JazzTokyo

Jazz and Far Beyond

閲覧回数 13,315 回

インプロヴァイザーの立脚地No. 307

インプロヴァイザーの立脚地 vol.13 すずえり

Text and photos by Akira Saito 齊藤聡
Interview:2023年9月16日 上野にて

ピアノ周りの奇妙な仕掛け、不思議なデバイス、演奏に向かうふるまい。すべてが独特極まりないアーティストである。

美大

在籍していた武蔵野美術大学では評論家の瀬川昌久による講義などもあり、ジャズがさかんな大学だった。幼少期にピアノを習っていたこともあり、友人に誘われていちどジャズ研に顔を出したことがある。その後行かなかったら「来ない人」として名前が貼り出されていて、恐ろしいところだ、と思った。

音にはずっと興味があったが、どちらかといえばサウンド・アートに対する興味のほうが強かった。美大予備校で講師をしていた平田五郎に、鈴木昭男の作品を教わった。平田はアラスカなどを旅しながらフィールドワークを行う現代美術家だった。その展示の手伝いで、作曲家の吉村弘が企画していた展覧会シリーズ『Sound Garden』(ストライプハウス美術館、現・ストライプハウスギャラリー)に関わった。吉村弘は武蔵野美術大学でも講義をもっていたが、彼女はそのとき初めて「サウンド・アート」という言葉を知る。

大学時代は、アルバイト先の先輩に連れられ、山梨県の上九一色村(当時)で行われたフェスティヴァルに参加した。これがすずえりのサウンド・アート原体験かもしれない。村はまだオウム真理教(当時)の活動が目立つ前であり、アーティストのコミュニティがあった。そのときのコンサートでは、鈴木昭男やヴァイオリンの小杉武久らが即興演奏をおこなった。印象的だったのは、木靴を履いた鈴木が、スリットを入れた竹の棒を地面に刺しながら、風上に向かって歩いていくというパフォーマンスである。子供を含めた客全員がそれを追いかけて歩いた。音を出すことには失敗していたようだったが、彼女にはおもしろいものだった。また、夜半、コオロギが鳴き出す音といっしょに地面に埋めた無数のオシレーターを鳴らすロルフ・ユリウス(ドイツのサウンド・アーティスト)の演奏もおもしろかった。

そんなこともあって、彼女は、箱や木をくり抜いた溝に弦を張った自作楽器などを作りはじめる。卒業の年には、『Sound Garden』ではじめて自作楽器を展示し、デモンストレーションの形で演奏をおこなった。

バンド、歌

大学を卒業した彼女は、デザイナーとしてゲーム会社に就職した。開発チームには、バンド活動をしている社員が多かった。一方、当時彼女は社会人合唱団に入っていたため、バンド活動をしている会社の後輩に、ヴォーカリストを探している人がいる、とピアニストを紹介された。それはイトケン(ドラムス)のバンド「Harpy」のメンバーのおのてつで、「オシツオサレツ」というユニットを組むことになった。このとき、メンバーの名前を揃えるつもりで「すずえり」と表記するようになった。彼女はこのころメレディス・モンクが好きで、歌い方も影響を受けていた。また、参加していた合唱団ではプーランクやラヴェルなど、複雑な旋律の曲を歌っていたが、その曲をピアノとソプラノだけにアレンジして演奏することもあった。このユニットは、ヴァイオリンの勝井祐二によるレーベル「まぼろしの世界」からカセットテープ作品をリリースしている。

そのあと、電子音楽家のTAGOMAGOと「ときめきサイエンス」を組み、プログレ的なアプローチで音響的なサウンドを展開した。98年には竹村延和が主宰する「Childisc」からアルバム『新しく、美しい音楽』をリリースした。TAGOMAGOは永田一直が手掛けるレーベル「ZERO GRAVITY」から音響的な作品、「TRANSONIC RECORDS」からテクノの作品を出していて、彼女はそのシーンからも影響をうけた。ユタカワサキ(シンセサイザー)や中村としまる(ノー・インプット・ミキシング・ボード)の音を知ったのもこの時期だ。評論家の佐々木敦が「meme」や「UNKNOWNMIX」レーベルを展開したのもこのころだと記憶している。同時期にギターユニットLakesideとともにアルバムを1枚作り、また沢田穣治(ベース)、河合拓始(ピアノ)とともにトリオの作品も制作した。

