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インプロヴァイザーの立脚地No. 297

インプロヴァイザーの立脚地 vol.3 外山明

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2022年12月18日(土) 新宿にて

ドラマー・パーカッショニストの外山明は形式にまったくとらわれないプレイを行い、ポップスやジャズだけでなくフリー・インプロヴィゼーションのライヴも行っている。だが、外山自身の演奏に対する考えに照らすならば、この説明は本質的なものではない。仮に外部からフリー・インプロヴィゼーションを演っているように見えたとしても、外山にはそのつもりがないからだ。

自身の模索

外山は21歳のときに宮崎から上京した。幼少期にはエレクトーンやベースを弾いてはいたが、とくに正式な音楽教育を受けたわけではない。もとより物心が付いたころからリズムというものが好きだった。演奏活動をやってもいたが、それはジャズではなく、ロックに近いものだった。そんなことよりも、「ただ、演りたかった」。

上京して数年間、ヤマハの渋谷店に入り浸っていた。同じビルのLMセンター(LM=軽音)には十以上のスタジオがあったが、おカネがなくてロビーで練習していたところ、「うるさいから中でやっていいよ」と無料で入れてくれた。それで24歳くらいまでは「練習しまくった」。そのときヤマハ主催のコンクールに宮崎出身の仲間たちと一緒に出たら、優勝してしまった。それでヤマハとエンドース契約を結んだ。

その頃はクリニックがブームでもあって、よくアメリカからドラマーが来日していた。ヤマハ講師のマーティン・ウィルエッバー(松岡直也のバンドにも在籍)が、デイヴ・ウェックルやヴィニー・カリウタが来るよと教えてくれて、外山もクリニックに参加した。外山は十代の頃フランク・ザッパが好きだったし、ザッパのもとでドラマーを務めたカリウタとはとくに接点を多く持つ存在となった。スティックをそれぞれ右手と左手に持って叩き合ったり、いろいろな話をしたり。エンドース契約をしている人たちとの交流は、すぐれた技術をみる良い機会になった。

二十代半ばには、武蔵野音楽学院に高柳昌行のレクチャーを聴きにいった。教材は評論家ヨアヒム・E・ベーレントの『ジャズ』。受講者全員に朗読させるのがユニークであり、高柳によれば、黙読とは異なるプロセスなのだった。それに対して高柳が文章のあちこちにチェックを入れ、そこから話を展開させていった。「自分で考えること」とはなにか、外山にとって大きなヒントとなった。

二十代後半にもなると、松岡直也、坂田明、渡辺貞夫、ポール・ジャクソン、日野皓正など、仕事が増えてきた。そんな頃、古澤良治郎の演奏を観た。「すごく下手」と思いつつも「俺には絶対にない何かがある」とショックを受けた。それまで、「上手ければ良い」と思い込んでいたことに気づかされたわけである。古澤本人はきっと狙っていないのになにかがおもしろく、意思が演奏とともに突っ走っており、「ずっこけるみたいなところ」が気持ちよかった。出てくる雰囲気も良いなあと思った。音楽とはテクではなく人なのだった。

外山はとにかく古澤と話をしたくて、秋葉原のホットミュージックスクールを訪ねた(現在、外山は講師を務めている)。古澤のほうは「俺、お前が来ると緊張するんだよな」と話していたという。古澤とはたくさん大事な話をして、価値観などいろいろな確認をすることができた。だから、外山にとって古澤はドラミングの技術だけではない師である。

演奏と道具

外山の使うドラムセットは一見シンプルだ。バスドラム、スネア、タムが2つ、シンバルはハイハット、ライド、クラッシュの3つ。ただ、ユニークな点はシンバルがすべて顔よりかなり低いことである。外山曰く「だんだん低くなってきてそろそろ着陸する勢い」(笑)。以前にシンバルで自分を囲って演ったとき、まるでドラムの部屋に閉じ込もって壁越しにメンバーを見る感覚だった。低いと「見晴らしが良い」。

見直しの対象となる常識は配置だけではない。20年以上前に外山が出演した初心者向け教則ヴィデオ(*1)において、かれは「ドラム以外の楽器になったつもりで演ってみれば、他の人がやりたいことも想像できるんじゃないか」と話している。その話を外山に向けてみたところ、「ドラムはこういうものでしょ」という決めつけから生まれる音楽と、「この楽器はどうやって使えばいいんだろう」という模索から生まれる音楽とは違うはずだと答えた。本来は道具としての楽しさからはじまるはずだ、と。そして、習って演るのではなく、生きている以上自分の中に必ずあるものを出すべきだ、と。

フリー・インプロヴィゼーションとは

だから、外山自身は「ジャズ」や「インプロ」など既成のカテゴリーを冠してそれを「演っている」とは言えないと断言する。それよりも大事なのは「自分があらためて何かをする」こと。外山がこのことを表現することばは「衝動」だ。「ドラムを演りたい」、「気持ちが良い」という、音に対する単純な気持ちである。

実際、外山の活動領域は広いが、自分自身のスタンスを変えることはしていない。たとえば、UAとのレコーディングでは「予習」せずに臨み、「もうずっと楽しい。気持ち良くて、楽しくて……うーん……それだけ(笑)」というありようだった(*2)。松風鉱一カルテットに外山が参加したとき、松風は外山について「最初はすごく演りにくくて、ちょっとカルチャーショックだった」という。だから「悔しくて続けた」ことが、いまの松風鉱一カルテットに欠かせない音と化している(*3)。

フリー・インプロヴィゼーションのライヴとみなされそうな演奏機会でも同じだ。譜面があってもなくてもその人の音が出るし、曲はあくまでも素材でしかない。良いバランスで全体がひとつの形になるようでありたい。

アフリカにはこの30年間で10回以上足を運んだ。ドラムの道具性を掘り下げるうちに、視線がルーツを遡ってゆき、アフリカに辿り着いたのだ。ジャズの発祥地とされるニューオーリンズはもともとフランス植民地であり、ギニアなどフランス領アフリカから奴隷たちが連れてこられた場所でもある。音楽もまた人とともにやってきたわけである。

現地では、貧困の中で道具がなんであれ素晴らしい音楽を作り出すところを見てきた。そして、かつてアフリカとの間に血と文化の道が暴力的に開かれていたアメリカでは、黒人が抑圧・差別されつつ、音を出している時間に自由を得て、音の中の広い世界を楽しんできた歴史がある。それがたまたま「ジャズ」と呼ばれるに至ったことを考えれば、まるでレシピのように「ジャズ」を扱うありように対して「そんなんじゃない」と外山は話す。

共演しておもしろい人は、同世代にはたくさんいる。大事なのはタイミング、音色、柔らかさ、機転、ユーモア。自分の衝動が音を通じて見えてくる人、そして全体をひとつにする人が好きだという。若い人には最近なかなか会わないとしつつも「本人がそれと自覚していない人とか、おもしろいんだろうね」と言うのが外山らしいところである。

(文中敬称略)

(*1)外山明『初めて挑戦 ゴク楽ドラム』(VHS、アトス・インターナショナル、1999年)
(*2)『リズム&ドラム・マガジン』2004年6月号(リットーミュージック)
(*3)「Interview #247 松風鉱一」(『JazzTokyo』No. 290、2022年)

ディスク紹介

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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