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インプロヴァイザーの立脚地No. 299

インプロヴァイザーの立脚地 vol.5 秋山徹次

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2023年1月29日(日) 下北沢にて

ギタリスト・秋山徹次は独特極まりないスタイルを持っているようでいて、その一方でスタイルなるものとは対極にいるようにも思える。かれの演奏を予めイメージすることは困難であり、まさにそのことが秋山徹次という個性を特徴づけているようだ。

即興演奏を始めた

1964年、東京生まれ。13歳のときにエレキギターを買い、あるきっかけで16歳のときに即興演奏を始めた。そのあと1981年にミルフォード・グレイヴス(パーカッション)、田中泯(ダンス)、デレク・ベイリー(ギター)からなるMMD計画やフレッド・フリス(ギター)の来日公演を観に行ったときも、まだ高校生だった。そのころに観たグンジョーガクレヨンや白石民夫(サックス)も印象に残っているという。

1986年にシンガーソングライターの倉地久美夫と公民館などで演奏していたこともあったが、人前での即興を始めたのは翌87年夏、トリオとしてマダール(Madhar)を結成したときのことだ。長沼大介(ドラムス)は高校の同級生で、在学中はロックの話くらいしかしたことがなかったが、あらためて即興演奏をゼロから演ろうということになった。そして長沼が進学先の東京都立大学(旧)で野田行男(ベース)を誘った。かれらは、都立大の自治会館の下駄箱前におけるセッションから活動を開始した。

意識したのはフリージャズ・レーベルのESPからレコードを出していたゴッズ(The Godz)であり(*1)、ジャンク的でもロック的でもあった。はじめはアコースティックギターを「カチャカチャ」演り、声も出していた。

マダールでの演奏は、フリーに演奏するとはどういうことかを追求したものであり、たとえばフリスら外来音楽の影響などではなかった。それまでロックを聴いていたことからすれば、たいへんな跳躍である。かれらは毎週スタジオに入って演奏し(*2)、カセットのアルバムを4本作った。仙川のGOSPELや高円寺のShowBoat(93年にGOSPELが移転してできた)でも演奏した。そして96年か97年頃に自然解散した。

即興ギタリストという人種

宇波拓(ギター)、佳村萠(歌)と組んでかなり難しい譜面に基づいた曲を演ったりもするホンタテドリのような例外は別として、秋山のほとんどの演奏は即興である。

ギターの杉本拓とは1989年頃に知り合った。経堂の近所のコンビニに買い物に行ったところ、ニコ(ヴェルヴェット・アンダーグラウンドでの活動で知られるシンガーソングライター)の音楽が流れていた。それをかけていた店員が杉本だった。その後、マダールの最初のカセット作品を渡しに行った先で流れて呑んでいたところ、そこにも杉本がいた。秋山はコンビニに通うようになった。そして、93年にはギターデュオAkiyama-Sugimotoを結成することになる(杉本は当時チェロも弾いていた)(*3)。2021年に故・高木元輝(サックス)の発掘音源による5枚組CD『Love Dance ~ Solo Live at Galerie de Cafe 伝 Tokyo 1987-1997』がリリースされたとき、97年の音源に杉本拓の名前を見つけてその組み合わせを意外に思った者も多かっただろう。ギャラリー伝もまた経堂にあり、秋山や杉本も立ち寄ったり演奏したりする場だったのだ。

松岡隆史(微分音エレクトリックベース、ピアノなど)とは、マダールのライヴを観に来てくれたことで縁ができた。Akiyama-Sugimotoに松岡を加えた形で、ギャラリー伝において演奏したり、松岡が灰野敬二(声、民族楽器等)と組んでいたドローンのようなユニット滲有無(Nijiumu)に秋山も参加したり、と。

ギターを使うインプロヴァイザーの先達には、たとえば先述のデレク・ベイリーやフレッド・フリスがいた。だが、秋山はかれらのことを意識してはいたが、直接影響を受けたわけでも、ましてやフォローしたわけでもない。キース・ロウも、ユージン・チャドボーンも、ヘンリー・カイザーも、高柳昌行も、あるいは今井和雄や裸のラリーズの水谷孝も気になって聴いていたが、秋山自身とは異なる存在に過ぎなかった。大上流一や増渕顕史ら後の世代のギタリストからは連絡が来て手合わせしているが、やはり即興ギタリストというひとことで括るわけにはいかない。

共演するインプロヴァイザーたち

1995年と96年にAkiyama-Sugimotoでニューヨークに渡った。エヴァン・ギャラガー(キーボード)の家に泊めてもらい、ニッティング・ファクトリーが移転した跡地にあったノット・ルームなどで演奏した。当時のニューヨークはジョン・ゾーン(サックス)らのダウンタウン系がもてはやされていたが、秋山はあのサウンドに馴染めなかった。

それよりは、たとえばボルビトマグースのほうが好きだった。サックスのジム・ソウターとドン・ディートリッヒ、ギターのドナルド・ミラーを中心とする爆音バンドである。渡米直前の96年に渋谷のLA MAMAで観たときは3日間耳鳴りが止まなかったが(その際録音された『ライヴ・イン・東京』のジャケット写真は秋山が撮ったものである)、その後ミラーのギターソロアルバム『A Little Treatise On Morals』に触発された。それでニューヨークでもミラーの家に遊びに行った。ウェルカム・ミュージックが現代音楽のクセナキスで笑ってしまったという。現地ではノー・ネック・ブルース・バンドとも、かれらのリハーサルルームでセッションをした。

1997年ころ、サックスの春日井学が下北沢のLady Janeでドラムスのジェイソン・カーンと共演するというので観に行った。そこでは中村としまるも演奏しており(現在のノー・インプット・ミキシング・ボードではなく、まだギターを弾いていたころ)、知己を得た。いまに至るも共演する仲である。

