Reflection of Music vol. 25 ランディ・ウェストン
ランディ・ウェストン@ベルリン・ジャズ祭1994
Randy Weston @JazzFest Berlin 1994
Photo & text by Kazue Yokoi 横井一江
東京の夏の暑さがやっと峠を越した頃、京都に住む友人からランディ・ウェストンが10月に上賀茂神社でやるから遊びに来ないかという便りが来た。遙か昔、平安遷都以前からの歴史を持つ由緒ある神社(重要有形文化財)でのコンサートということに惹かれた。京都にあるジャズ喫茶、ラッシュライフが一年おきにアブドゥーラ・イブラヒムとランディ・ウェストンを交代で呼んで上賀茂神社でコンサートを行っていることは以前から耳にしていた。おそらくラッシュライフのオーナーを始めとする人々の格別の思いがあってのコンサートなのだろう。しかし、京都は近いようでなかなか遠い。今回もまた、その時期既に北海道行きの所用が入っていて、行くことは叶わず。
このように近年は上賀茂神社でのコンサートのために来日しているランディ・ウェストンだが、ジャズメンとしての一般的な認知度の低さなのか、「アフリカ回帰」という文脈で取り上げられることはあっても、音楽誌に大きく載ることはあまりなかったと思う。
私にしても初期の作品『リトル・ナイルス』のポエティックな世界が好きだったものの、エリントンとモンクの影響を受け、そこにアフリカ的な要素を取り込んだピアニストという月並みな解釈しかしていなかった。その認識が変わったのは、彼の演奏を観た1994年のベルリン・ジャズ祭でのグナワのミュージシャンとの共演だった。
グナワそのものを初めて知ったのは1990年のメールス・ジャズ祭にドン・チェリーがモロッコのミュージシャンと出演した時に遡る。トランペットを片手にボーダーを軽く超えていくような生き様のドン・チェリーとグナワとは出会うべくして出会ったように思う。だが、ピアニストであるランディ・ウェストンのそのプロジェクトをプログラムで見つけた時に、ゲンブリの朴訥にもきこえる重たい音やカシャカシャという音が特徴的な鉄製カスタネットのカルカベとの組み合わせが今ひとつピンとこなかったのである。
しかし、それは私がランディ・ウェストンのことをよく知らなかっただけのことだった。1960年代からアフリカを訪れ、モロッコにしばらく住み、そこで「アフリカン・リズムズ・クラブ」を経営していたことが、その地の音楽への深い理解に繋がっていったに違いない。グナワとのセッションというより、グナワと彼のカルテットの演奏が共存するように構成されたステージからは、それぞれの音楽的要素が相乗的に働いているように感じられた。モロッコの音楽に興味をもったミュージシャンは、オーネット・コールマンを始め少なくない。しかし、スーフィも含め、生活に根付いたその世界に彼ほど共感をもって入っている人は稀だ。それは音楽的なことだけではなく、共有できる世界観を彼が見いだしているからではないか。だからこそ、ランディ・ウェストン・アフリカン・リズム・クインテット・アンド・グナワ・フロム・モロッコという企画が可能だったに違いない。
このようなことをつらつらと思い出していたら、ランディ・ウェストンが上賀茂神社で演奏するためだけに来日するということにもすごく納得がいった。神社という場所は、彼にとって聖なる場所であり、そこで演奏することは単なる興業とは違う位置づけなのだろう。音楽を演奏するということをスピリチュアルなイベントと捉えているというウェストン、スピリチュアルという言葉がぴったりとくる音楽家はそんなにいるものではない。その数少ないひとりが彼なのである。
東京に秋風が吹き始めた頃、その友人からランディ・ウェストンの上賀茂神社でのコンサートを観た興奮をそのまま綴った感想がメールで飛んできた。少し悔しかった……。(2012年12月19日記)
初出: JazzTokyo No. 182(2012年12月30日更新)
ドン・チェリー、ランディ・ウェストン、ドン・モイエ、Randy Weston、グナワ