#71 (Archive: Part 2) – PAUL BLEY (pianist)
ポール・ブレイ
Interviewed by Ken Weiss (JAZZ IMPROV MAGAZINE) & Nobu Stowe
Photo by Hirohiko Kamiyama
Questions by Ken Weiss, Pachi Tapiz (TOMA JAZZ), Kenny Inaoka & Nobu Stowe
@ International House, University of Pennsylvania (Philadelphia)
2008年10月25日
取材協力:Mark Christman (Ars Nova Workshop)/ David Good
♪ ジャコとパットの処女録音作品『ジャコ』について
KW: IAIレコードの話に戻りますが、ジャコ・パストリウスbとパット・メセニーgの処女録音作品『ジャコ』(1974年度作品)でずいぶん稼がれたと。たしか「そのアルバムが売れすぎたので、以降エレクトリック楽器をフィーチァーしたレコードを制作しなかった」と聞いています。
PB: 皆が愛してくれているのなら、仕事をちゃんとやっているという証拠さ。
KW: もし『ジャコ』が(セールス的?)失敗作だったとしたら、もっとエレクトリック楽器をフィーチァーしたレコードを制作したということですか?
PB: そっちの方向には、進まなかったと思うよ。私の辞書に「失敗」という言葉は無い。(『ジャコ』が音楽的失敗作だったとしたら?)もう一度録音しなおしたよ。「インエヴィタブル」(避けられない)という単語を知っているかな?
カーラ(ブレイ)は、まるでバッハの様にジャズを作曲するんだ。フレーズひとつを決めるのに、107回も異なるフレーズを書き上げるんだ。彼女に「何故このフレーズなのか?」と問うと、「107のフレーズから、一番良いモノを選んだから」という答えが返ってくる。誰もそんなことはしないしできないから、彼女の勝ちさ。
スティーヴ(スワロー)に聞けば分かることだが、カーラは、起きるとすぐに小さな部屋に籠もり作曲するんだ。毎日、毎日、ずっとだよ。そんな状況を理解すれば、彼女の作曲にケチをつけることなんて不可能だよ。君が考え付く代わりのフレーズなど、彼女はとっくの昔に思いつきトライしているだろう。
「成功できる」人は “天才”だよ。成功の秘訣は、失敗の熟知にある。最初から成功を目指すのではなく、失敗を目指した方が手っ取り早い。これが、私の提案だよ。
KW: 経済的に成功することの弊害とは?
PB: (経済的成功を)経験したら、教えてあげるよ。
KW: パストリウスのファースト録音を実現させたのは、大変なスクープだと思います。ジャコ“発見”の経緯は?
PB: ジャコを発見することは、簡単だったよ。このアルバムを録音した時代、まだ誰も電気楽器を使ったフリージャズを実行していなかった。エレクトリックを使った音楽といえば、ロック=8thノート=コード進行他がつねで、“フリー”な要素は何も無かった。
NS: 『ジャコ』の前に『シンセサイザー・ショー』(MILESTONE:1970年度作品)や『スコルピオ』(MILESTONE:1972年度作品)といった、電気楽器を使ったフリージャズ系のアルバムを制作していますが...。(註1)
註1:ポールは、これらのアルバムで、アープ・シンセサイザーやフェンダー・ローズといった電気楽器を使用。
PB: そのことは、脇に置いておいてくれ。自分自身の話と食い違うのは、嫌いだからな。(笑い)重要なのは、アコースティック楽器で演っていたレパートリーをエレクトリック・ギターとベースで演じるアイディアということさ。アコースティック楽器用に書いた楽譜を渡し、表記通り ~ 何も脚色・リハーモナイズせず~演奏してくれと指示した。エレクトリック楽器は、サステインがアコースティック楽器と比較にならないほど伸びる。だから、ジャコが「バー!」と発した音は、コーヒー・ブレイクから返ってきたあとも「ガー!」と鳴っている。簡単だったよ。半分の演奏で、通常の倍以上の音楽が制作できたんだからな。
KW: パット・メセニー参加の経緯は?当初の予定では無かったと聞いていますが。
PB: そうだよ。パットはとんでもない“ゴリラ”で、私がマネージャーとして雇った男=ロス・トラウトから「少しの間だけ」客演する許可を取り付けたんだ。じつを言うと「リハーサルだけ」と言う約束だったんだ。でも、演奏が大変エキサイティングだったから、パットはステージを降りるのを渋り、ジャコもそのまま演奏し続けていたから、ふたりを引き離すのは至難の業だった。
まあ、ニューヨークでは、ステージを降りたとたん他の誰かに自分のポジションを取られるのがつねだったから、パットの行動に理解を覚えることはできるが...。
NS: 音楽に対するプロデューサーとしての心構えは?
