジョセフ教会もそのひとつだったからだ

古いカソリック教会に入り、椅子に座って教会の中のステンドグラスを見ながら、37年前にここで白石かずこのポエトリー・リーディングを観た時のことを思い出していた。共演者はペーター・コヴァルト、彼がブッパータルに滞在していた白石を連れてメールスに来たことから、急遽特別プログラムが組まれたのである。この教会は残響が長く、教会の建物自体の持つ音響効果で、言葉が、声が、コヴァルトのベースの響きと絡み合いながら、空間にエコーしていた。教会自体が音響装置なのだと、その時気がついたのである。終演後、初めて彼女と言葉を交わした。とはいえ、相手は著名な詩人ということで私が緊張していたことは間違いない。縁とは不思議なもので、そんなこんなで長年に亘って親しくお付き合いさせていただくことになったのである。しかし、近年はコロナ禍もあり、すっかりご無沙汰していた。帰国したら一度お会いしに行こうと思ったのだが、それが叶わぬまま逝ってしまった。それがなんとも心残りでならない。

 

白石かずこは日本を代表する詩人であっただけではなく、ポエトリー・リーディングと音楽のコラボレーションにおいては、日本における先駆者で独自の世界を拓いた第一人者だった。そして、ジャズと近しい詩人だった。それは彼女の詩作にも及んでいる。古い季刊『ジャズ批評』には、彼女のエッセイが掲載されていたことを思い出し、本棚から引っ張り出し、その幾つかをあらためて読んでみた。『ジャズ批評5号』(1969年9月)に書かれたエッセイ「Poetry in Jazz」は、60年代から70年代にかけて彼女の詩作と音楽との関わりが書かれている。エッセイでは、ルー・ロウルズの<Stormy Monday>やパーシー・スレッジの<Cover Me>を取り上げているのだが、その最後にはこう記されていた。

わたしは一方では、ジョン・コルトレーンの音楽を詩という、違う場所で、わたしなりにつくることを試み、これらは、いくらか、多様な、異質な要素は、突然、あるいは計画的にはいりこむので複雑になり読者を、ある時は、まどわす難解さを、みせることもある。一方、日本語で詩をかく上で、それが何語に訳されても通用する、そして詩人や一部の芸術好みの人たちにのみ理解、通用するのでない詩、そういうのを求める時、やはり下層階級の労働者から全部がわかる、それでいて低級でないむしろハイブローなエッセンス、エスプリをもつルウ・ラウルスやパーシー・スレッジの唄っている歌詞にぶつかる。
平凡な平凡、やさしい意味深さ、味なものが、世の中には、たくさんあって、R&BやJAZZをきく楽しみは、こうして、きく(楽しむ)と学ぶ(詩の上で)の二つがあって詩をかくものにとっては、まったくPressure & treasureである。

ところで、彼女が季刊『ジャズ批評』に最初に寄稿したのは何号からだったのだろうとふと気になって調べてみた。手元にある3号にはエッセイが掲載されている。では2号はどうなのか。手元にないので、国会図書館のお世話になることになった。1967年11月刊行の2号はコルトレーン追悼特集が組まれていたようで、目次を見たら「死んだジョン・コルトレーンに捧げる(詩)」が一番最初にあるではないか。後にサム・リバース(sax) 、アンドレイ・ストロバード(per)、バスター・ウィリアムス(b)、アブドゥール・ワダッド(cello)と制作したアルバム『Dedicated To The Late John Coltrane』(Music Works) で朗読されている詩だ。『ジャズ批評5号』のエッセイにはこのような一節もあった。

ながいこと、コルトレーンをきいていて、かつてはコルトレーンの演奏法、それを通してモダン・ジャズの演奏法から、わたしの現代詩の構成法をまなび、またフィーリング、不協和音をコトバによりつみかさねたり、だぶらしたりすること、またマの取り方、つまり呼吸法みたいのを、なんとなく、詩で無我夢中に試みていた季節があった。

上述の文章を読めば、ジャズ、とりわけフリージャズや即興演奏を行うミュージシャンと対等にインタープレイが出来ることにすごく納得がいく。実際、白石かずこは実に多くのミュージシャンと共演してきた。沖至(tp)、豊住芳三郎(ds)、翠川敬基(cello)、梅津和時(sax, cl)、佐藤允彦(p)、八木美知依(箏)などの他、前述のサム・リバース、レオ・スミス(tp)、ロッド・ウイリアムス(p)、ペーター・コヴァルト(b)、ペーター・ブロッツマン(sax)等々、パッと名前が出る限り挙げただけでも錚々たるミュージシャンの名前が連なる。とはいえ、録音はさほど多くないし、やはり最高傑作は『Dedicated To The Late John Coltrane』だろう。この録音時、白石は「リラックスして、わたしの日本語の詩を楽器と思い、遠慮せずにぶつかってくるように」と何度も言ったという(*1)。このレコードについて、白石と共演していた翠川敬基はこう書いている。

