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GUEST COLUMNNo. 250

小説「ゴースト」(下) 金野ONNYK吉晃

text by Yoshiaki Onnyk Kinno 金野ONNYK吉晃

 

<登場人物には実在の人物名を用いていますが、性格や言動は想像上のものです。また歴史的な事実やその順序と合致しているわけではありません。>

 

あるカフェ。音楽ジャーナリスト連中が集まっている。
「今のジャズには市場が無い。これからはロックだ」
「まあ今に始まったことじゃないが、ジャズメンがロックをやったり、エレクトリックサウンドを入れようとして皆失敗したな。そういうのは白人のほうが得意じゃないのか」
「だからマイルスはベースもギターも白人を入れたのさ」
「アイラーのところにだって白人はいる。いや、アイラーは最初から白人のベースだった」
「じゃあ、そいつは白い黒人なんだな」
「まあ、それはともかくアイラーはアンサンブルってことをわかってない」
「わかってないのはお前だ」
「結局あいつはソロが命だ」
「だから、メンバーが多くなるほどだらけるんだ」
「メンバーが多くてもギャラは高いから十分払えるって訳だ」
「しかし、このままじゃだめだろう」
「あいつも変ろうとしているんだがな、方向性が見えない」

あるライブ会場。
コルトレーンは猛烈な苦しさに耐えていた。しかし演奏をやめるわけにはいかない。
息も吸えないほどの苦しさが胃の下から沸き起こってくる。
それでもまだ、自動的とでもいうようにまた息を吸い込み、音として吐き出す。
サウンドの細部までに行き渡るような美しさなどもう考えられない。ひたすら音を出しつづけるのみだ。
汗が噴き出す。自分がタオルのように絞られている。次の瞬間には血が噴出すのではないかと思った。
違った。
血は胃から吹き出してきた。口の中に血の味が一杯に広がる。次の瞬間には口元から血があふれ出てきた。鼻の中にも。
そして呼吸ができなくなり彼はその場に倒れた。

コルトレーンは目を開けた。病室の白い天井が見えた。
(まだ、まだなのか)
「アリス…」
「ここにいるわ」
「俺はもうだめだ」
「何を言ってるの。休んで、また良くなったら演奏すればいいわ」
「いや、もう俺は吹けない」
「休んで」
「これは罰だ」
「何の?」
「俺は、裏切り者だ。笑えるな。俺の名はヨハネなのに、ユダになっちまった」
「どういう意味」
「いいんだ。休む」
彼は目をつむった。

アイラーは疲れを感じた。
この俺が?彼は自問した。
たしかに仕事は増えた。ギグだけじゃない。ツアーはあっちだこっちだと引き回され、寝るのは移動中。ニューヨークに居てもインタビューだ、撮影だと毎日、何かがある。会社からマネージャーという奴がやってきて、俺のスケジュールを管理している。
以前は、ぼーっとして寝転がって天井を見つめていたり、聖書をめくったりした。暇があれば美術館にもいったし、他のミュージシャンを聴きに行ったものだ。そいつらと何時間も話し合った。いろんな話題について。今はそんな時間は無い。
曲が必要だ。曲を作らなければ。
もう古いレパートリーだけではだめだ。あれは昔のメンバーだったから出来た曲なのだ。今、もっと多くの音を引き出せるはずだ。俺の世界を描くために。だからいろんな楽器のメンバーを集めたんじゃないか。でも俺はそれをコントロールしきれていない。
ああ、昔のメンバーでもう一度やってみようか。いや、だめだ。俺は前に進むだけなんだ。
おい、待てよ。俺はいま迷ってる!
なんてことだ。俺は今まで迷ったことなんかないはずだ。
俺は、どこかで間違ったのか。

マイルスはご機嫌だった。
できたばかりの新作をプレーヤーでかけながら、その出来栄えに我ながら満足していた。
デイヴ・ホランド、ジョー・ザヴィヌルこいつらはやってくれたじゃないか。今までのジャズメンとは全く違う。
英国人やスイス人のセンスなら絶対変るだろうという俺の目に狂いは無かった。
この果てしなく静かな演奏を聞け。
ロックは根本的にジャズとは反りが合わないといった連中を見返してやったぜ。
俺が単にロックからリズムや楽器だけ借りたと思うか。
違う。ロックの連中はスタジオの使い方が違う。ただ演奏して、それを録音するだけじゃない。スタジオはライブと違う。生とは全然違うサウンドを作れる。
それだけじゃない!
さらにそれを切り貼りするんだ。いいところを使い、だめなところを切って何が悪い。メンバーだってそうだろう。要る奴は使い、ダメな奴は切る。
スタジオで録音したのとは、全く違う音楽ができる。それは演奏した連中でさえ予想もしなかったものになるんだ。それは俺だけが知っている。
馬鹿どもは、ロックの真似をすればでかい音を出すもんだと思っただろう。
違う。俺はスライやジミとも違う世界を描いてみせたのさ。やつらにはできないだろう。俺だからできたのだ。
聴いてみろ!ジョン、そしてアイラー。この静寂を、この空間を。
白も黒もない。
かつて俺のアルバムはジャズを変えた。
今度は、音楽を変えるぜ。