PB: “プロデューサー”という職種は存在しないよ。ミュージシャンじゃない人間が、仕事を作るためにでっち上げた作り話さ。私が、“プロデューサー”に求めることはただひとつ「部屋から出て行ってくれ」ということさ。
ナット・ヘントフが、“良いプロデューサー”の好例さ。(註2)日曜版の新聞を持ってスタジオに現れ、レコーディングが終わるまでに読み上げる。彼の予約する録音時間は、決まって“3時間半”なんだ。彼が、日曜版の新聞を読むのにかかる時間さ。
註2:ナット・ヘントフ(1925- )は、ボストン出身の著名なジャズ批評家兼ジャーナリスト。1961年から1年間だけNYに存在したCANDIDレーベルのA&Rディレクターとして制作活動に従事、チャーリー・ミンガスやセシル・テイラー、マックス・ローチなどを手がけた。
♪ 音楽的空腹感を達成することが、充実した想像力に結び付く
KW: 常々「練習をするな!」と説かれています。ポールさんのホームページに「練習は、完璧を生む。しかし、不完全の方が良い」とモットーが掲示されています。本当に 練習無しで、演奏に必要な最低限のテックニックを保持できるのですか?
PB: グータラ男の夢だろう。努力無しでできるなんて!最高さ。
KW: 生徒に「練習するな!」と 教えることは、大変だったのでは?
PB: 音楽学校にさんざん憎まれたよ。「こんな男、早くクビにしろ!自分たちの存在理由が無くなる!」ってね。音楽は、植物に似ている。植物を育てるのに、練習は必要無いだろう?勝手に種から芽が出て、成長し花を咲かせてくれる。「手塩にかけて育てる」ことは勝手だが、必要ないことさ。
KW: そうは仰っても、必要最低限のテクニック収得は音楽を表現するにあたり不可欠です。どの程度まで練習すべきですか?
PB: 11歳になるまで練習すれば、十分さ。
NS: 何歳で練習を開始すべきですか?
PB: 「早過ぎる」ことはあり得ないが、「遅過ぎる」ことはあり得る。
NS: ポールさんの 即興音楽に対するアプローチとは?
PB: できるだけ“アプローチ”しない。もしできるなら “アプローチ”を避ける。
NS: タビュラ・ラサ(心的白紙状態)からスタートするということですか?
