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特集『ECM: 私の1枚』

横井一江『Berlin Contemporary Jazz Orchestra』
『ベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ』

1989年5月ベルリン

ベルリン市がアレクサンダー・フォン・シュリッペンバッハ に声をかけ、市のバックアップで彼を音楽監督に結成されたベルリン・コンテンポラリー・ジャズ・オーケストラ (BCJO) の活動がスタートしたのは1988年。旗揚げ公演が西ベルリンの放送局RIASのホールで行われ、続いてニュールンベルグのジャズ・オスト・ヴェスト Jazz Ost West にも出演した。そして、翌1989年5月に再び西ベルリンで単独公演、それに合わせて本盤の録音が行われた。

1989年は時代の変化を肌で感じた年だった。5月にメールス ・ジャズ祭を観に行った私は、その足で西ベルリンに立ち寄った。まだベルリンの壁が存在しており、西ベルリンへ向かう列車は東西の国境を越えるとドアがロックされる。車窓からは線路に沿ってところどころに監視塔のようなものが見えた。とはいえ、時代は大きく動いていて、まさに冷戦構造は崩れようとしていたのである。ソ連ではゴルバチョフ政権下でペレストロイカが進み、5月2日からハンガリーではオーストリアとの国境線に張り巡らされた鉄条網の撤去が始まっていた。それはやがて汎ヨーロッパ・ピクニックに繋がっていく。他方、中国では民主化を求めるデモが広がっており、6月4日に天安門事件が起る。メールスのプレステントでのドイツ人との会話にもそれらの話題がよく出てきたことを覚えている。その年のメールス・ジャズ祭にソ連からセルゲイ・クリョーヒン&ポップ・メハニカが出演していたように、ソ連を始めとする東欧圏の音楽・芸術に少なからぬ関係者の視線は向かいつつあった。と同時に、欧州の先鋭的なジャズ・シーンおいても潮目は変わりつつあり、次に来たるべきもの、サムシング・ニューを求めている空気をメールス で感じたのである。

西ベルリンを訪ねた時、幸運にもジャズ評論家の故副島輝人らとBCJOのリハーサルを見学させてもらうことが出来た。公演は5月25日だったが、リハーサルは5月19日に始まっていて、毎日午前11時から午後6時にかけてRIASで行われており、私たちが訪ねたのは21日だった。方向音痴の私を心配して送ってくれた友人が、道すがらRIASがBCJOのコンサートのスポンサーであると教えてくれた。本盤もまたRIASとECMの共同制作盤である。ちなみに、シェーネベルクにある放送局RIASの正式名称はRundfunk im amerikanischen Sektor、日本語に訳すとアメリカ占領地域放送局だ。放送局の名前からも当時の西ベルリンが置かれていた状況がわかる。1989年11月9日夜ベルリンの壁が崩壊、1990年10月3日にドイツが再統一されたことにより、RIASは1993年12月31日に放送を終了した。RIAS-1の周波数はDeutschlandradioに引き継がれ、私が訪ねた建物ではDeutschlandfunk Kulturの番組制作が行われている。

話を本題に戻そう。ドイツのフリージャズ草創期から演奏活動してきたシュリッペンバッハ が、1966年ベルリン・ジャズ祭でオーケストラのための作品<グローブ・ユニティ>を演奏してセンセーションを起こした ことは夙に知られる。曲名がバンド名になり、グローブ・ユニティ・オーケストラ(GUO)として活動を続け、長年ラージ・アンサンブルでの即興演奏を探究してきた。シュリッペンバッハ は、GUO以外にも自身のトリオや様々な演奏家と共演、ヨーロッパのフリージャズ・シーンを牽引してきた音楽家である。その彼が、作曲作品の演奏に主眼を置くオーケストラであるBCJOを始動させたのだ。BCJOが発足した1988年、ジャズ批評の岡島豊樹によるインタビューでシュリッペンバッハ はこう語っている。