しかし、白石かずこの朗読はなんと不思議な力に満ちていることか。リンと響きわたる声を聴いて、ルクソールの神殿を想い出さずにはいられない。殆ど汗も出ない程、乾燥した暑熱の砂漠の中に、突如圧するが如く現れる神殿。何故それを想い出したかは分からない。再び聴けば、ニューヨークのロフトにも思えるし他ならぬTOKYOであったりもする。時には時の流れさえも超えてしまう。これは聴き手の想像力だけのせいではあるまい。白石かずこの言葉が、言霊が、あるいはサム・リバースの音霊が生きているという証左なのだ。(『ジャズ批評 34号』1979年11月)

このレコードが翠川の想像力を刺激したことは間違いない。私も最初に聴いた時に東京とニューヨークの夜が二重映しになり、不思議な空間に連れていかれたような気がした。何かスピリチュアルで摩訶不思議な力を感じたのである。これはペーター・ブロッツマンも語っていたことだが(*2)、共演者たちが日本語がわからないことが返って良かったのではないか。もっともあらかじめ詩の内容についての説明は受けていたのだろうが、白石の朗読をサウンドとして捉えることで、発せられる言葉に拘泥することなく、対等でより自由なインタープレイが可能になったのではないかと考える。そして、ここでのサム・リバースの演奏は、彼のアルバムの中でもワン・オブ・ザ・ベストだと私は思う。言霊と音霊が混じりあって生成された世界は、音楽ファンにも詩を読む人たちにも耳をひらかせる作品だったといえる。

これまで随分と白石かずこのポエトリー・リーディングを見てきた。その中でも脳裏に残っているステージのひとつに2011年のJAZZ ARTせんがわでのステージがある。東日本大震災の直後に津波に襲われた海岸に訪れ、書いた詩「海、陸、影、」の朗読である。このステージはその年に国内で見た中で最も心を打たれたパフォーマンスだった。「このライブ/このコンサート2011国内編」(*3) にそれを取り上げ、私はこのように記した。

語られる言葉の中に情景が浮かびあがり、言霊が亡き者達の霊魂と出会っているかのよう。それは実際に撮られた映像があまりに凄まじかったゆえにまるで映画の一部を見ているようにしか思えなかったのと違って、昇華されたリアリティで迫ってくる。詩人のコトバは、人々が伝えきれないものを語ってくれるのだ。巻上公一が出すサウンドが時に囁くような人声にも聞こえ、寄り添うようにベースを弾く井野信義と共に、言霊を受け止め、詩の世界に奥行きを与えていた。客席に座っていた人の多くがその世界に吸い込まれていたのではないだろうか。(→リンク、JazzTokyo No. 170, 12/25/2011)

この時は、朗読が始まると客席の空気が変わった。このようなことは滅多にない。私自身も東北の海岸のどこかに連れていかれたような気持ちになったのである。白石かずこは後にもう一度、2018年にJAZZ ARTせんがわに出演した。写真はその時に撮ったものだ。この時の共演者は国内外で共演してきた沖至と巻上公一、そして藤原清登。 読んだ詩は「ピーカブー」、ミストラル(*4)が吹く南フランスのどこかに迷い込んだような気分になる。「ピーカブー」の朗読は何度か見ているが、この時のパフォーマンスは格別だった。そして、チャーミングな詩「眼の窓」。既に老境に入っていた彼女の朗読に、50代、60代の頃とはまた違うアクチュアリティーを感じたのである。

白石かずこのポエトリー・リーディングでは、詩は彫刻のように空間に立体的に浮かびあがってきた。彼女ほどミュージシャンと同じ土俵で共演した詩人はいない。詩人の奥成達は「〈聴覚的〉な現代詩人」(*5)と書いていたが、言い得て妙である。彼女は旅をし、ボーダーを行き来しながら、さまざまな風を受け止めて、言葉を紡いでいたように思う。カナダのバンクーバーで幼少期を過ごしたからだろうか、そのユニバーサルな感性ゆえに各国語に訳された詩はさまざまな国の人に届いた。私には偉大な詩人というより、稀有な詩人という言葉がぴったりくる人だった。

非常に天国へ行ってしまった彼女の霊の安からんことを。


【注】

1   白石かずこ「ポエトリー・イン・ジャズ ー アメリカの旅より戻って」『ジャズ批評 25号』1977年2月

2 Interview #276 ペーター・ブロッツマン 2008
https://jazztokyo.org/interviews/post-93903/

3  このライブ/このコンサート2011国内編#09  白石かずこ(詩・朗読) 井野信義(b) 巻上公一(theremin)
https://jazztokyo.org/issue-number/to-no-201/post-9905/

4  フランスのローヌ川沿いに冬から春にかけて地中海へ向かって吹き下ろす乾燥した北風

5  奥成達「詩は音楽として書かれねばならないー〈聴覚的〉な現代詩人・白石かずこ」『洪水4号』2009年7月
(初出:奥成達 1997『みんながジャズに明け暮れた:私家版・日本ジャズ史』三一書房)

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#04 コトバが伝えるもの ~ 詩:白石かずこ、音楽史/音楽批評:リチャード・タラスキン
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横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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