PB: 違う。 そんなことは不可能だ。心を100%無にすることなんてできない相談さ。車で家に帰る途中、ラジオなどから流れてくる音楽が耳に入ってくるだろう。望む・望まないに限らず。課題は、音楽を収得することにあらず、音楽を捨て去ることにある。問題は、世の中で溢れかえっている音楽による“汚染”さ。課題は、できる限り音楽の収得を控え、心を無に近づけることにある。そうすることによって音楽に対する“食欲”が増大するだろう。これが、ポイントさ。音楽的空腹感を達成することが、音楽的食欲を高め、充実した想像力に結び付くんだ。
NS: オーネット・コールマンasから受けた影響とは?(註3)
註3:ポールは、オーネットのグループに1950年台の終わりに参加。チャールス・ミンガスbとマックス・ローチdsがお膳立てしたデビュー作『イントロデューシング=ポール・ブレイ』(DEBUT:1953年度作品)でビバップ・ピアニストとして出発したポールが “フリー”へ傾倒して行くきっかけになった。
PB: 有名人をプロモートしない主義なんだ。オーネットは、十分有名だ。助ける必要は無い。
NS: ジミー・ジェフリーreedsについては? (註4)
註4:ポールは、新生ジェフリー・トリオの1962年度作品『フリー・フォール』(VERVE)にスティーヴ・スワローと参加。以後、このトリオで1990年代まで断続的に活動。ECMから70年代に入ってから発掘された『1961』、『ライフ・オブ・ア・トリオ』(OWL:1989年度作品)やアルツハイマー病に冒され引退を余儀なくされたジェフリーの最後期を捉えた『カンヴァーセイションズ・ウィズ・グース』(SOUL NOTE:1996年度作品)等の作品を発表
PB: 彼は、紳士であり学者だった。私に一番影響を与えたミュージシャンだ。マンフレッド(アイヒャー)は「もっとコード(和音)を使え!」とよく録音中に指やを出すんだ。ジミーは正反対で、音楽をコードから解き放とうとした。コードは、この世に氾濫しすぎている。猫や杓子と同じ様に「パレードに参加したい」なら話は別だが、「コードは音楽を何処にも導かない」という事実を知っていた方が良い。コードを使った音楽は、もうやり尽くされているからさ。
ジミーは “自発的メロディー”による音楽の創造に、音楽人生をかけた。同時的に弾かれたメロディーが“コード”として機能することがあるかもしれない。しかし、それは作為的に作られたコードではなく、無作為的=自発的に鳴るコードだ。 “自由なコード”だ。音楽の核心は、音楽理論で構築されたコード(和音進行)ではなく、メロディーにこそある。美しいメロディーだけが、表面的な音楽スタイルを飛び越え、音楽の核心に迫ることができる。
KW: ジェフリーが亡くなったのは最近の話ですが、彼の才能に相応しい評価を得ることができていると思いますか?
PB: 過小評価されているとしか言えないね。新しい即興方法を提示する一方で、革新的クラリネット奏法を開拓した。二重の天才だね!
JI: 自身の著作本『タイム・ウィル・テル』(2003年度作品:Berkeley Hills Books出版)で次に起こる“ビッグ”なことを先取りするために「5年先を考える」ことの重要性を説かれています。
PB: “ジャンプ・スタート”することの有意義性を説いたまでさ。次に“来るべきもの”を的確に予想し、他の人より先に自家薬籠中にするんだ。“来るべきもの” が到来した時“エキスパート”として皆から注目されるはずだ。良い予言者であることは、プロであるために必要な才能さ。選択することの問題は、決定を正確にする力にある。成功するか否かは、AとBの“選択”にかかっている。しかし、“失敗”を“成功”に昇華する術を身に付ければ、AとBどちらの“選択”でも“成功”に結びつく。私が実行しようとしていることは、まさにこのことさ。
KW: それで、5年後に起こる“来るべきもの”とは?
KW: それで、5年後に起こる“来るべきもの”とは?
PB: タダで答えを聞き出そうなんて、虫が良いな!
NS: 音楽ダウンロードについてのお考えは?
PB: レコードの時代でも“ハイファイ”という言葉が流行ったな。何て、ワックスで造られた円盤を針で擦って音を出す装置に似つかわしくない言葉だ!この意味が解れば、音楽ダウンロードについてのウソも解るだろう。音楽の演奏は、ダウンロードもアップロードも関係無い。音楽を創造するか否かだ!
♪ ハンコックとマイルス、ロリンズ入りを争う...
