Reflection of Music Vol. 54 ジェリ・アレン
ジェリ・アレン @メールス・ジャズ祭 1989
Geri Allen @Moers Festival 1989
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
1980年代半ばのことである。一枚のレコードが目に留まった。ピアニスト、ジェリ・アレンの『The Printmakers』、ドラムスはアンドリュー・シリル、ベースはアンソニー・コックス。ドイツのMinor Musicの第1作で、その後も80年代の彼女の作品はそこからリリースされている。ドイツにはECM、Enjaを始めとして独自のレーベル・カラーを持つレコード・レーベルが幾つもあり、アメリカのミュージシャンの作品も積極的にリリースしていた。そこにまたひとつレーベルが誕生し、俊才を世に知らしめたのである。それまでの伝統的なピアニストともフリーでアグレッシヴなピアニストとも異なる彼女のサウンドが新鮮だったことは、それから30年以上経った今も記憶に新しい。
そのジェリ・アレンを観たのは、1988年のメールス・ジャズ祭である。前年、1987年のメールス・ジャズ祭のテーマのひとつは「女性のジャズ」だった。これはメールスに限ったことではなく、80年代半ばから90年にかけてヨーロッパのジャズ祭では、あちこちで女性ミュージシャンにフォーカスしたプログラミングをしていた。それまでジャズの世界は男性主体で、女性ミュージシャンの絶対数そのものが今と違って少なかったのだが、80年代才能のある女性がスタイルによらず各地で頭角を現してきたのである。女性を取り巻く社会状況の変化も関係していたのだろう。これに着目したのはアメリカよりもヨーロッパのほうだった。だから、ドイツMinor Musicのステファン・メイナーがジェリ・アレンを見いだしたのも頷けるのである。
1988年のメールス・ジャズ祭に、ジェリ・アレンはM-Baseで名を馳せたグレッグ・オズビーとのデュオで登場。これはヨーロッパ・プレミアムであると当時のプログラムに記載されている。そして、「オープン・オン・オール・サイズ」でも演奏。他方、デュオの相方グレッグ・オズビーも自身のプロジェクト「サウンド・シアター」で出演していた。前衛ジャズ祭として一世を風靡し、音楽状況の呈示ということではどこよりも先んじていたメールス・ジャズ祭だけに、ブルックリンの若手音楽家の動向もキッチリとその視野に入っていたのである。
正直に言うと、ジェリ・アレンとグレッグ・オズビーのステージの後がドゥドゥ・ニジャエ・ローズで、そのパフォーマンスがあまりにも圧倒的だったために、デュオの印象は稀薄になってしまった。これは今思うととても残念で、プログラミングによる不運としか言いようがない。もうひとつのステージ、オクテット編成の「オープン・オン・オール・サイズ」は、ジャズの伝統的な要素を独自の手法で折り込み、リズム・セクション、管楽器、パーカッションが交差するサウンド構成とポップさのある世界が愉しかった。なによりもプロジェクト名が、彼女の志向を端的に伝えていると、そのオリジナルな音楽性がストンと腑に落ちたのである。このラージ・アンサンブルでの発展を期待したのだが、別の方向に彼女の興味は移ってしまったようで、それがなかったのが残念である。
1988年はカメラを持たずにメールスに行ったので、写真はない。だが、翌1989年にもデューイ・レッドマン・カルテットのメンバーとして出演していた。上の写真はその時に撮影したものである。ジェリ・アレンの先輩をリスペクトし、真摯に音楽に向き合う姿が印象的だった。
その後、90年代以降の活躍ぶりは改めて言うまでもないだろう。女性ミュージシャンのジャズ界への貢献ということならば、メリー・ルー・ウィリアムスに続くものではないだろうか。意志の強さを感じさせる明確なタッチとリリシズムを内在させた明晰なピアニズムは、時代を超えて聴き継がれていくに違いない。
Geri Allen、ジェリ・アレン