エッセイ「はらへらしのうた」 藤澤輝忠
「ジャスミンの香りふたつ」「子持ち鮎の塩焼き」

text by Terry Fujisawa 藤澤輝忠
口絵：「回転する波」藤澤輝忠作
素材：生糸 カシューうるし

飛鳥山 王子の夜狐 花見客

ジャスミンの香りふたつ

むかし、マダム・ジュジュ、ミス・ジュジュという顔につけるクリームの基礎化粧品の大手、ジュジュ化粧品の研究室にいた。
その頃のこと。
隣部屋の香水調合の調香師さんから差し出された試験紙に染み込ませた香料を嗅いだ。
天然のジャスミンだと教えられた。
とってもいい、香り立つ匂い。
これが私にとってジャスミンの正当な香りのはじまり。
衝撃的ないい香り、いい匂い。
それまで、子供の頃から嗅いでいた安手の石鹼やトイレの匂い消しは化学合成のジャスミンの匂いだった。
だから安手の中華料理店で出されるジャスミン茶もトイレを連想しちゃう始末。
子供の頃の匂いの記憶って大ごと。
「本物のジャスミンはいいな。」
キース・ジャレットとチャーリー・ ヘイデンのCD『ジャスミン』を 初めて聴いたとき、それを思い出した。
ジャケットがいい。 ジャスミンの白い花のように白地に音楽 する黒のドローイング。
四角いメビウスの輪のよう、 ずっと永遠に奏でている感じ。
キース・ジャレットもいいが、 とくにチャーリー・ヘイデンの ベースの音がなんて素敵なんだろう。
1959年、フリージャズの最大の作り手 オーネット・コールマン(アルトサックス) のアルバム『ジャズ、来るべきもの』 にも参加しているなんて。 ファンになってしまうのも 当たり前じゃないか。
この最初の曲＜ロンリー・ウーマン＞を 聴いた時のドキドキ感たるや、 何と言っていいかわからなかった。
めがねをかけている彼の顔、どこまで も優しく、深い知性がうかがえる。
好きだなあ。
その時より、 年たっての演奏。
『ジャスミン』は彼 (1937~2014) が晩年に参加したもの。
でもどこか＜ロンリー・ウーマン＞を感じさせる。
『ジャスミン』を聴きながら本物のジャスミン茶を飲む​​。
おお幸福な瞬間の連続。
なお同時期、同場所 (キース・ジャレッ トの自宅スタジオ) で録音された二人の『ジャスミン』の後編ともいえる『ラスト・ダンス』も耳の奥がゆらゆらする 。
(『ジャスミン』 ECM UCCU-5708)
(『ラスト・ダンス』 ECM UCCE-114)

 

子もち鮎の塩焼き

季節は過ぎたが思い出したことがある。
去年の十月九日、昼頃 渋川駅に降り立 ち、駅近くの食堂で山菜そばを食してバスに乗った。
水沢街道を通って終点は伊香保温泉。
途中の塔の辻停留所で降りた。
そして山道を少し戻り、坂を下ったところがこの日のお目当て。「 ワールド・ジャズ・ミュージアム 」 渋谷毅 (ピアノ) & 仲野麻紀 (アルトサックス) の演奏会場。
ここを目指して両側とも草木が茂ってい る街道を歩いていると道沿いに少しの 空間ができている。 そこでは簡易のブロック石で組み立てた かまどに炭を入れ、子持ちの鮎が尾を上に立て、鉄串に刺され立てて焼かれていた。
「うーむ、うまそうな匂いだ」
釣られて傍の道端にある、古いベンチに座った。
上半身は白い綿の丸首トレーナー、下は濃いグレーのジャージのトレパン。
素足にサンダル履き、日焼けして頬こけた無精ひげ顔の上にイセキ農機の作業帽。
こんな装束のオヤジさんが一人できりもりしていた。
「トイレ使わせて下さい。」
「便所は使えねえな、そこらへんで山に​​向かってオシッコしな。」
びっくりした。すぐ腰を上げて出よう。
その時、焼いてる塩を振った子もち鮎の いい匂いが鼻に「ぷん」と来た。
やっぱり 、食べていこう。
そして食べた。
「わーうめえ」
今日のコンサートは充分、堪能した。
仲野麻紀のアルトサックスが。
その中のエリック・サティの曲が。
特に心に刻まれた。
この時の録音がCD化されている。（『アマドコロ摘んだ春』 Nadja KKJ-9023)
彼女はヨーロッパを中心に世界を股にかけ、色々な国の音楽家とセッションを続けている。
すごいことだと思う。

追っかけて 落下のさくら 口に入れ

初出：月刊文化情報誌「本の街」2023年５月号「はらへらしのうた 38」

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藤澤輝忠　ふじさわ・てるただ
東京生まれ。塗芸家。
一般社団法人 ふるさと未来研究所理事。「モダンアートフェスティバル」主宰。
月刊文化情報誌「本の街」にエッセイ「はらへらしのうた」を連載中。