KW: ハービー・ハンコックpと一緒にマイルス・デイヴィスtpとソニー・ロリンズtsのダブル・オーディションを受けたと聞いています。マイルスとロリンズ共に、ポールさんとハービー両方とも気に入り、選択を任されたと。その時、ハービーがポールさんに最初の選択権を譲ったと聞いていますが、どうしてですか?(註5)
註5:ポールは、ロリンズのグループ加入を希望。後述する『ソニー・ミーツ・ホーク』(1963年度作品:RCA)を一緒に録音している。
PB: 本当の話さ。ハービーは、「マイルスとソニー、入りたいグループを最初に選んで良いよ」と言ってくれた。何て“紳士”なんだろう!私は、そんなことを絶対言わない。そこまで紳士的じゃないからね。ハービーは、本当の紳士さ。それが、彼の人気の秘密さ。このことについては、ハービーに及びもつかないよ。
KW: ハービーの真意を知りたいのです。“ナイス”だけということは無いと思うのですが...。
PB: “ナイス”だなんて、誰が言ったんだい?“ナイス”は汚い言葉だ。
NS: どこかで、マイルスがハービーの方を気に入ったと読んだのですが...。
PB: それは、まったくの作り話だ!長い間、マイルスの悪口を言いまくって来たんだ。たとえば「フレディー・ハバードtpやクリフォード・ブラウンtpに比べれば、マイルスなんて大したことない!」とかね。マイルスが、チャーリー・パーカーのバンドに加入した経緯は、敬意に値しない話さ。バードは、たまたまアパートに一緒に住んでいたマイルスを“ギャラを独り占め”するために加入させたに過ぎない。それが、“偉大”なマイルスの“平凡”なスタートさ。
KW: マイルスよりロリンズを選んだことについて、後悔していますか?
PB: していないよ。私の唯一の興味は「昨日より良い演奏をする」ということだけだ。これが、私のしてきたすべての“チョイス(選択)”の土台さ。「学ぶことがあるか、無いか」だ。ソニーから、マイルスより多くのことを、学ぶことができると感じたから、彼のグループを選んだんだ。ソニーは、当時、興味深い“転換”をなそうと努力していた。彼は、作曲された曲を演奏することについて、他の誰よりも秀でていたが “フリー”なセッティングにおいては、未熟だった。ドン・チェリーtpとの共演も“自分自身の精進”という意味で望んだことだろう。私との共演もそうだ。
誰も信じてくれないのだが、ソニーは本当に“悪魔的”だ!ソニーとは、約1年、一緒に演奏した。最後の3ヶ月間は、日本へ公演しに行った。最初の9ヶ月、ソニーは“フリー”な演奏を行わなかった。皆、彼には(フリーを演奏することは)「できないのだろう」と思っていたが、私は、彼が「できないフリをしている」と疑っていた。「ウソをついている」とね。私の考えが、正解だったよ。
NS: もし、マイルスのグループに加入していたとしたら、“モード・ジャズ”中心に演奏していたと思いますか?
PB: マイルスに提供するモノを、何も持ち合わせていなかった。歴史は、マイルスの音楽に「ハービーの方が私より数段適任者だった」という事実を証明したよ。いま考えてみても、私にとって、マイルス=グループ参加の意味は薄い。しかし、キャリアを考えれば、惜しいことをしたな。一度でもマイルのグループに在籍すれば「一生涯仕事に困らない」ということを、オーディションの時、知らなかったからな。
しかし、音楽演奏の意味はそんなことに無い。(音楽の)仕事を取る理由は、その仕事が自分の音楽的向上に役立つかどうかだけだ。良い音楽を演奏すれば、ひとりでに次の仕事が舞い込んでくる。
NS: ポールさんの在籍時にロリンズは、コールマン・ホーキンスと『ソニー・ミーツ・ホーク』というアルバムを録音しました。彼らの関係は?
PB: ひとこと“金銭的”だったよ。一方が5万ドル貰い、もう一方が10万ドル貰うという事実があったからね。最初、レコード会社(RCA)は、両ミュージシャンに5万ドルずつ支払うことを伝えてきた。それを聞いたソニーが「ホーキンスが5万ドル貰らうなら、10万ドルよこせ」と催促したんだ。まあ、ソニーの方がホーキンスより2倍良く演奏したから、的確なギャラだったと言えるだろう。
KW: ポール・ブレイのギャラは?