死の床。
「アリス」
「何」
「頼みがある」
「言って」
「アルに伝えろ」
「呼ぶわ、自分で言って」
「だめだ。時間が無い」
「いいわ」
「アルに、契約を更新するなと」
「…」
「君はやはり野にあって美しい花だ」
「ジョン…」
「俺は、君になりたかった」
「…」
「だから君を摘んでしまった」
「やめて」
「野にあって美しい草を、庭へ植え替えるなんて」
「…」
「君の足元に、俺は倒れる」
「ジョン!」
「俺のために吹くな…」
「ジョン!ジョン!しっかりして」
ジョン・コルトレーン、『アセンション』。

教会。
アイラーがサックスを吹いている。
一人、アイラーは朗々と歌い上げている。顔は汗まみれだ。泣いているのかもしれない。メロディは美しく周囲を旋回した。それは次第に叫びになっていった。
会葬者は皆、心を空白にされてしまった。
コルトレーンの棺は静かに蓋を閉じられた。

インパルスのスタジオ。アイラーはバンドのメンバーの前で語った。
「俺は見つけた。ジョンが教えてくれた。俺は変らなきゃならないって。俺が元々そうであったものに。そうだ。俺は皆に語り掛けたかった。しかし誰も俺の言葉を聞いてくれなかった。だから楽器を手にしたんだ。今、俺の音楽を聞いてくれる人は沢山いる。俺の言葉も聞いてくれる。だから今こそ俺は語るべきだ。しかし俺は説教師じゃない。だから、そうだ!歌うんだ!俺は歌うべきときが来たんだ!だから、俺は君達を集めた。今までジャズをやったことがない連中も大勢いる。それでいい!だって俺はジャズをやろうってんじゃない!俺の歌、俺の言葉を聞かせたいんだ。俺の歌は俺のサックスと全く同じなんだ。だから皆が聞いてくれるだろう。さあ、やるぜ。でも最初は俺は歌わない。びっくりさせよう。いきなりギターががんがんくるからな。俺もサックスは吹かない。こんな音楽はなかったって思わせる。よし、テープを回してくれ」

アルバート・アイラーの最新作が録音された。そのマスターテープが、インパルスの重役会で再生された。
「これはなんだ?」
「うちはジャズのレーベルじゃなかったのか」
「冗談じゃないのか?本当のやつを聞かせてくれ」
「いや、これです」
「本気か?」
「これをなんといって売るんだ?」
「私もジャズにはいろんなスタイルがあるのは分かっているつもりだ。コルトレーンが変わったとき、さすがにこれは冒険だと思ったが、彼の素晴らしさは理解できた。しかし、これはジャズではない」
「サックスも吹いていないじゃないか」
「もしこれを全く新人の黒人歌手だとして聞かせても売れないだろうな」
「歌?これがか。そこらの子どもでももっと上手い」
「歌うジャズメンは他にもいる。珍しくはない。しかし皆こんなに下手じゃない」
「このギターはなんだ?」
「ロックを意識しているのか。ロックでもこんなギターはないね」
「口笛も調子っぱずれだな。はっはっは」
空気が重苦しいのは、もうもうたる紫煙のせいではない。
「…マイルスの新作を聞いたか。素晴らしいよ」
「ああ、あれは時代を変えそうだ」
「ロック的でもあるが、サウンドが美しい」
「やられたね」
沈黙。
「さて諸君、これを我らがアルバート・アイラーの新作として出すのはどんなもんかな」
「彼は本気でこれを出したいんだな」
「自信作だと言ってます」
「奴も終わりだな。ジョンがあれほど推したから間違いないと思ったが」
「契約はどうする。まだ数枚出すことになってる」
「リハーサルの録音とか、アウトテイクを編集しろ。2、3枚はなんとかなる」
「先にそっちを出したらどうだ」
「だめだ。もうプレスには宣伝を回した。ジャケットもできている」