言ってみればGUOは純粋にフリージャズ・オーケストラです。音楽を創造するうえでの新しい探求、発見を指向するオケとして、六〇年代半ばにジャズの変換が起きて以来、それを発展させてきたんですが、その中で、GUOは全くの完全即興音楽を演奏するバンドになったし今後もそのように演っていくでしょう。しかし、それとは別に、新しいやり方を創造する可能性が多分にあって、作・編曲によって非常に面白い方向へ音楽を展開していくこともできるんじゃないかと思う。フリージャズで演った経験で得たものの多くを使うつもりでいますし、言うなれば、フリージャズの経験によってミュージシャンは作曲家として新しい意味や新しい可能性、アイデアを手に入れたんじゃないかな。で、私らがBCJOでやりたいのは、同時代の色々な興味深い、才能に富んだ作曲者のキャラクターによって、GUOとは別の可能性を示すことです。(『ジャズ批評 No. 62』ジャズ批評社  1988)

BCJOでシュリッペンバッハ やコ・リーダーの高瀬アキが目指していたのは、ビッグバンド・ジャズにおける作曲と即興演奏の関係性を再考することだったと言っていい。フリージャズの経験、自身の立ち位置から、今日的ジャズを演奏することは、謂わばジャズの原点を改めて振り返ることでもあったのではないだろうか。楽器編成はオーソドックスだったが、メンバーの顔触れは多岐に亘り、その国籍もドイツだけではなく、東ドイツ(E.L.ペトロフスキー)、オランダ(ミシャ・メンゲルベルク、ヴィレム・ブレゥカー、パウル・ファン・ケメナーデ)、イギリス(ヘンリー・ロウザー)、カナダ(ケニー・ホイーラー、イギリス在住だがパスポートはカナダ)、アメリカ(ベニー・ベイリー、エド・シグペン)、高瀬アキ(日本)とさまざまだった。後にICPオーケストラのメンバーとしても活躍するまだ20代だったトーマス・ヘベラーもいれば、1940年代後半ディジー・ガレスピーやライオネル・ハンプトンのバンドにもいたベニー・ベイリー、オスカー・ピーターソン・トリオのドラマーだったエド・シグペンが居たりと、世代や活躍してきたフィールドも異なる顔ぶれがこの場に集合しているのがなんとなく不思議だった。

GUOとは異なり、BCJOでは作曲家の持ち味が重要になってくる。1989年の公演を行うにあたって、シュリッペンバッハ が作曲を依頼したのは、本盤に録音されているケニー・ホイーラー、ミシャ・メンゲルベルクの他にウイレム・ブレゥカー、カーラ・ブレイ、またシュリッペンバッハ自身の作品もコンサートでは演奏している。私がリハーサルを見に行った日は、ケニー・ホイーラーの曲のおさらいから始まった。彼はとても厳しく、ミスを許さないので前日はとても大変だったという話を聞いた。何度も確かめるように念入りにリハーサルが進行していったため、<Ana>のテーマや展開部分が耳に残っていたのだろう。数年後にリリースされた本盤をCDプレーヤーに乗せたとたんに「あの曲だ!」と記憶が蘇ってきたことを思い出す。その日、新たな譜面を持ってくる筈のウイレム・ブレゥカーはなかなか現れない。彼が難解そうなそれを持ってやってきたのは午後になってからだった。彼もまた厳しく、作品のイメージに到達するまで同じフレーズが繰り返された。指揮するシュリッパンバッハに代わり何回もミュージシャンに指示をしていた。英語とドイツ語が入り乱れて、飛び交っていた。この日はいったい何度「Noch einmal, bitte!」というフレーズを聞いたことか…。