PB: 十分以上貰ったと言っておこう。
NS: 色々なミュージシャンが、このアルバムに収録された<オール・ザ・シングス・ユー・アー>におけるポールさんのソロの素晴らしさについて言及しています。
PB: 「 いかにしてチューン(曲)を演奏すべきか?」との問いに、まだ誰も答えることができないでいる。当時、たくさんのミュージシャンが、フリーで演奏することは、スタンダードを演奏することより“崇高”だと感じていた。しかし、スタンダードを演奏することは、簡単なことじゃない。
スタンダードを演奏する時、自発的音楽を生むためには、曲のフォームを熟知し尚かつ自分をそのフォームより解き放たなければならない。ベース奏者が演奏の基本/土台を担うように、スタンダード(におけるフォームを)演奏の基本/土台として感じられるレベルまで到達しなければならない。フォームのせいで、自由度は限られる。しかし、(フォームの)制約が自由を生むんだ。制約の先に、真の自由が開けるんだ。
♪ 富樫雅彦のドラム奏法は天才的だった!
KW: 音楽家として50年以上活動してこられ、100枚以上のアルバムを吹き込んでいます...。
PB: そんなことは真っ赤なウソだ!(その事実を)秘密にして置こうと努力しているのに, 困るよ!私ほど、世に不当に認められず、録音チャンスに恵まれていないミュージシャンは、いない!!
KW: 大変な“キャリア”を達成し遂げられたと思いますが...。
PB: “クィアー”を達成したと言ったかね?(註6)
註6:QUEER~人と違うこと、同性愛の隠語
KW: そんな単語、使っていません!言葉使いに気をつけるよう、インタヴューの最初にポールさんから教わりましたから。しかし、有名ジャズ誌などからは、過小評価されている感もありますね...。
PB: それが成功の秘訣さ。あまり早く有名になり過ぎると、飽きられるのも早い。どこかのジャズ誌が3年ほど前、私が“死んだ”と報じたのを知っているかな?
KW: 自分が死んだ記事を読んだ時の感想は?
PB: (何かを言おうとして)うーん...(笑い)そのフレーズを前に使ったことは無いな。
KW: ご自身についての世間評価については?ポールさんはもっと高く評価されて然るべきと感じているのですが...。ダウンビート誌の最優秀ピアニスト・ポールで本年度の12位に選出されていますが。
PB: 本当かい?知らなかったな。その号持っているかな?
KW: 持っています。
PB: “持っていた”ということだろう
KW: OK。ポールさんの過小評価の原因の一部分が解った気がします...。
PB: 過小評価が意図的であれば、問題じゃないよ。“過小評価されているアーティスト”として活動することは、メリットが大きい。“実力に見合わず評価が低い”ということは、批評家や聴衆のせいで、自分のせいじゃないからな。
KW: そんなことを仰っていますが...
PB: 違う、違う、違う、必要なお金は、ちゃんと儲けさせてもらっているよ。レコードもだ。好きな共演者にも恵まれて、自分の欲しいものは、すべて満たされている。不満を言う余地など、どこにあるものか?
KW: ポールさんのほとんどのアルバムは、外国のレーベルからリリースされていて、アメリカ国内では、手に入りにくいという状況があります。
PB: ギャラを貰って録音をしたレコードが手に入りにくい状況は、良いことだよ。願ってもないことさ!
