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特集『ECM: 私の1枚』

上原基章『Masabumi Kikuchi / Black Orpheus』
『菊地雅章/黒いオルフェ〜東京ソロ 2012』

私とプーさんの付き合いは、80年代半ばから晩年までの四半世紀に及んだ。NYのロフトでECMのサウンドやマンフレッド・アイヒャーへの◯◯(各自想像で)を何回も聞かされている。要約すればECMサウンドの特徴とされる「リバーブ感」が本人のお気に召さなかったようだ。それでも2000年代に入ってソロ・ピアノのホーム・レコーディングをアイヒャーに何回か送ってやり取りはしていた(ECMのレコーディング・アーティストだった盟友のポール・モチアンの仲介もあったのだろう)ようで、プーさんもマンフレッドも互いに関心は持ち続けていたのであろう。やがて2012年にポール・モチアンとプーさんのロフトで行われるリハーサルに頻繁に参加していたベースのトマス・モーガンのトリオによるECM初リーダー作『SUNRISE』がリリースされる。そのサウンドはどのトラックもテーマらしきものは存在しない、プーさんのホーム・レコーディングによる即興を3人で奏でるようなスタイルで、静謐で濃密な空間がディスクに凝縮されている。

本人の語るところによればこのアルバム以降もアイヒャーとは音源(主にホーム・レコーディングによるソロ)のやりとりをし続けたが、ECMでの次作はリリースされないまま2015年7月にプーさんは亡くなる。それ以前の2012年にはトマス・モーガン、そして病に苛まれていたプーさんの日常生活をサポートしていたギターのトッド・ニューフェルドとのトリオによるブルーノート東京での公演が実現し、即興への探求がますます深化していく姿をファンに示し、同年10月には上野文化会館小ホールでソロ・リサイタルを行い、その模様が没後の2016年にECM2枚目のリーダー作『黒いオルフェ〜東京ソロ2012』としてリリースされる。晩年に何回も本人から「オレはもうテーマやコードを演奏することには飽きたんだよ」と聞かされたように、アルバムの11トラックの内9トラックはまるで現代音楽を即興で作曲しているようなプレイをしている。しかし昔から弾き馴染んでいたスタンダード曲「黒いオルフェ」と愛娘のアビさんの生誕の時に作曲して何度もレコーディングしている「リトル・アビ」を聴いた時は本当に驚いた。プーさんといえば演奏時の唸り声がすぐ思い浮かぶが、アンコールで演奏された「リトル・アビ」ではメロディーやコードを慈しむように静かに弾き切り、その美しさは筆舌に尽くし難いものだった。プーさんの遺したソロ・パフォーマンスの中でも最高のものだと感じている。ECMカタログの私的ベスト作品という以上に、プーさんの膨大な作品群の中でも指折りの名盤だ。

エピローグ的な話をすると、この翌年の2013年12月にプーさんはNYのスタジオで人生最後のレコーディングを行い『ラスト・ソロ〜花道』(Red Hook) としてリリースされている。そのプロデューサーはECMレーベルで長年アイヒャーの元でプロデューサーを務めたサン・チョンが手掛けたもので、アルバムの最後に収録されているのは「リトル・アビ」だった。それは『黒いオルフェ』以上に静謐なトラックで、プーさんがこの世に遺した最後の音に相応しい品位を醸し出している。後にサン・チョンに<最後のレコーディングに「リトル・アビ」を選んだのはプーさん自身か?>と尋ねたところ、<「リトル・アビ」は彼のセレクトだ>という返答を貰った。『黒いオルフェ』『ラスト・ソロ』の2枚に収録された「リトル・アビ」は、ポール・ブレイのECM作品『OPEN, TO LOVE』の「アイダ・ルピーノ」に匹敵する研ぎ澄まされた美しさを体感できるだろう。ぜひ菊地雅章というピアニストの存在を再確認するためにも聴いてもらいたい。(どちらの日本盤も私がライナーノーツを書かせていただいています)


ECM 2459

1 Tokyo Part I (Masabumi Kikuchi) 05:52
2 Tokyo Part II (Masabumi Kikuchi) 03:57
3 Tokyo Part III (Masabumi Kikuchi) 05:33
4 Tokyo Part IV (Masabumi Kikuchi) 07:27
5 Tokyo Part V (Masabumi Kikuchi) 05:05
6 Black Orpheus (Antônio Maria, Luiz Bonfá) 08:17
7 Tokyo Part VI (Masabumi Kikuchi) 06:38
8 Tokyo Part VII (Masabumi Kikuchi) 07:38
9 Tokyo Part VIII (Masabumi Kikuchi) 06:30
10 Tokyo Part IX (Masabumi Kikuchi) 07:09
11 Little Abi (Masabumi Kikuchi) 06:43

Recorded October 2012, Tokyo Bunka Kaikan Recital Hall
Produced by Manfred Eicher

上原 基章

上原基章 Motoaki Uehara 早稲田大学卒業。元ソニージャズ ・ディレクター/ステージ写真家。

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