インプロヴィゼーションとは

筆者は今回のインタビューを行う前に、あるミュージシャンから「秋山さんは言葉によって自分の音楽を語ることを好まないのではないか」と指摘された。本人は「鋭いな。たしかにこれまではこうして話すことは避けていた」と笑う。というのも、自己分析により自分自身が固定されるからだ。「物語的な演奏をする」ことと「物語が固定される」こととは別である。これまで述べてきたような「何年に誰と何を演ってきた」ことさえも物語の一部かもしれないのだ。

そして、秋山は即興演奏自体に対して固定的な物語となることを志向しない。もとより譜面なしでその場で完成させてゆくことが前提であり、その物語も多岐に渡っている。むしろ抽象的であることが演奏に相対する人に端々にヒントを提供することになる。

ここでかれは「禅」や「無心」という言葉も口にする。意識的に何かに向かうのではなく、意識を逸らすこと、集中しないようにすることに集中すること。そのために、「身ぶり」や「手癖」を、即興演奏におけるクリシェのようなネガティヴなものとは考えず、敢えて「装置」として使う。自分の手には固有のかたちや動きがあり、それにまかせる。自分自身はそれに捉われず、より「こう弾く」ということに向かいうる(*4)。実際、マダールで演っていたときに独特のゾーンに入ったことがある。パターンの繰り返しのとき「自動演奏的になり、音が鳴っていた」。

エフェクターとの関係となればわけがちがう。「ギタリストあるある」だとするのは、エフェクターに使われること。そうではなく、使われないために使いこなす「装置」だ、と。

かれは時間というファクターも重視する。「時間軸に沿って演奏する」のでは遅いのであり、即興とは「時間があとに付いてくる」もの、あるいは「時間をつくるもの」。そのために「装置」的なものが必要となる。時間に捉われないための仕掛けである。

意識せず意識する、集中せず集中する、そうした二律背反をいかに成立させるか。あるいは、間違いがないように演奏するのではなく、演奏が「結果オーライ」となることをいかに成立させるか。両者のギャップを埋めるのは、そのときにたちあらわれる「セレンディピティ」かもしれない。そしてまた、かれは「フリーとは、なるようになることだ。なるようにならせるのもミュージシャンの使命だ。なるようにならせない遊びもある」と、矛盾することを言ってのける。即興演奏とは「自分を出し切らなくても成立する」ものであり、そこにアートとビジネスとの違いがあるのだ、とも。

筆者が以前に観た秋山の演奏で、明らかに共演者ふたりが収束のサインを出しているのに秋山ひとりが沈黙し続けたことがあった。後日それはひとり<4分33秒>(ジョン・ケージ)でもあったのだと耳にしたのだが、そのことを秋山に問うと、それは単なる結果であって「鳴らさなくてもいいだろう」と思った結果だと答えた。仮に<4分33秒>だったとして、「それが譜面に基づくものだからという理由のみで、誰も文句を言わないというのはおかしいだろう?」と。そしてかれは「綺麗に終わることを嫌悪したことがある」と続ける。それよりも演奏が続くような感じの終わりかた、たとえばカセットデッキのストップボタンを事務的に押したような感じを好む。「奏者ならわかるだろう」と。

ここまで話を進めてきて、筆者がこれをいかに記事としてまとめればよいのだろうと呟いたところ、秋山は、自分の話がどうデフォルメされるか楽しみだと言ってにやりとした。

最近の作品、最近の人

最近、秋山は水道橋のFtarriにおけるライヴ録音から、画家の水田茂夫をジャケットアートに起用した3部作を製作した。岡川怜央(エレクトロニクス)との『Metaphor of Metamorphosis』、宮坂遼太郎(パーカッション)との『雑用は仕事の王道』、さらに徳永将豪(アルトサックス)、阿部真武(エレクトリックベース)との『Memory Is a Poet, Spinning Stories』(未リリース)である。たとえば秋山が「ジミヘンを逆回転・速度半分にしたような演奏」をしているのに岡川はあくまで冷徹であり、そこがおもしろいと言う。

また、すずえり(ピアノ)、岡千穂(コンピュータ)との、レペティティブなブギギターをフィーチャーした作品も制作中である。池田謙(エレクトロニクス)、畠山地平(ギター、エレクトロニクス)との『erroribus humanis et antinomy』も好きな作品である。ガジェットを含め多種多様なものを使って非演奏的行為をする大城真、川口貴大、竹下勇馬といった「音楽的でない人」もおもしろいと感じている。

(文中敬称略)

アルバム紹介(近作を中心に)

(*1)サム・グディーズというレコード店の店員たちによるグループであり、録音のリハーサルに立ち会ったバーナード・ストールマンが気に入って自身のESPレーベルからリリースした(1966年)。当時はほとんど売れず解散したが90年代の再発以降再評価されている。(ジェイソン・ワイス『証言 ESPディスクの時代』、ジーンブックス、原著2012年)
(*2)マダールのスタジオ演奏(1989年)
https://youtu.be/tDMch1wRJ8M
(*3)Akiyama-Sugimotoのカセット作品
『Listener’s Digest』(Slub Music、1995年)
https://youtu.be/ekIZEPtRCIQ
https://youtu.be/Horn1GgLWYQ
『The Logic Of Exception』(Slub Music、1995年)
https://youtu.be/mml4rr8M5TI
https://youtu.be/298FVrZAD-s
(*4)大谷能生は秋山の演奏について「目の前にある物質と自分とのあいだになるべく記憶の働きを介入させないような演奏を行おうとする」と表現している(大谷能生『貧しい音楽』、月曜社、2007年)

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

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