ユニットには主に歌で参加していたが、このころピアノをふたたび弾き始めた。そして自分でも曲を録音したくなり、まとまった時間と技術を得るために、仕事をやめて岐阜県のIAMASに入学した。結局、この学校では、曲作りよりも電子工作やMax/MSPなどのプログラミングを覚えることになった。いまでもとても役にたっている経験である。

練習が嫌い

ピアノは好きだが練習が嫌いだし、自分の演奏は下手だという。音数が多いのも好きではない。それよりも、ピエール・バスティアンやフランク・パールの、クリンペライとの作品や、ZNR、グルジエフ(アルメニア生まれの神秘主義者)らによるピアノ作品のシンプルでたどたどしい旋律が好きだった。

ピアノは、ヴァイオリンやサックスなどとちがい、練習しなくても鍵盤を押すだけで旋律を鳴らすことができる。だが、曲を弾くにはたくさん練習しなければならない。その矛盾に加えて、変な構造の楽器であることも気になっていた。指で鍵盤を弾くのは下向きの運動なのに、ハンマーは横に動き(グランドピアノであれば下から上に)、鍵盤を弾くのとは逆になる。蓋を開ければ、インタラクションに対して機構の動きが逆なのが見える。やはり混乱する。

楽器の練習というものが反復練習であることにも違和感があるという。美大受験でデッサンをたくさんこなしたので練習にはなじみがあるが、ピアノの練習とはまったくちがうものだ。同じモチーフを描き続けても、その絵は同じにはならない。彼女の中では、ピアノの反復練習はスポーツや語学に近い。

ずっと準備

IAMAS時代に、そこで教授をしていた三輪眞弘という作曲家を知った。かれは、コンピュータにおける演算のアルゴリズムをモチーフに作曲している。すなわちルールが曲といってもよいのだが、ここに人間が介在すると必然的にエラーを内包するものとなり、失敗によって曲のありようが変わってゆく。そのメタ音楽性をおもしろいと感じた。

IAMAS時代の先輩にあたる斉田一樹と三原聡一郎によるサウンドインスタレーション「moids」もおもしろいと思った。マイクとオシレーター(発振器)がついた電子基板をひとつのユニットとし、千個以上をつなぎあわせ、相互に影響しあってサウンドを形成する作品である。また、三原聡一郎が毛利悠子とともに作った「ヴェクサシオン」はピアノを使った作品で、美しいものだった。かれらは梅田哲也や堀尾寛太ともコラボレーションをしていたので、その活動にも影響を受けたと思う。また、この時期にプログラマーの比嘉了とも即興のデュオを行っている。かれは三次元空間でオシレーターを接続するような自作のソフトで演奏していたが、その手続きにピアノと生の声をあわせていくのがおもしろかった。IAMASの後輩・時里充の活動もおもしろいと思っている。かれが小林椋と行っているユニット「正直」は、空間全体を使ったライヴインスタレーションだが、空間に対しても観客に対しても独特の無関心さがある。

三輪の作曲も、moidsのサウンドも、ひとつが別のひとつに影響し全体がつながる。ピアノを半自動で操作するすずえり自身の手法も、この延長線上にある。それは、もはや演奏というよりもセッティングや準備をし続けているだけかもしれない。

岐阜に行く前、円盤(高円寺、現・黒猫)のオーナー・田口史人に「プリペアド・ピアノで何かリリースしよう」と言われて録音を行ったが、そのときはまだいまのような形ではなかった。岐阜から東京に帰ってきたとき、「パリペキンレコーズ」店主で「360°records」を主宰する虹釜太郎から、円盤で企画していた「5H」というイヴェントに誘われた。出演者が5時間ぶっつづけでなにかを演奏するというもので、「しごき塾」とも呼ばれていた。もちろん、ピアノをそんなに長い時間弾くことなどできるわけがない。彼女は、ピアノをプリペアドしながら、空間に展開させ、その過程を見せることにした。このときの経験が、現在の手法につながっている。そのあとも、円盤ではピアノを使った実験をさせてもらった。

また、鈴木美幸が主催した『Improvised music from Japan 2009』 祭りにも誘われ、それに向けて機械じかけのピアノを作った。モーターやスイッチで小さいピアノを制御するものであり、そのあとにピアノと小さいピアノとを連動させるような仕掛けを作るきっかけになった。翌2010年には、当時恵比寿にあったgift_labでひと月の個展としてピアノを接続した作品を展示させてもらい、インスタレーションとしても展開できると感じた。

