#03 『灰野敬二/わたしだけ?』
text by 剛田武 Takeshi Goda
『橋本孝之 / ASIA』、『川島誠 / Dialogue』、『今井和雄 / the seasons ill』、『ヒカシュー / あんぐり』『Tokyo Flashback P.S.F. 〜Psychedelic Speed Freaks〜』など日本の地下音楽・先端音楽の豊潤さと進化を実感させる作品が数多くリリースされた2017年に於いて個人的なハイライトは、36年前の1981年に初めて産み落とされたこのアルバムのアナログ再発であった。
筆者がこのアルバムを初めて聴いたのは一浪した後1982年に大学へ入学した19歳の時だった。アルバイトを始めた吉祥寺のライヴスペース「ぎゃてい」に飾ってあったこのLPを借りて帰り、真っ黒な写真のジャケットから、レーベル面に何も書かれていない真っ黒なレコードを取り出してプレイヤーに乗せた。がさごそ呻き囁き咽ぶ声が左右に動き回り、時折聴こえるピアノらしき音にドキッとした。単なる歌や音楽ではなく、秘められた“行為(パフォーマンス)”の実況録音の中に聴こえる濃厚な「気配」に惹きこまれた。その夜に黒地に黒文字で書かれた歌詞を蛍光灯の灯りに透かして写経のようにノートに書き写した。カセットテープにダビングしたが、聴きかえすことは余り多くはなかった。決して気軽とは言えないその行為はリスニングというよりチャネリングに近かったかもしれない。当時はピナコテカのオリジナルLPを購入することは難しくはなかったが、筆者にとっては闇の気配が転移したカセットテープで十分だった。
4年後に就職して営業に配属、仲良くなった取引先の担当者にこのカセットテープを聴かせたところ、ヘヴィメタル好きだった彼の音楽観が一変し、インプロユニットを結成し自主制作でLPをリリースしてしまった。筆者が当時やっていたサイケロック・バンドを聴かせると「こんな甘っちょろい音楽をやる意味ありますか!?」と詰問されたほどだった。
そんな記憶が沈殿したまま30年あまりの星霜を経て、忘却の底に眠っていたこのレコードが装丁も改めて再び世の中に登場した訳だが、言葉で「レビュー(評論・批評)」することは、筆者にとっては余りに荷が重い。その代わりにインタビューを通して灰野敬二本人の言葉で綴ることが出来たことは幸運だった。本誌の他に、『レコード・コレクターズ』誌、及び『JAPAN TIMES』紙でも異なる視点からのインタビューが掲載され、謎に包まれたこのアルバムが誕生した経緯や背景がかなり明らかになった。しかしながら、此処に刻まれた音楽と言葉が創り出す「気配」の正体は未だもって「謎」のままである。このアルバムは時代や国境や社会情勢に関係なく「人間存在」に対する「?」を提示しているのである。そして全人類の内、筆者を含むある一定のパーセンテージ、それがたとえ0.000000013%(73億分の1)であれ、「?」を愛する者が存在する限り、常に「この1枚」と呼ばれ続けるに違いない。
(剛田武 2017年12月19日記)