評価は散々だった。それまでアイラーを支えていた人々までも、とまどいを隠せなかった。
しかし、そんな事は気にせずアイラーは録音時のメンバーでライブをすることを計画し、マネージャーを呼んで伝えた。
「どうだ、すごい計画だろ。俺は燃えてる。こんなにツアーしたいって気持ちになったことはないよ。できるものならこのままヨーロッパも、あ、そうだ!日本でも受けてるんだろ。日本にも行こう」
「あの、すまない、アル。今、君のバンドの予算がない」
「なんだって」
「だから、録音や宣伝に金がかかりすぎて、この人数でのライブツアーはちょっと厳しいんだ。やれるとして1、2回の単独ギグなら」
「じゃあ、せっかく新作を出したのにどこでも実演できないってのか」
「いや、ちょっと待ってくれ。上層部にかけあってみるから」
「ああ、そうしてくれ!すぐにだ!」
「アル、いや、言いにくい事なんだが、あまり新作の評判は良くない」
「評判?誰が何を言ってる?いや、そんな事は関係ないんだ。俺は俺のやるべきことをやっただけだし、これからもそうする!それ以外に道はない!」
「うん、確かに...そうだな、それがアーティストってもんだ」
「いいか、俺は今、やりたいんだ!今、霊が降りてきているんだ!今、皆に、世界に伝えろとな!」
「わ、わかった。しかし先立つ物が無い。待ってくれ、なんとかするから」
「さっさと交渉してきてくれ。待ってる」
マネージャーはあたふたと出て行った。しかし彼はそれから一週間アイラーの前に現れなかった。

アイラーは、久しぶりに泥酔した。
次の晩も、その次の晩も。人と目があうと、誰彼なしにからんだ。
「俺が何者だかわかるか」
「酔っ払いだ。酔っ払いのジャズメンだ」
「そうとしか見えないだろう。しかし違う」
「何が違うんだ」
「俺にはな、霊が降りてきているんだ」
「ふははは、なるほどね」
「わかるか。いと高きところからの霊だ」
「酒くさい霊だな。まさにスピリットだ。はははは」
アイラーは殴りかかった。
そしてしたたかにやられ、店の外に放り出された。
部屋に帰り着くことが出来なかった。有り金は全て飲んだ。

夜更け、気が付くとイーストリバーのそばの歩道にいた。
眠り込んでいたらしい。
頭ががんがんする。体中に寒気を感じた。
吐娑物に汚れたコートの前をかきあわせ、歩き出した。
どこに行こうというのだ。わからない。とにかく歩いていたい。自分が圧倒的に惨めであることを忘れるために。
ひとりでに唇が動いた。
「エリ、エリ、ラマ、サバクタニ」
呪文のようにつぶやきつづけながら歩いていた。
どすん、と突き飛ばされ、その場に倒れた。
三人の男が見下ろしている。顔は見えない。
「だめだ、こいつは」
「アル中のこじきだ」
「金目のものなんざないだろう」
「くせえ」
男達は去っていこうとする。
アイラーは、のろのろ立ち上がって声をかけた。
「おお、天使達よ。私を迎えに!」
そして一人にすがりついた。
「なんだ、この野郎」と叫ぶと三人は殴り、蹴り、突き飛ばした。
アイラーは手すりを乗り越えてイーストリバーに転落した。
1970年11月24日深夜。

翌朝、通行人がイーストリバーで黒人男性の溺死体を発見、身元不明のためモルグに収容された。
インパルスのスタジオでは、リハーサルにアイラーが現れず、部屋にも不在で所在がわからなくなったため、捜索願が出された。
数時間後、バンドのマネージャーが警察に呼び出され、モルグで死体を確認した。
変死のため、解剖。
死因、直接的には溺死。過度の血中アルコール。ただし全身に多数の打撲痕があり、脳内出血も認めた。
1970年11月25日、夜。

高級アパートの一室で、女が新聞を読んでいる。
「マイルス、アルバート・アイラーってジャズメンが死んだそうよ」
「なに!」
マイルスはベッドから飛び起き、女の手から新聞を奪った。
「知ってるの?」
「いや、知らん。そんな奴は!」
彼は目を走らせていた新聞を投げ捨てた。
1970年11月26日、昼。

アイラーは遥かな高みからニューヨークを見下ろしていた。
そこに蠢く全ての人の声が聞こえた。そして声にならない声も。
アイラーはつぶやいた。
「いま、俺が...ゴーストだ」

<「ゴースト」下 終わり>

*本作は、2011年、雑誌「アルテス」創刊号と第二号に連載した作品を全面的に改稿したものです。

金野 "onnyk" 吉晃

Yoshiaki "onnyk" Kinno 1957年、盛岡生まれ、現在も同地に居住。即興演奏家、自主レーベルAllelopathy 主宰。盛岡でのライブ録音をCD化して発表。 1976年頃から、演奏を開始。「第五列」の名称で国内外に散在するアマチュア演奏家たちと郵便を通じてネットワークを形成する。 1982年、エヴァン・パーカーとの共演を皮切りに国内外の多数の演奏家と、盛岡でライブ企画を続ける。Allelopathyの他、Bishop records(東京)、Public Eyesore (USA) 等、英国、欧州の自主レーベルからもアルバム(vinyl, CD, CDR, cassetteで)をリリース。 共演者に、エヴァン・パーカー、バリー・ガイ、竹田賢一、ジョン・ゾーン、フレッド・フリス、豊住芳三郎他。

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