覚えておいて貰いたいのは、私が“レコードを売る商売”ではなく“レコードを作る商売”をしているということだ。もっとたくさんレコードを作るためには、作ったレコードが“押入れにしまわれている”方が、都合が良い。完璧だよ!金を儲けるために、レコードを作るテクニックを学んだんだ。結果を見れば、この目標を達成したと言えるだろう。レコードは“食べるために売るモノ”じゃないよ。硬くて食べづらいからな。
KW: このインタヴューのために、他のミュージシャンとポールさんのことを話す機会を得ました。たとえば、マッコイ・タイナーpです。
PB: マッコイか。マッコイにピアノ・トリオでレコードを作るよう進言したのは、私だ。トリオの方が、マッコイが当時入れ込んでいたクァルテット以上の編成より、自分のギャラが増えるからな。私の意見を聞き入れ、マッコイはトリオ作品を多数制作してきているだろう。ピアニストは、ホーン・プレイヤーなんか必要ないんだ。
KW: 2週間前、タイナーと話す機会がありました。彼のコンサート終了後だったのですが、あまり機嫌が良くありませんでした。しかし、ポールさんのことを話し出したら、急に機嫌が好くなりました。
PB: マッコイ・タイナーについて、ひとつ話しをしよう。ゲストでジョン・コルトレーンtsのギグに参加したことがある。誰かが「コルトレーンを立て直すために、ポール・ブレイを呼ぼう」と提案したからだ。私は、ソニー・ロリンズ“再建”の手助けをしたように「コルトレーンに何を提供すべきか、答えをすべて知っている」と自負していた。
そのギグに出かけて見ると、マッコイは力の限り4thノート中心でピアノを叩いていた。ドラマーはドラマーで、いつものパワフルなプレイでコルトレーンその他を鼓舞していた。この状況は、私がマッコイに交代し、ピアノに座ったあとも変わらなかった。自分自身にこう問いを投げかけたね「これじゃまるで、マッコイの代打じゃないか!自分のオリジナリティーや貢献する理由はどこに行った?」とね。コルトレーンたちにしてやられたよ。私のピアノが入り込む余地などどこにも無かった。
NS: キース・ジャレットpにインタヴューした時、彼も、ポールさんのことを進んで話してくれました。(註7)
註7:
http://archive.jazztokyo.org/interview/v60/v60.html
http://archive.jazztokyo.org/interview/v61/v61.html
PB: キースの話しは、無しだ。有名人をプロモートしない主義と言っただろう。
KW: 31歳の若手サックス奏者、ミグエル・ゼノンについてどう思われます? 彼は、最近マッカーサー財団から“ジーニアス基金”を受け取りました。(註8)
註8:ジャズ・ミュージシャンでは、他にセシル・テイラー、アンソニー・ブラクストン、ケン・ヴァンダーマーク等が受賞している。br />br /> PB: それは、悪いサインだ。コンテストに勝ちだすと、あとが続かなくなる。コンテストなんか勝つものじゃない。飽きられるスピードが速まるだけだ。
KW: ポールさんは、この基金の候補者として最適だど思うのですが。
PB: ひどく扱いにくい候補者になるだろう。
JI: 50万ドルも貰えるのですよ?
PB: 何だって?(賞金の事)最初に言ってもらわないと困るよ。それなら、話しは別だ!さっきのコメントを撤回させてもらうよ。(笑い)
KW: レコーディング中、ずっとタクシーを待たせておくと聞いているのですが。本当ですか?
PB: 本当さ。タクシーを待たせておけば良い。最後の音が消え次第、スタジオから出るんだ。レコード会社は、短い録音時間を好む。たとえ6時間スタジオが予約してあったとしても、1時間でレコーディングが終われば、彼らは大喜びさ。本当のことを言えば、1時間のレコーディングの方が、6時間のそれより、簡単なんだ。こう話しただろう?「正解のためじゃない、間違えるために音楽を演奏するんだ」とね。私は、それをマスターしたから、1時間で録音を終えるなんて、簡単なことさ。
NS: ポールさんが、日本で共演した富樫雅彦dsが去年(2007年8月)亡くなられました。(註9)
PB: それは、本当かい。大変残念なことだ。
註9:ポールと富樫雅彦は、本誌稲岡編集長のプロデュースで『エコー』(SONY)というデュオ作品を1999年に吹き込んでいる。
NS: 富樫さんについてコメントは?
PB: 彼との共演はすごく印象に残っているよ。彼のドラム奏法は“天才的”だったよ。私が繰り出すフレーズに絡みつくように“タタ、タタッタ”って応答するんだ。他に聞いたことのない個性だ。そのせいで、最初惑わされたが、一度慣れてしまったら、インスピーレーションを大いにかき立ててくれたよ。訃報は、本当に残念だ。
KW: ポール・ブレイの未来は?
PB: 私の年齢まで来れば、毎日がギフトさ。