虹釜も鈴木も、すずえりの手掛けることをいつもおもしろがってくれた。彼女は、ふたりがいなければ活動していないと断言する。Ftarriが大事な演奏場所になるのは鈴木が場所を作った2012年以降のことである。

現在の活動

コロナ期に、英国で活動するサウンド・アーティストの赤間涼子にさそわれ、「a.hop」のメンバーとなった。テキストスコアをそれぞれのメンバーが出し合い、全員でリアライズするというものだ。自分でもスコアを作り、またメンバーのスコアのリアライジングをする中で、指示にしたがった即興演奏やフィールドレコーディングもおもしろいと感じはじめている。

2023年には、Asian Cultural Councilの助成でニューヨークに滞在し、ボストン、ワシントンDCでも演奏する機会を得た。デイヴィッド・チュードアや刀根康尚らが制作した自作楽器の調査が滞在の主目的だったが、その合間に自分でも新たな楽器を作った。外部音源を直接接続してLEDを光らせ、その光を受信してまた音に変換する。オシレーターにつなげた複数のLEDを同じ受信機で受信することで、モジュレーションが起きる。ニューヨークではミニマル音楽のフィル・ニブロックが主宰するイヴェントに出演することになり、はじめてこの新しい楽器で演奏した。そして帰国後も、中村としまるとのデュオで披露した。

この期間には、レーベル「ORAL record」を主宰するエリック・マットソンの招待で、カナダのケベック州北部にも滞在した。電源を確保できない状況だったので、風を利用して動くサウンド・オブジェを制作し、同じ招聘アーティストのジョン・グリジニッチに手伝ってもらって屋外で録音を行った。グリジニッチはこのような形でのフィールドレコーディングの第一人者でもあり、サウンドスケープの中に自作楽器をおいて録音することをおもしろいと感じた。

インプロヴァイザーたち

隙間を感じさせる音作りは日本人独特の感性によるものだと感じているし、そういった演奏家はとても貴重だという。なかでも、中村としまる、秋山徹次(ギター)の音作りからはとても勉強させてもらったと感じる。また、何度か一緒に演奏しているが、池田陽子(ヴィオラ)、遠藤ふみ(ピアノ)、竹下勇馬(自作楽器、エレクトロベース)の音も好きだと思っている。

逆にものすごいうるさい音を出すが、出音に恐るべき無関心さがあるという点で、野本直輝(シンセサイザー)がおもしろい存在だ。鳴らしている音に非人間的なところがある点が、刀根康尚やユタカワサキにも通じるところだと感じている。同じような無関心さを岡千穂(コンピューター)にも感じる。ほかに、楽器製作者でありエンジニアでもある大城真(自作楽器)や、川口貴大(自作楽器)の、空間を利用した音の作り方もおもしろいと思う。

ニューヨークでも、ブランドン・ロペス(ベース)、マイケル・フォスター(サックス)、ショーン・ミーハン(ドラムス)、ジョン・マッコーエン(クラリネット)、ボニー・ジョーンズ(自作楽器)など、たくさんの魅力的な演奏家に出会った。かれらについてはどこかでまとめて紹介することができるとよいなと思っている。もし、かれらニューヨーク勢とのブッキングを考えるなら、相手にもよるが、山本達久(ドラムス)、坂口光央(ピアノ、シンセサイザー)、波多野敦子(ヴァイオリン)、内橋和久(ギター、ダクソフォン)など、手数が多くて上手く、雰囲気のある人たちを思い浮かべている。

ディスク紹介

(文中敬称略)

 

齊藤聡

齊藤 聡(さいとうあきら) 著書に『新しい排出権』、『齋藤徹の芸術 コントラバスが描く運動体』、共著に『温室効果ガス削減と排出量取引』、『これでいいのか福島原発事故報道』、『阿部薫2020 僕の前に誰もいなかった』、『AA 五十年後のアルバート・アイラー』(細田成嗣編著)、『開かれた音楽のアンソロジー〜フリージャズ&フリーミュージック 1981~2000』、『高木元輝~フリージャズサックスのパイオニア』など。『JazzTokyo』、『ele-king』、『Voyage』、『New York City Jazz Records』、『Jazz Right Now』、『Taiwan Beats』、『オフショア』、『Jaz.in』、『ミュージック・マガジン』などに寄稿。ブログ http://blog.goo.ne.jp/sightsong

コメントを残す

このサイトはスパムを低減するために Akismet を使っています。コメントデータの処理方法の詳細はこちらをご覧ください