公演の全ては録音されていたが、実際にCDに収録されたのはホイーラーの<Ana>とミシャ・メンゲルベルクの2曲<Salz>、<Reef und Kneebus>のみである。その選曲について、シュリッペンバッハ と高瀬は色々検討した上で、メンゲルベルクの自由な演奏形態、稀有な個性をすごく気に入っていたこと、またホイーラーのビッグバンドの醍醐味である素晴らしいアレンジが光っていたことから、これらの曲を選んだという。ICPオーケストラは別として、メンゲルベルク作品を大編成で演奏している録音は他に知らない。ICPオーケストラとはまた異なるアプローチだが、その作品からウィットに富み、奇想天外な側面もあるメンゲルべルクのキャラクターと同時にジャズへのリスペクトが現れているのが愉しい。無い物ねだりで、この時の公演で演奏された作品全曲を聴きたかった気はするが、コンパクトにまとまっていながらもBCJOの音楽性があまねく伝わってくるので、CDという作品としては寧ろこれでいいのだろう。コンテンポラリーなジャズのビッグバンド作品は数多くあるが、間違いなく本作はその最高作の一つだ。

本稿を書きながら、当時のことを色々思い出していた。訪ねてみると、西ベルリンはアジール(庇護所)のような場所で、不思議と平和で自由な空気があった。謂わば東側世界の中の浮島という地理的条件に置かれた都市だけに、文化政策に力を入れても不思議はない。だいいち、第二次世界大戦前はヨーロッパにおける文化の中心のひとつだった。西ベルリンは1988年の欧州文化首都に選ばれている。ベルリン・フィル以外にもベルリンの名を冠したオーケストラ、しかも先駆的なジャズのそれをという発想が出たのはそのような背景があったからではないだろうか。西と東のベルリンを歩き、街並みを見ながら、この街の歴史や文化、ここで育まれた芸術そして音楽について思いを馳せていた。この時は紆余曲折の末に1996年にやっと実現したBCJO日本公演に関わることになるとはつゆにも思わず、私は旅行者としてただただ楽しんでいたのである。

蛇足になるが、1989年8月に来日したシュリッペンバッハ と高瀬アキは、まだ紀伊国屋書店裏にあった新宿ピットインで日本人ミュージシャンを集めたラージ・アンサンブルでライヴを行っている。この時すでに、シュリッペンバッハ は日本人ミュージシャンが参加するかたちでのBCJOを構想していたのかもしれない。

all photos by Kauze Yokoi


ECM 1409

Berlin Contemporary Jazz Orchestra
Benny Bailey (tp)
Thomas Heberer (tp)
Henry Lowther (tp)
Kenny Wheeler (tp, flh)
Paul van Kemenade (as)
Felix Wahnschaffe (as)
Gerd Dudek (ss, ts cl, fl)
Walter Gauchel (ts)
E. L. Petrowsky (bs)
Willem Breuker (bs)
Henning Berg (tb)
Hermann Breuer (tb)
Hubert Katzenbeier (tb)
Utz Zimmermann (b-tb)
Aki Takase (p)
Günter Lenz (b)
Ed Thigpen (ds)
Guest soloist: Misha Mengelberg (p)
Conductor: Alexander von Schlippenbach

1  Ana (Kenny Wheeler)
2  Salz (Misha Mengelberg)
3  Reef und Kneebus (Misha Mengelberg)

Recorded May 1989, Studio 10, RIAS Berlin
Co-Production RIAS Berlin/ECM

横井一江

横井一江 Kazue Yokoi 北海道帯広市生まれ。音楽専門誌等に執筆、 雑誌・CD等に写真を提供。ドイツ年協賛企画『伯林大都会-交響楽 都市は漂う~東京-ベルリン2005』、横浜開港150周年企画『横浜発-鏡像』(2009年)、A.v.シュリッペンバッハ・トリオ2018年日本ツアー招聘などにも携わる。フェリス女子学院大学音楽学部非常勤講師「音楽情報論」(2002年~2004年)。著書に『アヴァンギャルド・ジャズ―ヨーロッパ・フリーの軌跡』(未知谷)、共著に『音と耳から考える』(アルテスパブリッシング)他。メールス ・フェスティヴァル第50回記。本『(Re) Visiting Moers Festival』(Moers Kultur GmbH, 2021)にも寄稿。The Jazz Journalist Association会員。趣味は料理。当誌「副編集長」。 http://kazueyokoi.exblog.jp/

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